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働く私の日常言語学

2023.11.02

Vol.6 漫画家・ヤマシタトモコさんと語る、『違国日記』における男らしさの呪縛と愛の暴力性について(後編)

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、さまざまなフィールドで活躍する方々と「ことば」について多角的に考えていく連載。今回は、前編に引き続き、漫画家のヤマシタトモコさんと漫画『違国日記』と「ことば」について語り合います。

「男性性が壊される瞬間」を描く

清田隆之(以下清田) 男性性の問題に関心のある自分としては、やはり笠町信吾と塔野和成の存在が気になりました。高代槙生の元恋人で、今も友人(?)としていい関係性を築いている笠町と、田汲朝と槙生の暮らしを未成年後見監督人としてサポートしている弁護士の塔野は、それぞれ“男らしさの呪縛”みたいなものに疑問をもつキャラクターで。

小川知子(以下小川) いわゆる「ホモソーシャル」の枠に入れなかった、あるいはそこから降りたという男性たちですよね。『違国日記』7巻には、チキンレースで自分の価値を試す「男社会の洗礼」に対する違和感も描かれていました。

清田 感情を抑圧し、弱音を吐かず、与えられた役割を黙々とこなし、何ごとにも動じず、鈍感であることが賞賛され、危険を冒して度胸を示す──そんなマッチョな男らしさは、近年では「有害な男性性」ということばで批判的に論じられたりもしています。男社会と距離を置いている笠町と塔野の人物像には、そういった男性性をめぐる議論が影響していたりするのでしょうか?

ヤマシタトモコ(以下ヤマシタ) 私は昔からBL(ボーイズラブ)作品もたくさん描いていて、その中で男性性が強めなタイプの男たちの、その男性性が壊される瞬間みたいなものをいろいろ描いてきたんですね。社会に対して「こうあらねば」と思っていることとか、自分の矜持だと思っているけどすごく苦しい部分であるとか、そういったものが壊れ、弱さを認めて他者や自分を受け入れられるようになる……みたいな。そういう「その人の頑なな部分が壊れる瞬間」みたいなものを、特に男性に関しては好んで描いてきまして、だからこれは単純に私の嗜好だとも言えるのですが(笑)。

清田 男らしさの呪縛から逃れることで楽になる部分と、そこから脱落すまいと必死になっている部分の両面が語られていてリアルだなと感じましたが、なるほど、背景にはBLが。

ヤマシタ ただ『違国日記』に関しては、もちろん恋愛のようなものも恋愛ではないものも出てはきますが、読み手の多くがキャラクターに対して自分の周囲の人物だったらとか、自分の恋愛対象だったらとかを想定してキャラクターを見ることが多いジャンルの作品なので、そういう対象として素敵だなと思える男性像を提供したいという思いで描きました。特にこの作品においては“新しいカッコよさ”というか、弱さを受け入れているとか、弱いくらいに優しいとか、そういう印象を与えるような行為や性質が好ましい男らしさなのではないかという感じでのキャラメイクではありましたね。

物語に通底する「父親の不在」という問題

清田 弁護士の塔野も、笠町とはまた違ったタイプの男性像で印象的でした。彼は感情の機微みたいなものを読み取るのが苦手で、はっきりしたメッセージでやり取りすることしかできない。そして、そのことで人を傷つけてしまったり、苛立たせてしまったりすることがあるという自覚もある。自分ができることとできないことを理解しているとか、できる限り説明を尽くしてコミュニケーションを取ろうとするとか、ちゃんと境界線を引いて人と関わろうとするとか、そういう部分が個人的にとても新鮮な男性像に映りました。もちろん現実にそういう男性がまったくいないわけではありませんが、“新しいカッコよさ”と聞いてなるほどと思って。

ヤマシタ 塔野に関しては、最初に担当編集から「イケメンをもう一人くらい」とリクエストがあって、「じゃあ、ちょっとツラのいい男でも出しておきますか」みたいな感じで考えたキャラではありました(笑)。それと、これは他の作品にも共通するので、細かく読んでくれている人は気づいてくださっていると思いますが、これまで他の作品でもこまごまとやっていることではありますが、『違国日記』では特にさまざまなタイプの人間のリプレゼンテーションをしたくて。塔野もその一人で、新しいタイプの男性像というより、「空気が読めない」と言われるような特性の人物が社会で排除されずに生きているという姿のキャラクターとして描いた部分が大きいです。

