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まぶたの裏、表

2023.12.15

まぶたの裏、表 Vol.13 もう一度触覚と写真について

文・写真/細倉 真弓

写真をとおして「ものを見ること」を考察する、写真家・細倉真弓さんによるエッセー、第十三回をお送りします。実際に手に触れたときの触覚と、写真を見て直接的に呼びかけてくる触覚の違いと、呼び起こされる体感について。

 

Vol.13 もう一度触覚と写真について

物心がついた頃から布の縫い目を触ることへの執着というのが私にはある。そこにはある一定の条件があって、ある程度程よいかたさと柔らかさをもった布地で、薄すぎても厚すぎてもだめ。ちょうどベッドシーツくらいの薄さからやや厚めのTシャツ生地くらいの間に収まると思う。布地のかたさは縫い目をかたち作っている糸の密度や太さとの関係で変わってくるのだけれど、縫い目を横になぞったときに適度な段差や抵抗を感じられるくらいにはかたさがあるほうが好ましい。子供の頃はそれこそライナスの毛布(*)的な役割を背負わされたお気に入りのTシャツがあり(ちなみにそれは当時通っていたスイミングスクールのTシャツだった)、なぜかそれを手ではなく足の指で挟んで縫い目の触感に浸りながら眠りについていた。いまそのときのこと、目を閉じて足の親指と人さし指の間から伝わる縫い目の感触に沈みつつ眠りに落ちるときのこと、を思い出してみると、足の指から届く柔らかいけれど緊張感をもった刺激が脳に直接届くような、言葉にできない心地よさがあった。
大人になってからは眠るときにライナスの毛布的縫い目を必要とすることはなくなったけれど、それでもこの嗜好は自分が写真を撮るようになった後も少なくない影響を与えているような気がしている。
触覚的な視覚については以前書いた超近距離でのスキャナー写真のピント面と触覚のゼロ距離性(まぶたの裏、表 Vol.05 近視とスキャナー)という側面も自分にとってはかなり面白いことなのだけれど、今回の視覚と触覚の関係性はより感覚的なもの、よりあいまいだけれどなぜか確信的なものといえる気がする。

2023年のいま、写真は以前よりも「触れられる」ものになっているのだろうか? 確かにiPhoneやタブレットで表示されたイメージを指で拡大縮小したりスワイプしたりしている行為はなんだか写真に触れているような気にはなる。けれど実際に私たちが触れているのはイメージそのものではなく、タブレットやスマートフォンの表面のガラス部分でしかない(ガラス面のひび割れに指先が触れたときの嫌な引っかかりという感覚はかなり気になるものではあるけれどここでは置いておく)。そういう意味では紙に印刷された写真も触れているのは紙であり、イメージ、写真そのものではないわけで、その触れられなさ自体はずっと変わってはいない。
そうではない、イメージそのものの引き起こす触覚的な体感の強制力というものが私は気になっている。たとえば岩肌のゴツゴツとした感触や蜂蜜のねっとりとした質感というのはわかりやすい。若い女性のつるりとした二の腕の感じや、男性の体毛に見る質感も生理的な感覚が喚起されて面白い。あるいは超高解像度で撮影された密集する都市の景観写真、高精細に記録された無数のビル、そして何百とある窓、その窓際に飾られた装飾までも見えるような、このときズームインして細部を見たくなるけれど引いて写真の全体像を見たときに圧縮された高密度のピクセルがこちらに与えるゾワっとした感覚。動物の毛皮をスキャナーで記録してみる、そのふわふわとした質感は細部まで漏らさず記録され、その毛の一本一本が拡大すれば見ることができる、この瞬間の、脳を直接触られているようなソワソワとした気分。

このときにふと思うのは、ファーという柔らかくふんわりとした実際の触感と、そのファーをスキャンした画像を見て感じる脳のゾワリとした感じ、というのが異なる、ということだ。過去にファーに触れて覚えている感触を感じているのではない、多少はその記憶が影響はしているのだろうけど、もっと大きな強制力が目から飛び込み脳に届いているような感覚になる。この直接的な呼びかけ、のようなものに私は視覚の触覚性を感じる。その感覚は必ずしも写真に写っているイメージと同期しない。柔らかいものを柔らかく、冷たいものを冷たく感じるようなことではない。そうではなく、すねに生えた縮れた体毛のイメージを見ては、羽毛で目の裏をなぞられるようなそんな感覚。写っているものの意味ではなく、写っているものが呼び起こす体感そのものといえるようなもの。

この感覚について考えるときにいつも思い出すのが、小さい頃に眠る前、足の指で布地の縫い目をなぞっていたあの瞬間なのだ。目を閉じた状態で足の指から伝わる感触はイメージをもたずただ直接脳に快いものとしてやってくる。あの心地よさに似たものを写真(あるいは映像)で見ることが自分の中に喜びとしてずっとあるような気がする。

*ライナスの毛布
別名「安心毛布」。幼児がお気に入りの毛布やぬいぐるみを身近に置くことで安心感を得るように、人が特定の物に執着する状態。また、その対象物をいう。スヌーピーの漫画『ピーナッツ』に登場する少年ライナスがいつも肌身離さず毛布を持っていることから「ライナスの毛布」とも呼ばれる。

細倉 真弓

写真家

東京/京都在住
触覚的な視覚を軸に、身体や性、人と人工物、有機物と無機物など、移り変わっていく境界線を写真と映像で扱う。立命館大学文学部、及び日本大学芸術学部写真学科卒業。写真集に「NEW SKIN」(2020年、MACK)、「Jubilee」(2017年、artbeat publishers)、「transparency is the new mystery」(2016年、MACK)など。
http://hosokuramayumi.com