森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 : XXXVI
銀座の土壌
資生堂銀座ビルでは、銀座の街から採集したオブジェクトを立体的にコラージュする、「SHISEIDO WINDOW ART 銀座生態図」を展開しています。この企画は3期に分かれていて、前期は「銀座の生態系」を採集したコラージュでした。前期の詳細は、「現代銀座考」XXIII に書きましたので、ぜひご参照ください。現在は、中期として、「銀座の土壌」を採集したコラージュが行われています。担当した資生堂のクリエイティブ ディレクターの堀景祐さんに、採集の成果をお聞きしました。
銀座が、かつて、江戸前島と呼ばれた、海に囲まれた半島だったことはよく知られていますが、今回、堀さんたちは、国土地理院で公表されているデータをもとに、その立体化を試みました。結果、例えば、資生堂銀座ビルのある銀座7丁目西側と、森岡書店のある銀座1丁目東側では、土地の高低差が2メートルもあることが、はっきりしました。晴海通りを、東銀座の方に歩いていると、なだらかに、下っていくような感覚がありましたが、2メートルも違っていたとは。確かに、森岡書店がある場所は、中央区のハザードマップによると、水没地域になっています。土嚢を準備しておくなど防災の意識が高まりました。
銀座の街路樹の下を調査すると、いくつかの土壌から、しじみなどの貝殻が出土する場合が多いことも判明しました。これらは決して古い貝殻ではないので、誰かが、何かの目的で埋めている可能性が考えられます。貝殻を土壌の養分にするという説も成り立つでしょうが、もしかしたら、現代版の銀座貝塚を構築しようと試みているのかもしれません。いずれにしても謎は深まります。
また、堀さんたちは今回、土壌のリサーチだけでなく、銀座の樹木で布を染める実験を行いました。いわゆる草木染ですが、実は、いま私たちが普通に使っている草木染というワードは、銀座で公表されました。『資生堂ギャラリー七十五年史』を読むと、1930年12月に、小説家で染色も行っていた山崎斌(やまざきあきら)(*1)が、古来の植物染料による染色と合成染料による染色を区別するため、前者を草木染と命名し、旗揚げの展覧会(*2)を開催したことが記録されています。
1956年、現在はユニクロ銀座店(*3)とドーバー ストリート マーケット ギンザが入居するギンザコマツビルが改築する際は、工事現場の土壌から、慶長小判、正徳小判、享保小判を合わせて208枚、さらに、一分金が60枚ほど発見されました。これらの小判と一分金は、国の「埋蔵文化財」として、上野の東京国立博物館に、現在も保管されているそうです。慶長は1596年から1615年、正徳は1711年から1716年、享保は1716年から1736年まで。その当時、この場所には何があったのでしょうか。江戸時代の地図を見てみましたが、はっきりしたことは、わかりませんでした。こちらも謎が深まります。
堀さんの銀座の採集は後期につづきます。今度はどんな謎が見えてくるのでしょうか。謎がちりばめられている街というのも魅力的です。
*2/ 草ノ木染信濃地織 復興展覧会
資生堂ギャラリーにて1930年12月7日~11日に、信濃工芸研究所の山崎斌が主宰で開催された展覧会。
*3/ ユニクロ 銀座店 ユニクロ(UNIQLO)のグローバル旗艦店。ブランド理念の「LifeWear」を表現したインスタレーションや初のカフェなどを設けるなど進化し、9月17日にリニューアルオープンした。
中央区銀座6-9-5 ギンザコマツ東館