小川 確かに、男性だけに言えることではなくて、学校の中でも、社会の中でも、いろんなかたちのあり方をしている人たちに溢れていますね。

ヤマシタ そうですね。そういう人物が他のキャラクターと関わりながらうまく動いてくれた結果ではあると思いますが、今の話をうかがい、思った以上にさまざまなことを受け取ってくださっていて、「いや〜そこまで想定してなかった」みたいな(笑)。

清田 男性性に関わる部分でもうひとつ、この作品に通底する「父親の不在」とでも言うべき問題も気になるところでした。物語の終盤、それは朝さんの中で大きなテーマになっていきましたが、思えば槙生さんと姉の実里さんのお父さんの姿もあまり見えてこなかったし、朝の親友・えみりの父親もそうでしたよね。

小川 朝さんが周囲の人たちに父親のことを聞いて回るシーンもありましたが、確かにみんなぼんやりした回答だった。

清田 そうそう。母親たちに比べて父親の存在感は総じて希薄で、それはもしかしたら男性が父としての責任をちゃんと背負ってないのか放棄してるのか、あるいはそもそも期待されてないのかわからないんですけど、そういう「父親の不在」問題に関してはいかがでしょうか。

ヤマシタ これは私自身、あるいは私の世代に横たわる問題かもしれませんが、友人とかと話していても父親の存在があまりにも不在だって話に同意することがすごく多くて、私自身そう感じます。たとえ尊敬や愛情があったとしても不在、というか。それは特別な問題でもないから別段解決のしようもないようなことで、だからこそかえって深刻、みたいに思う部分もあって。

清田 なるほど……。例えば自分の母親は割と過干渉なタイプだったんですけど、親子関係の本を読んでいると、いわゆる「毒親問題」の背後に父親の不在が関係していることが結構あるんですね。子育ての責任やプレッシャーが母親だけにのしかかり、それが過干渉につながっていくみたいな文脈で。うちも優しい父でしたが、仕事している姿が主で、内面的なコミュニケーションを交わした記憶はあまりなかった気がします。

ヤマシタ 朝の父親に関しては、不在であることに理由もないということを描きたかったんですよね。子どもにとって不在は罪ではあるんだけど、その罪に理由があったらちょっと正当化しすぎかなみたいな思いもあって。なのでそれは宙ぶらりんのまま、朝はある種、物語の希望を託されて成長していくようなキャラクターではあるけれど、みなと同じように一生解決しないままなんとなくぼんやり抱えていく問題だってあるという要素を入れたかった。父親を描けないのは、私の作家として……というより一個人としての問題かなという感じがありますね。

小川 親に対して抱くわからなさが、彼らの死によって永遠に解決しないものとしてのしかかるという事態は、遅かれ早かれ、ほとんどの人の身に起こることですしね。ちなみに私の父は、例外的と言えるのか、子どもと積極的に関わろうとする人でしたが、「いわゆる典型的な男性ではない」としばしば形容されてはいました。

清田 一般的に父親って、子どもにとって存在の基盤に関わる立場にありながら、ことばとコミュニケーションが圧倒的に不足している傾向にあるんじゃないか。朝さんが父の姿を思い出そうとしたとき、想像で補おうにもその素材となる記憶が少なすぎてうまく思い描けなかったのはその象徴的なシーンだったように思います。まさにエコーが響かない「空洞」というか……。もちろんそうじゃない父親もいっぱいるとは思うんですが、子育て中の身として「たくさんおしゃべりしよう」って痛感させられました。

境界線を飛び越えていかざるを得ない瞬間

清田 朝さんは最初、ある意味で主体性のない人物として描かれていたじゃないですか。母の実里さんが支配的というか、「こうすればいいのよ、ああすればいいのよ」って道筋をつくってしまうタイプで、それゆえの性質ではないかと思うのですが、それに対して槙生さんは、あなたと私は違う人間ですよ、あなたの感情はあなたのもので、私の感情は私のものですよ……と、個人としての境界線をしっかり引いていく。

