恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、さまざまなフィールドで活躍する方々と「ことば」について多角的に考えていく連載。
2人目は、俳優でもあり、演出、脚本も手掛ける山田由梨さんと「ことば」について語り合いました。
当事者性を持ったドラマを紡いでいくこと
小川知子(以下小川) 今回は、劇団「贅沢貧乏」を主宰し、俳優としても出演するほか、小説・ドラマ脚本執筆、演出も手がける山田由梨さんをゲストに迎えて、山田さんのことば選びやセリフへの意識といったところについても話を聞けたらなと思っています。
清田隆之(以下清田) 山田さんは演劇でもドラマでも、常に社会的な問題を作品に織り込んでいる印象があり、直接的に描くケースもあれば背景として間接的に描くケースもあるけど、創作の下地には膨大な勉強やリサーチが存在しているんだろうなと感じていて。それらをセリフやストーリー、あるいは登場人物たちのやりとりにどうやって落とし込んでるんだろうってところにすごく興味があります。必ずしも正しいことを正しいまま言わせればいいってものでもないだろうし、その辺りどういう意識でセリフを書いているのかも気になる。
山田由梨(以下山田) 調べたこと、勉強したことは地層の奥深くに置いておいて、最初はあまり何も考えずに、指先で書いてるみたいな感じかもしれないです。感情には結びついていないけれど、台本上言わないといけないセリフのことを、「説明セリフ」と呼ぶんですけど、それがあるとわりと白けてしまうんですよね。だから、私はなるべくそれを削ぎたくて。だから、そういう社会問題を描くときも、説明したくないから、セリフになるのはちょっとした表面に出てくることでしかなくて。でもそれをキャッチできる人は地層にある問題のことを考えるだろうし。キャッチできない人もいるかもしれないというレベルに落とし込むというのが、普段やってるバランスにはなるのかも。
小川 確かに。「多様性って大事だよね」みたいなことをことばにするとものすごく薄っぺらく感じるけれど、多様性を体現するようなキャラクターの行動やことばがあれば、視聴者自身がそれを感じとることができる。しかも山田さんの作品って、登場人物が私たちが普段話しているような自然な話しことばを使うからか、より自分たちの生活の延長線上にあるというリアリティを感じさせるんですよね。
山田 ドラマをみた感想で、「会話が自然」と言ってもらえたことや、俳優から「セリフが言いやすい」と言ってもらえたりすると嬉しいなと思います。『30までにとうるさくて』(ABEMAオリジナル)では同世代の女の子たちに「私たちの話っぽい」と思ってもらえるよう、一つひとつのセリフをあんまり長くしなかったり、「あ、わかる」「だね」とか女の子同士の短い会話のラリーがポンポン続くように意識しました。自分が周りの友達としゃべっているときのリズム感を結構大事にしてるし、いかに俳優が言いやすいか、自然に出せるか、をすごく重視してる。それはたぶん、私が元々俳優としてキャリアをスタートしているから、セリフを全部脳内で演技しながら再生するんです。だから、かなり口語至上主義だと思います。
小川 11月29日放送のNHK夜ドラ『作りたい女と食べたい女』(以下『つくたべ』)の脚本を担当されているとこのことで、山田さんらしい口語セリフも含め、すごく楽しみにしています。
山田 そうなんです。漫画原作モノなんですけど、私がオリジナルで書いたセリフやキャラクター、シーンも出てきます。メインのキャラクターは二人とも非正規雇用で働いていて且つ女性という、わりと社会的には弱者の立場にいる人たちです。金銭感覚も、基本的には少し節約を意識しながら生活していて、たまに少し贅沢してもいいかな、くらいの生活感。その感じを視聴者と共有したいと思って、「牛肉って久しぶり。牛肉のコーナーって普段通り過ぎちゃうから〜」というようなセリフを書きました。そういう生きたことばが出てくると、ぐっと登場人物を身近に感じられたりするので。
清田 そっか、チョイスするお肉とその人の日常感覚って何気に密着しているもんね。思えば「贅沢貧乏」の演劇でも、使っている洗剤とか置いてある小物とかで登場人物の抱えている事情をさりげなく表現したりしていたけど、ドラマだとそれをことばで伝えていく必要があるんだね。そういうセリフはどういうふうに思いつくものなんですか?
