森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 : XXXIII 銀座の清掃
1964年10月16日、高松次郎と赤瀬川原平、中西夏之によって結成されたハイレッド・センター(*1)が銀座の街を清掃しました。この清掃は「首都圏清掃整理促進運動」と名付けられたパフォーマンスでした。その様子を記録したモノクロ写真を見ると、白衣を着たメンバーが、路面を雑巾で拭いたり、箒で掃いたりしています。後方には、「ALMOND」と書かれた看板が写り込んでいます。1963年の住宅地図で「ALMOND」を探してみると、銀座6丁目並木通り角に立地していて、ハイレッド・センターが清掃したのは、銀座7丁目、虹色のルイ・ヴィトン銀座並木通り店前ということが判明しました。ちなみに、ここには当時、北海道新聞社が立っていました。
赤瀬川原平さんによれば、街行く人からは不審な目を向けられたり、パトカーに乗った警官からは激励されたり、さまざまな反応があったそうです。
ハイレッド・センターは、なぜ、「首都圏清掃整理促進運動」を行ったのでしょうか。64年の東京オリンピックの際は、来日する外国人にむけて、政府によって街をきれいにしようという動きがありました。しかし、当時は大気汚染もあったので、いわば、付け焼き刃的な対策。これに対して、ハイレッド・センターの徹底した清掃が、時代へのアイロニーになっていると考える向きがあります。
翻って、2021年8月8日、東京2020オリンピックの閉会式が開催されたこの日、アーティストの遠藤薫さん(*2)は、銀座7丁目、虹色のルイ・ヴィトン前を清掃しました。遠藤さんは、2019年の第13回shiseido art eggにて、ヴェトナム・ハノイの街を「布」で清掃したり、穴のあいた戦前の布に、蚕をはわせ、蚕自身に修復させた作品などで、 art egg賞を受賞しました。
今回の清掃に際し、遠藤さんは、銀座にゆかりのある布を用いました。銀座5丁目の「ルパン」(*3)の初代主人、故・高崎雪子さんが昭和30年代~40年代になじみのお客様のためにつくっていた風呂敷や手拭いを、現在の主人が昨年末から今年の年明けの頃に、現在のなじみのお客様にお渡ししたとき、遠藤さんも手にしたようです。それをご自身で縫い合わせて、雑巾にして、銀座の路面を拭いたのでした。
路面を拭いていても、街行く人から、不審な目を向けられることはありませんでした。警察官は通りませんでしたが、チェコからオリンピックの取材に来た方が通りかかり、一緒に、記念写真を撮りました。
この清掃を通して、遠藤さんはどのような感想をもったのでしょうか。銀座7丁目並木通りに立った遠藤さんにきいてみました。すると、ほとんど、もとのままの雑巾を持ちあげて、こう言いました。「銀座は清掃するまでもなく、すでに綺麗」。そして、次のように続けました。「でも、目に見えないものもありますから」
およそ1時間、拭き掃除をして、手を除菌して、現場を切り上げようとしたとき、おそらくルイ・ヴィトンのスタッフが、路面の掃き掃除を始めました。全くの偶然ですが、これで清掃が完結したような気持ちになりました。
*2 遠藤薫/2013年沖縄県立芸術大学工芸専攻染織科卒業。2016年志村ふくみ(紬織、重要無形文化財保持者)主宰、アルスシムラ卒業。沖縄や東京、愛知と各地方を拠点に、主に染織技法を用いて、制作発表を続けている。最近の主な展示に「第13回 shiseido art egg」資生堂ギャラリー(2019年、東京)、「Welcome, Stranger, to this Place」東京藝術大学大学美術館(2021年)など。来年7月30日(土)から10月10日(月祝)に開催される国際芸術祭「あいち2022」に参加予定。
*3 ルパン/1928年(昭和3年)に創業。銀座の街と共に100年近くの時を歩んできた老舗バー。太宰治を始めとする文学界などのそうそうたる顔ぶれが常連だった。
東京都中央区銀座5-5-11 塚本不動産ビル地階