銀座6丁目並木通りの銀座天一 本店(*)銀座天一 本店(*)の敷居を跨いだ石内都と私は、カウンター席に腰を下ろし、目の前にある食材を眺めていました。そこにあるのは「海老」「椎茸」「ホタテ」。それに「茄子」と「アスパラ」。ありふれた野菜のひとつひとつをていねいに揚げるのが天一の伝統でしょう。ころもになる粉が水に溶かれ、それが油に数滴入ると、「シューッ」というきれいな音が室内に響きました。その音は、今にして思えば、これから始まる茶席のような会食の始まりを告げていました。
「シューッ」という音のしばらくあと、懐紙が敷かれた平皿の上に「茄子」が静かに置かれました。それを塩でいただくか天つゆでいただくかは各自の好みに委ねられています。石内が選んだのは塩でした。そして次のように言いました。「茄子がかっこいい」。「茄子が」、の次に来る言葉として「かっこいい」というのはあまり聞いたことがありません。美味しいでもなければ、甘いでもなく、かっこいい。でもこの言葉は天一の天ぷらのあり方を確かに言い表しているようです。油っこさがまったくない食感は、執着のないさっぱりしたさまに通じています。石内は「茄子とはこういう味だった」とも言いました。
また「シューッ」という音がして、次に懐紙の上に置かれたのは「海老」でした。これも塩でいただきます。同じ揚げ鍋の同じ油で天ぷらになったというのに、実際に口にしてみると「ころもが茄子とはまたちがう」。魔法にかけられたようとはこのことですが、或いは、本当に魔法でした。
天一は、1930年に矢吹勇雄氏が創業しました。胡麻油とコーン油をブレンドしたことなどで素材の風味をより引き出すことに成功した他、うつわや設えの細部にこころを配り、以来、数々の文化人や国際的な要人に愛され続けてきました。それは取りも直さず、矢吹勇雄氏をはじめ天一で仕事をする方々が、天ぷらと天ぷらを介した接客を愛したからでしょう。
天ぷらを揚げてくださった店長の大木謙二さんにお話をお聞きすると、揚げる油の温度を素材によって変えるのは当然で、同じ素材でも季節ごとに温度を少し変えているとのこと。はじめの「シューッ」という音は、油に入ったころもを通して、最適な温度を見極めていたのです。一通り天ぷらを揚げていただいた後に石内はこう言いました。
「天ぷらは好きだけど自分ではつくらなかった……。今日、季節ごとの天ぷらに、音があることを知った」
東京都中央区6丁目6-5
銀座にまつわるさまざまなモノから見えてくる、銀座の、石内さんの、そしてあなたの物語です。