『花椿』2020年夏・秋合併号で「銀座と資生堂の物語」をテーマに銀座について考察を深めた森岡書店代表の森岡督行さんが、書籍や出来事を通して過去の銀座と現在、そして未来の銀座をつなげる新しい銀座物語です。
時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
Ⅲ ライバルとビヤホールライオン 銀座七丁目店
銀座通りを新橋の方へ歩いていた私は、「ビヤホールライオン銀座七丁目店」(*)を目指していました。同店は1934年の開業で、今でも当時の建築の中でビールを飲むことができます。ここに初めて来たのは二十歳頃。従兄弟が誘ってくれたのがきっかけでした。当時は山形から出てきて日が浅く、東京のことは何も知りませんでした。大きな壁画とホールに満ちた活気。後に、「豊穣と収穫」が空間のテーマになっていて、球体の照明がビールの泡を現しているという説があることを知りました。キョロキョロしながらビールを飲んだ私は、こう思いました。ここが真の東京だと。
昨年、ライバルのKさんと、仕事帰りに、銀座で一杯やろうとなりました。私は「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」を提案しました。Kさんは、初めて中に入るとのこと。それを知った私は、すこし誇らしくなりました。Kさんも、きっと、かつての私のように驚くに違いないだろうと。喜びにはさまざま種類がありますが、誰かに、素晴らしいお店を案内する喜びもあります。
ところで、ここでビールを飲むと、私は写真家の木村伊兵衛について話したくなります。ジャーナリストの、むのたけじさんが記述した、以下の文章を思い出すのです。
「木村伊兵衛はおびただしい数の人物写真を残したが、それらを一貫して特徴づけたものは<手>である、と木村自身が種明かしをした。『手は人間の一部として感情を伝え、意志を表現する重要な手だてなのだ。手の動きのなかからでも、一瞬にその人の性格を美しくも現実的にも表現できる。(とりわけ)女の手は単独でも、空間処理をうまくすると、あやしさ、なまめかしさ、年齢や職業を表現できる』と彼は語った。」(『街角』ニッコールクラブ)
木村伊兵衛は、1955年12月24日のビヤホールライオン銀座七丁目店を撮影していて、それには、抱えきれないほどの風船を持った女性が写っています。肝心の女性の手は、風船の影に隠れて見えないのですが、むしろそのことが、握りしめる手の存在を感じさせます。球体の照明と丸い風船が一体となって、肌理(きめ)の細かいビールの泡を表しているように見えます。木村伊兵衛もここで美味いビールを味わったということでしょう。
Kさんと私は、正面に向かって左側2列目、前から3番目のテーブルに通されました。目の前には「創建85周年」のポスターが貼ってあります。大ジョッキを注文し、ソーセージ5種盛合わせと、ジャーマンポテトも運ばれてきました。ジョッキを右手で持ち、口を大きく開けて乾杯と発声。その際、Kさんの手をチラ見した私は驚きました。無骨で大きく、いかにも何かを摑んでいるようなかたちをしていたのです。
東京都中央区銀座7-9-20 銀座ライオンビル 1F