森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 : XXXII 化粧の香り
朝、銀座線の新橋駅から銀座8丁目の方へ向けて階段をあがっているとき、風が吹いて、ふと化粧の香りがしました。きっと前を歩いている誰かの化粧の香り。しかし私は、それに覚えがありました。記憶を辿るまでもなく。少年のころ叔母が使っていた化粧の香り。そう思えたのでした。
少年のころ、私は、山形県寒河江市に住んでいました。叔母は東京で働いていて、年に数回帰省していました。叔母といっても、20代半ば。私は、叔母とトランプをするのが、大好きでした。ページワンやババぬき、大富豪など。郷ひろみの『ぼくたち男の子、ぼくたち女の子』を一緒にうたい、おしえてもらったりもしました。
叔母の部屋にいると、いつも、化粧の香りがしました。私は、たしかに、その香りが好きでした。それが、東京のイメージと直結していました。今となってみれば、間違いなく、そう思います。
上京したとき、一度だけ、叔母に好意をよせているとおぼしき男性と、私も一緒に、上野動物園を散歩したことがありました。もう40年以上前だけど、そのことを、よく覚えています。男性は楽しそうでしたが、私はあまり話さずにいました。山形の方言がすこし恥ずかしかったせいもありますが、叔母はその人に、気がありませんでした。たぶん。こどもでも、そうわかりました。うなぎをご馳走になって、すぐに帰りました。そのとき写真を一枚撮ったはず。まだどこかにあるのなら、見てみたい。座敷のテーブルに座った少年の私。今の私よりも、ずっと若い叔母。
叔母は、数年前に、他界しました。身内をいうのも何ですが、きれいな人でした。年を重ねてもきれいな人でした。お化粧がよく似合う人でした。わたしは、新橋駅の階段をあがりながら、独身時代の叔母も、こうして、朝、ひとり、仕事に出たのだろうと思いました。涙が出そうになりました。どんな気持ちで化粧品を買っていたのだろうとも思いました。
その日の午後、銀座3丁目の「SHISEIDOGLOBAL FLAGSHIP STORE」を訪れて、いくつかの化粧品のうちオイデルミンを手に取りました。オイデルミンは、40年前も同じネーミングで販売していました。ふたをあけると香りが漂いました。赤いボトルの先に垣間見えたのは、少年のころに感じた東京の華やかさ、叔母との思い出。楽しかったトランプ。40年の時間。
この香りだったような、そうでないような。ただ、40年前の叔母も、この香りを好きになっていたでしょう。そう思うと、鏡にうつった私の目尻に、数滴のオイデルミンをあてたくなりました。