山田 自分が生活するときに思っていることや、実家に帰ったときの会話とか、友達との会話……日常で出てきた会話をわりとキャッチしてるかもしれないです。
清田 それで言うとSNSとかでも、ぽろっとつぶやいたひと言が、ある種の社会階層みたいなものを感じさせてしまうという問題もある気がする。例えば誰かが「最近お金ないから牛丼ばっかだわ」みたいなことをつぶやいたとき、「むしろ牛丼は贅沢では?」といった反応があったりするように、ひとつのツイートが色んなコンテクストを含んでしまうため、想像できてなかった受け取られ方をする可能性もある。それが何かを発信する際の恐怖心につながってる部分も正直あるんだけど、そういう言葉選びを意識するのも大事だなと。
小川 山田さんの書く作品って、舞台もドラマも、観ている人を傷つけないような言葉選びを意識しているように感じさせるなと思っていて。
山田 私が最近書いているドラマ作品は、オリジナル作品も含めてセクシャルマイノリティを表象していることが多いです。『17.3 about a sex』(ABEMAオリジナル)はパンセクシャルとアセクシャル、『30までにとうるさくて』でも『つくたべ』でもレズビアンのキャラクターを書いていて、自分が属さないマイノリティ性を描くときには、不用意に傷つけないようにというのはすごく気をつけています。
小川 舞台と違って、テレビドラマは特に不特定多数が届くものですもんね。そのために、当事者に監修に入ってもらって、事前に話を聞いたりもしているのだろうし。
山田 間違った情報を出してはいけないというところは、気をつけすぎるくらい気をつけているかもしれないです。特にテレビは、その情報が自分の想像を超えた人数の人に一気に届くので、その影響力はすごく考える。だから、書籍を読んだり、当事者の人と話したりもするけれど、やっぱり、私は完全ではないし、勉強しても間違えることはあるということを常に意識しているので、信頼できる専門家を入れて欲しいと必ずお願いしています。『つくたべ』も、多様性をテーマにLGBTQ+についても発信しているメディア『パレットーク』の編集長で、友人のAYAさんにジェンダー監修に入ってもらいました。AYAさんにはキャストもスタッフも含めて、セクシャルマイノリティについて、ドラマの影響について正しく理解するためのジェンダー講習もやってもらって。加えて、オープンリーレズビアンでありジェンダー研究者の中村香住先生も監修で入ってくださっていたり、主人公の野本さんがSNSでレズビアンについて検索するシーンで出てくるアカウントの部分で当事者の方々に協力いただくことにもなりました。
小川 当事者の方々が、インタビュー対象になったり、監修するだけでなく、内側から制作者の学びを支援している現場って、素晴らしすぎる。
山田 まずセクシュアリティを表明してる人が少ないし、表明できる社会が整ってない中で、当事者が関わっていくことは難しいから、今までのドラマではあんまりなかったことだと思います。その意味でも意義深いし、このようなドラマが放送されること自体がすごくメッセージになりますよね。原作のゆざきさかおみ先生は当事者を傷つけないようにとすごく気を配っている方なので、『つくたべ』の脚本の依頼を受けたときに、「私は先生のスピリットを守るナイトになります!」って宣言したんです!(笑)
小川&清田 かっこいい~!
山田 もちろん、プロデューサーをはじめとして一緒に守るという思いを持っている人が集まってつくっているから、全然ナイトモード発動しなくてもよかったんですけどね(笑)。
できるところまでことばで解決する、現代の私たちの物語
小川 ドラマを書く上で、これから山田さんが超えていきたいハードルってあるんですか?
山田 最近、大体の問題は、コミュニケーション不足から発生すると私は思っていて。これすごく言語学かもしれないんですけど、先日友達夫婦とご飯を食べてたときに、二人が急に険悪な雰囲気になったんですよ。「え、なんで急に険悪になってるの?」と聞いても「や、別に大丈夫」って言われて。二人は喧嘩が多いって別の人から事前情報として聞いていたので、私が「今ちょっと何が起きたか全部説明して」って言って。
清田 第三者による突然の交通整理(笑)。
山田 そしたら、「私が荷物を入れるカゴにお財布をぽんっと投げたら、それをじっと見られたから、何か言いたいことがあるのかなと思って『何?』って聞いたら、『いや別に』って言われたから、何なんだろうって思った」って女性は言っていて。男性は、「え、投げた? 多分特に何も考えずに見てただけだよ」みたいに言っていて、意識的には見てなかったの。ことばにして紐解いてみれば、「え、何?」、「え、何が?」、「今財布投げたの見てたよね?」、「いや見てないよ」、「多分動いてたから見てただけで、全然何も気にしてなかった」、「それなら別にいいんだけど、投げたのが気にくわなかったのかと思った」、「全然気にくわなくないよ」という話で。じゃあ、何も問題は起きてないじゃん、ちゃんちゃん、なんです。
小川 確かにそれで喧嘩せずに済む話ですね。
