『花椿』2020年夏・秋合併号で「銀座と資生堂の物語」をテーマにご寄稿くださった森岡書店代表の森岡督行さんが、書籍や出来事を通して過去の銀座と現在、そして未来の銀座をつなげる新しい銀座の物語です。
時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を想像で歩いてみてください。
Ⅱ 銀座の柳とアンリ・シャルパンティエ
銀座通りを京橋の方に歩き、銀座2丁目の柳通りを右に曲がった私は、アンリ・シャルパンティエ(*)のカフェを目指していました。これまで幾度か訪ねたことがありましたが、あらためて、敷居を跨いでみたいと思ったのは、『梁塵秘抄』(光文社古典新訳文庫)を開いたことがきっかけでした。
『梁塵秘抄』は、平安時代の末に後白河院が編纂した歌謡集で、以下のように「柳」がうたわれています。
『そよや 小柳によな 下がり藤の花やな 咲き匂えけれ えりな 睦れ戯れ
や うち靡きよな 青柳のや や いとぞめでたきや なにな そよな』
ちなみに歌謡とは、うた=ソングのこと。この現代語訳を担当した川村湊さんは、大胆にも、以下のように訳しました。
『そよそよと しだれ柳に 下がり藤 匂いも盛り 咲きほこる
ゆれて もつれて からみあい そよそよ 風に なびきあう
やれやれ うれしや あれあれ たのしや このあそび』
そして次のような解説も。「柳と藤が風になぶられて絡みつきあう。そんな情景を男女の睦みあう営みとして見立てているのである」
およそ850年前、柳が女性の暗喩になっていたとは。そういえば、男と女が逢う街を、私たちは花柳界と言います。
『梁塵秘抄』の観点から柳を眺めたら、同じ柳でも違ってくるのではないか。そう考えて思いついたのがアンリ・シャルパンティエのカフェでした。入居するヨネイビルは1930年築の近代建築。アーチの窓越しに柳を見れば、より情緒があるのではと想像したのでした。
果たして本当に窓から柳が見えるだろうか。階段を上がって扉を開けてなかに入ってみると……アーチ状の窓は5つあります。私が通されたのは手前から4番目の窓の前。外に目をやるとそこには柳通りの柳が、アーチの窓越しに揺れていました。
調べてみると、『梁塵秘抄』はながらく散逸していて、ようやく明治の末に、写本の一部が発見されました。当時は幻の歌謡集が発見されたということで話題になり、例えば北原白秋も『梁塵秘抄』の影響を受けたといいます。北原白秋には、銀座をテーマにした詩「銀座と雨」がありますが、それは、まさに資生堂化粧部が出版した『銀座』(1921年初版)に掲載されています。『銀座』は銀座の柳が伐採されることを嘆いて出版された本でした。もしかしたら、この本に携わった福原信三や小村雪岱たちも、北原白秋から『梁塵秘抄』を聞いていたのではないだろうか。柳の曲線を女性の美しさとして捉えていたのではないだろうか。銀座の柳をめぐる想像が広がります。
やがて私の前には、大好物の「クレープ・シュゼット」が運ばれてきました。アンリ・シャルパンティエでは目の前でこのデザートをつくってくれます。グランマルニエをグラスのなかで燃やして、それを胸の高さほどからフライパンに注ぎます。グランマルニエは炎が付いたまま、細い流線型となって落ちていきます。オレンジの甘い香りとともに、その光景が目の前に現れたとき、私は一瞬、ハッとしました。青く細い炎の線が、他でもない、窓の外で揺れる柳のように見えたのです。