3年前、私が銀座のコラムを担当することになったとき、ある方から、次のような課題をいただきました。日本中に銀座とつく地名があるけれど、新宿や渋谷はない。昭和初期までは浅草のほうが繁華街として有名だったというのにそれもない。なぜ銀座が日本中に広がったのかと。この問いに対する自分なりの回答は、「現代銀座考 :XX ガス灯と新聞と銀座」として書くことができました。要するに、銀座は明治時代のスマートフォンのような存在だったと考えたのです。詳細はぜひ該当コラムをご参照ください。
先日、3年のあいだ銀座のコラムを書き続けたお祝いに銀座8丁目のBAR S(*)で乾杯をしました。バーテンダーの阪川徳さんは、おつかれさまでしたと特別なブランデーを選んでくださいました。「香りを楽しんでください、時間と共にグラスの中で変化していきます。30分くらい経ってから飲む場合もあります。香りが開くのを待って。このお酒は香水です」と言って、グラスの中に液体を数ミリ注いでくれたのです。お酒を飲むというより、香りの変化を楽しむ時間。香りを求める体験と考えればより今日的であります。このブランデーの謂れが書かれた本も添えてくださいました。確かに変化する香りに驚きつつ、グラスと琥珀色の境目に光る曲線を見ていると、あっ、となりました。「これも銀座が日本中に広がった理由かもしれない」と思えたてきたのです。
かつて銀座に来た人が、銀座のような街を地元にもつくりたいと思ったのは確かなこと。それだけ銀座の街には感動があった。ではそこに香りが介在していたと考えるとどうなるでしょうか。香りは記憶と結びつく傾向にあります。例えば、銀座で購入した香水の香りが瞳のようにきらめく街角の記憶をよみがえらせるトリガーとなった。或いは、ラズベリーの香りがすっとぬけていくような鮮やかな赤いカクテルを飲んだなら、その日の銀座はより豊かな思い出となって定着した。「銀座」のイメージが香りと一緒に広がっていった光景が浮かびあがってきました。
しかしこれもひとつの仮説にすぎないでしょう。そもそも香りは消えてしまうので検証するのは困難です。ただ、「銀座バラード」の最初は、香水瓶を石内都さんに撮ってもらったところからスタートし、期せずして最後に、お酒を香水のように親しむ見識を身につけたわけでもあります。銀座と香水。明治の昔から共にあったのは紛れもない事実。最後に、一杯の青いカクテルの香りと光を、石内さんに撮ってもらいました。明治から続く、銀座と香りの関係性の証として。
(中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル11階)
銀座にまつわるさまざまなモノから見えてくる、銀座の、石内さんの、そしてあなたの物語です。