私たちが日々を送るこの現代生活における「豊かさ」とは何か、さまざまなフィールドで活動する方々へのインタビューを通して考える短期連載企画「現代生活の考察」。9月17日から配布する『花椿』最新号との連動企画でお送りします。第一回にご紹介するのは、芸術家の杉戸洋さんのインタビュー。本誌では一部しか触れていないインタビューを全文掲載でお届けいたします。
――2021年から2023年まで資生堂ギャラリーで開催される『第八次椿会』展の展示コンセプトには、「あたらしい世界を考える」という言葉があります。杉戸さんは特に新型コロナウイルス以降、世界は新しくなったと感じていますか?
杉戸洋(以下、杉戸):
正直、自分のなかではあまり変わっていないです。むしろ、自分は美術大学を卒業してから、木こりをして山暮らしをしようと思って、美術を捨てて電気もガスもない地方の田舎に引っ越したんですけど、そっちのほうが自分にとっては「あたらしい世界」でした。水は沢から引かないといけなかったけど、でもそれが全然苦痛じゃなくて楽しかったんですよね。当時といまの自分の普段の生活と比べると、やっぱりいまはギスギスしていると思います。
――具体的には?
杉戸:
身の回りの生活が慌ただしくて、ものをひとつひとつ見る時間が少ないですよね。絵を描くことは、ものを観察することなんです。だけど年々観察力が甘くなっていると思うんです。自分に対しても、美術全体に対しても、ものを見る精神性が生ぬるくなっていると感じます。
――どういうことでしょうか?
杉戸:
例えば藝大のある上野公園には動物園も美術館も喫茶店もあって、さらに駅に下るとアメ横もあって、てんこ盛りですよね。どこに行っても人の頭で一杯、情報が非常に多い。そういう風景は、そのままだとなかなか絵にしにくいんです。フォーカスを部分に絞り込まないと作品にならない。だからたぶんみんなも、自分の興味があるものをピンポイントで残して、ほかの情報を間引かないと生活できないと思うんです。それがいまの人たちの、悲しみなのかはわかりませんが。
――杉戸さんが興味あるものは何でしょうか。
杉戸:
懐かしく思えるものや風景だと思います。例えば1950年代の絵画の額縁と、いま売られている額縁を比較すると、自分は50年代の額縁に目が行ってしまう。それがいま失われているから、求めるんだと思うんです。そういうものを想像させる隙間みたいなものに、いつも敏感に反応してしまうんです。ちょっとした、面影とか匂いとか。
――今年の『第八次椿会』展の展示テーマである「生活を豊かにするもの」として、杉戸さんはイーゼル、レリーフ、マンゴーの種を挙げています。イーゼルとレリーフはアートに関わりそうだから想像できるんですが、マンゴーの種を選んだのはなぜですか?
杉戸:
マンゴーの種ですか? どう答えたらいいか……(長い沈黙)……自分でも謎です(苦笑)。
――「これは何だ?」と人に聞かれて、答えられないけど、だけどずっとそこにあるもの、というような?
杉戸:
そうですね……マンゴーの種を洗って、干して、漂白剤に入れて、また干すと、種の繊維がきれいに出るんです。結構手間がかかるし、取っておいても食べられないんだけど、そういう意味では贅沢なものかなと。理由も目的もなくやってしまう行為というか。あと、最後まで味わいたいから、マンゴーの種をアイスキャンデーみたいにいつまでもしゃぶりますよね。あれが結構、幸せな瞬間かもしれない。そういうばかばかしいことって、幸せですよね(笑)。
――杉戸さんは昨年の『第八次椿会』展で、「無駄なこと、贅沢なことを、なくさない社会になってほしい」とコメントを寄せていましたね。
杉戸:
自分がまたどこかの山小屋に引っ越したとして、まず何を置くかと言ったら、もしかしたらマンゴーの種かもしれないです。自分の作品よりも、マンゴーの種があるほうが、幸せな生活が想像できるような気がしませんか?(笑)
――お話を聞きながら、私だったら山小屋に何を持っていこうかと考えたんですが、ぱっと思いつきません。確かに、自分にとってのマンゴーの種のような存在を見つけられるのが、豊かな生活なのかもしれないですね。こういうものと、芸術作品は、どう結びつくのでしょうか?
杉戸:
作品って、意外とあんまり大事じゃないというか、捨ててもまたつくればいい。大事なものは自分ではつくれなくて、他人がつくるものからしか得られないと思うんです。逆に自分ではつくれないから、一生かけて制作する。やっぱり、他人に大事にされるものが残っていくんですよね。時代によっては捨てられていく一方で、生活のレベルで代々引き継がれていくものもある。芸術はそういうものになってほしいと思います。
――『とんぼ と のりしろ』展(東京都美術館/2017年)のとき、どこかの取材で杉戸さんは、「いつか古くて落ち着いた喫茶店のための良い絵を一枚描くことが夢」とコメントしていたのが、すごく印象的でした。
杉戸:
そうそう、考えはまったく同じです。その喫茶店には絵がなくてもいい。絵があると邪魔だとも言えるので(笑)。やっぱり必要なのは美味しいコーヒーですよね。それがマンゴーの種につながるのかなと思うんです。ただ、マンゴーの種を提示しても、喫茶店から資生堂ギャラリーに空間を切り替えないといけない。そこが今回の制作のポイントです。
――いまのお話で豊かな生活から芸術が立ち上がる瞬間を垣間見れた気がしました。展示を楽しみにしています。
第二回へつづく。
杉戸 洋
1970年愛知県生まれ。92年、愛知県立芸術大学美術学部日本画科卒業。小さな家や、空、舟などのシンプルなモチーフを好んで描き、繊細かつリズミカルに配置された色やかたちが特徴。2016年の個展「杉戸洋──こっぱとあまつぶ」(豊田市美術館)では、建築家・青木淳とコラボレーションし、会場を構成したほか、17年の東京での美術館初個展「杉戸洋 とんぼ と のりしろ」(東京都美術館)では前川國男が設計した美術館の展示空間と呼応するような幅15メートルの大作《module》(2017)を発表した。武蔵野美術大学美術館で2021年開催の「オムニスカルプチャーズー彫刻となる場所」では、会場構成を担当。平成29年度(第68回)芸術選奨、文部科学大臣賞受賞。写真は2021年の資生堂ギャラリー「第八次椿会」出展作品《おきもの》。