ヤマシタ 序盤は槙生という、特性が強く、なおかつ「こうすれば生きていける」というふうに自分の在りようをようやく定めることができたくらいの年齢の人間と、朝という、平均値の特徴が多くて、まだ何もかも定まらない年齢の人間とが、どうやって一緒に生きていくかみたいな話で。どうすれば共生は可能なのか、あるいは可能でないのかという実験みたいなところがありました。

清田 物語が進むにつれ、そんな二人の関係性に変化が生じていくのが個人的にとても印象的でした。槙生さんは朝さんと関わる中で、「私は私、あなたはあなた」というスタンスを取れなくなっていくじゃないですか。子育てをしていると、できるだけ価値観を押し付けないようにしよう、何ごともフラットであることが望ましいって考えをつい抱いてしまうのですが、自他の境界線を引くことはもちろん大事だけど、一方で勇気と責任をもってそれを飛び越えていかざるを得ない瞬間も確かにある。『違国日記』はそういう難題と向き合った作品のようにも感じられ、読みながら思わず身震いしてしまいました……。

ヤマシタ 私の母は若い頃、教員免許を取るために教育実習まで行ったんですが、教室の中学生を前に、自分が子どもたちに影響を与え得る立場になることの恐ろしさを感じたそうです。それで中学の先生になることは辞め、大人に教えるような職業に就いた。これは「傍若無人に振る舞う教師が信じられない」という文脈で聞いた話でしたが、妙に印象深く残っていて、私は「なのに子どもを育てたのか」「さぞかし悔いが残ったでしょうね」とも思って(笑)。

小川 槙生さんは終盤、朝の人生にどこまで立ち入っていいものかと葛藤して、あれだけ嫌っていた姉に「わたしが姉さんの大切なあの子を大切に思ってもいい?」と語りかける。あのシーンは、まさに「愛する」ということをめぐる問題が描かれていて。

ヤマシタ 槙生が朝を愛するかどうかみたいなことによっていろいろ揺らいでいく描写は、あそこまでセンチメンタルかつエモーショナルになっていくと私自身も想像していませんでした。私自身は「愛こそがすべてを解決する」とわりと信じているほうですが、それは「殺してしまえばなんの問題もない」と言ってしまうことと同じレベルというか、愛すること自体が暴力で、愛するに至ること自体も愛する本人にとって暴力だということを描きたかったので。槙生からああいう問いが出てくるのは予想外の展開でしたが、愛というものが双方に大きな影響を与え、いいことでも悪いことでもあるという前提で、愛することに対する恐れみたいなものを描けたのはよかったなって。

小川 家族という問題にもつながるかもしれませんが、愛情は恐ろしいものではあるけれど、どこかで欲している気もするし、失うと寂しいし……みたいな、自分でもあまりよくわかっていない、コントロールできない何かがこの作品には描かれていて、言語化にとても時間がかかるというか、感情が先に出てきてしまうという経験を、読みながら何度もしました。

ヤマシタ コントロールできない何かを、言語化できないまま感じて欲しいという思いはあって、なぜ泣いてるのかわからないけど、涙が出てる、悔しい気持ちがわいてるというのが私の最終目標です、いつも。

清田 前編でいう「ロマン」につながる話ですよね。槙生さんは常にしっくりくることば、状況や感情に過不足なく言い表している言葉を丁寧に探そうとしているけれど、それをさらに越えたところにある地平を描いているところが本当にすごかったです。このたびはありがとうございました!

ヤマシタトモコ
2005年にデビュー。2010年、「このマンガがすごい! 2011」(宝島社刊)オンナ編で『HER』(祥伝社刊)が第1位に、『ドントクライ、ガール』(リブレ刊)が第2位に選出される。『さんかく窓の外側は夜』(リブレ刊)は2021年に実写映画化&TVアニメ化。2017年から「フィール・ヤング」(祥伝社刊)にて丸6年にわたり連載された『違国日記』(祥伝社刊)は2019年、2020年に「マンガ大賞」にランクイン。「第7回ブクログ大賞」のマンガ部門大賞を受賞。最終巻となる11巻が去る8月に発売された。2024年春に実写映画化が決定。
IG:@tom_yam_yam
X:@animal_protein


清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/