山田 そうなんです。たぶん、私たちはそういうコミュニケーションの齟齬をめちゃくちゃ発生させているんだと思っていて。だから私は、「もうちょっとお互いに説明したほうがいいよ」と伝えました。ただし、ドラマにおいては、すれ違いのためのディスコミュニケーションをわざと発生させることはあって。明らかに、「今それ聞けばいいじゃん!」ということを聞かないで、後々問題になっていくように仕向ける。でも、たまに、「それって無理矢理じゃない? そこは普通の大人だったら聞くでしょう」と言いたくなるときもある。盛り上げるために言わなかったり、気づかないようにするという描写は、コミュニケーション不足な現代人の問題を示していて面白いなとは思うんですけどね。私はコミュニケーション過多タイプなので説明したいし、するんですけど、そうすると、ロマンチックじゃない? ドラマチックじゃなくなる? みたいなことはトピックとして私の中に最近あるんですよね。
小川 主に恋愛関係において、一般的に、全部一気に説明してしまうことが魅力的じゃないとか、言われていない、見えないところに興味が湧くという考えはある気がします。お互いに全部説明し合った上で仲良くいられるのが理想的であったとしても、それは恋愛ドラマとしてはあまりエキサイティングに映らない、という根強い固定観念みたいなものはありそうな。
山田 そうですよね。だから駆け引きをしてドラマをつくる。もちろん、言うこと、言わないことを差し引きする作業を頭の中ですることはありますし、説明しすぎない、しゃべらないという美学が代々大事にされてきたのもわかる。でも、現代を生きてる私からすると、もうちょっと説明すれば問題は起きないのにとも思うんです。だから、あまりにも幼稚すぎる理由から言わないという描写は書きたくないんですよね。もちろん、言えないということはあるし、言えない理由もあるから、そういう描写は成立しますけど、この現代社会の知恵で、それは言えるんじゃないと言いたくなるような描写はなるべく削いでいきたいと思ってます。
清田 言語化とコミュニケーションの問題ってめちゃくちゃ面白いね。話は少しズレるかもだけど、最近、頭で理解しているものという意味での「論理」と、心や身体で感じているものという意味での「生理」の関係に興味があって。それらが混同してしまうことがすごくあるなと感じていて。例えばさっきの話で、女性が男性の目線を感じて「何?」と言うときに、論理のフェーズでは財布を投げたことをめぐる話なんだけど、もしかしたらその夫の視線から、膨大なメッセージを読み取ってしまっている可能性もある。「私のことを責めてるんじゃないか」とか、「だらしない女だと思ったんじゃないか」とか……。その背景にはもしかしたら、自分の親とか、元恋人とか、親しい友達との関係で、似たような視線を受けて嫌な思いをして、行動を見られる、見張られるってことに対する傷があったりするのかもしれない。
小川 しかも、トラウマも人それぞれだから。
清田 それが夫の視線によって再生してしまい、不快感や圧迫感が生じる。でも、それは「もやっとした不快感」くらいの解像度でしか知覚されていないから、そのまま言語化されるわけじゃなくて、「何?」という言葉として出てくる。その夫婦の件は個人的な想像に過ぎず、まったくの的外れだったら申し訳ないばかりだけど……そういう「生理で感じている何かと、論理として表出していることばがズレちゃってる問題」に気づかないことってすごくあるなと思っている。
山田 脚本家視点だと、そういうのってすごくドラマになるなって思っちゃいます(笑)その会話があった後に、実はこういうことがあったとわかってくるという展開が生まれて……。
一同 ははは。
小川 やっぱり、山田さんは日々やっているから、生理と論理がズレないというか、そのズレに対してその都度向き合ってるからこそ言語化能力が鋭いんだろうな。
山田 演出家は、言語化のプロにならざるを得ないんですよ。俳優に、何かをして欲しいときに、一個一個、必要な場面では全部に意味づけをしないといけないから、嘘をつくわけじゃないけど、すごく言葉にするのが上手になる。なぜ自分がその演出をするのかという理由を、高速で掘り下げてその都度回答を出すみたいなことを繰り返しやってるので。
清田 意図を伝えたり、質問に答えたりするためには、その場その場で言語化していく必要があるもんね……すごいな。
山田 どうしてそのスピードで動くのかとか、全部の行動に意味づけができちゃう。それを演出家としてやってるから、普段の自分がわけわかんない行動をしたときも、あ、私こう思ってこうだったからこれやったのかもって、あとから説明できる理由を考えたりします。職業病的に。
小川 自分でもわかってない自分の行動について、時間をかけてだんだんわかることもある気がする。
山田 そうですよね。時間をかけて、わからないからこそ、わかり合うために会話を重ねていくべきじゃない?と思うし、コミュニケーションで解決できることは解決していきたい。オリジナルで現代の物語を書くにあたっては、それを強く思っていますね。
(Vol.4 後編につづく)
1992年東京生まれ。作家・演出家・俳優。立教大学在学中に「贅沢貧乏」を旗揚げ。俳優として映画・ドラマ・CMへ出演するほか、小説・ドラマ脚本の執筆も手がける。『フィクション・シティー』(17年)、『ミクスチュア』(19年)で岸田國士戯曲賞最終候補にノミネート。2020・2021年度セゾン文化財団セゾンフェローI。1月にABEMAで配信され話題となった『30までにとうるさくて』では脚本を担当。また、NHK総合にて、夜ドラ『作りたい女と食べたい女』(11月29日(火)~12月14日(水)月~木 夜10:45~11:00 <全10話>)でも脚本を手掛けている。
@yamadayuri_v
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