次の記事 前の記事

Column

2018.07.13

銅版画という小さな世界の奥深さに迫る「浜口陽三と南桂子展 ーふしぎな世界への小さな窓ー」

文/住吉智恵

浜口陽三《パリの屋根》1956年
カラーメゾチント・紙
武蔵野市立吉祥寺美術館蔵

版画芸術史にその名が刻まれ、近年ますます国際的評価が高まる銅版画家・浜口陽三(1909-2000年)と南桂子(1911-2004年)。類い稀なこの芸術家夫妻の二人展が開催されている。
 和歌山県の醤油造りの家の三男に生まれた浜口は家業を離れ、東京美術学校(現東京藝術大学)に入学するが中退して渡仏。大戦により一時帰国したが、戦後はパリに定住し、銅版画の技法メゾチントに本格的に取り組んだ。
  独学で道具や技法を探求し、黒の濃淡の微妙な階調を細やかに表現する伝統的なメゾチントの世界を発展させ、色版を重ねて刷るカラーメゾチントの技術を新たに開拓したことで知られている。フランス語でマニエル・ノワール(黒の技法)を意味するこの技法に豊潤な色彩を取り入れた、唯一無二の作家である。

 メゾチントは銅の板を何ヶ月もかけて繊細に彫るという、気の遠くなるような技法だが、浜口が編み出したカラーメゾチントはさらにその上を行く、多大な時間と労力がかかるのだという。
 たとえば代表作である『14のさくらんぼ』(1966年)。黒の背景に浮かび上がる赤い色はなぜこれほど鮮烈で濃厚で瑞々しいのだろう。画面の大半を覆う背景の黒にその秘密がある。

浜口陽三《14のさくらんぼ 》 1966年
カラーメゾチント・紙
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション蔵

 離れて見ると絵肌はしっとりと漆黒のビロードのような風合いを持つが、間近で見ると小さな点が寄り集まって色面を構成し、単調な黒一色でないことがわかる。それは磨き込まれた黄、赤、青、黒、4色の版の重なりによるものであり、赤の補色を含む複雑な色の闇によって赤という色が引き立たせられているからなのだ。

南桂子《城と睡蓮》1977年
エッチング、サンドペーパー・紙
群馬県立館林美術館蔵

 南桂子は富山県に生まれ、女学校時代にはすでに絵画や詩作を始めていた。戦後の東京で、浜口陽三との出会いから本格的に銅版画家として歩みはじめ、1953年に夫とともにフランスへ旅立つ。

 子どもの時分、自由が丘の洋菓子店モンブランの包み紙や少年少女世界文学全集の挿絵を通して、南桂子の絵の世界に親しみ、憧れた。薄紙を通したような淡い色彩とレースのように繊細な線描で表現された絵は口数少なく、声高に寓意を物語りはしなかった。だからこそ、ディズニーやジブリのアニメのような単一の世界観を植え付けられることなく、幼い者も自由に想像を広げられることができたと思っている。世界の闇も光も複雑に構成されていることを絵画が暗に教えてくれたのだ。
 のちに銅版画家であり童話作家でもある彼女の画業を知ることとなった。いま見てもその詩情に満ちあふれた作品世界に惹かれる理由の1つはその視点にあるのかもしれない。

南桂子《2人の少女と猫》1969年
エッチング、サンドペーパー・紙
高岡市美術館蔵

 遠い丘の上の城や聖堂。まっすぐに立つ樹とそこにとまる鳥。小動物を抱え無言で佇む少女たち。繰り返し描かれたモチーフはまるで夢遊病の子どもが眺めた半透明の現実のようで、孤独と寂しさと安寧に包まれている。
 そして、どこかにあるかもしれないその世界を遠く見つめる作者である南桂子の視点は、どこか心地よい無関心さと懐かしさを帯びた、いにしえの吟遊詩人のまなざしなのだ。

会場:神戸市立小磯記念美術館
〒658‐0032 神戸市東灘区向洋町中5丁目7
電話:078‐857‐5880
http://www.city.kobe.lg.jp/koisomuseum/
会期:7月14日(土曜)~平成30年9月2日(日曜)
休館日:月曜日(ただし7月16日は開館)、7月17日
開館時間:午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)
入 館 料:一般800(600)円、大学生400(200)円

住吉智恵

アートプロデューサー/ライター

東京生まれ。アートや舞台についてのコラムやインタビューを執筆の傍らアートオフィスTRAUMARIS主宰。各所で領域を超えた多彩な展示やパフォーマンスを企画。子育て世代のアーティストと観客を応援する「ダンス保育園!!」代表。バイリンガルのカルチャーレビューサイト「RealTokyo」ディレクター。
http://www.realtokyo.co.jp/