Column
2022.07.08
玖保キリコ インタビュー「世の中にフィットしずらい不器用な私の快適な生き方」
絵/玖保キリコ
文/トミヤマユキコ
大好評連載中の「くるまれてクリスチナ」の著者、玖保キリコさんがイギリスから日本に帰国された5月。かねてから玖保作品の大ファンだったマンガ研究者でライターのトミヤマユキコさんが、玖保作品の魅力から「くるまれてクリスチナ」のお話し、登場キャラクター”うさみみ”からみる日本社会の生きづらさ、そして玖保さんの生き方についてお聞きしました!
トミヤマ:個人的な話で恐縮ですが、私にとって玖保さんは特別なマンガ家です。私は両親からマンガを禁止されて育ったんですが、『シニカル・ヒステリー・アワー』(白泉社文庫)だけはこっそり買い集めていたんですよ。
玖保:実はバレてたのでは(笑)。でも『いまどきのこども』(小学館文庫)を週刊スピリッツで連載していた時に、これは青年誌だけど『いまどきのこども』だけは読んでいいと保護者から言われたというお便りをもらいました。子どもの話だし、色っぽいエピソードもないですしね。
トミヤマ:たしかにそうですね。私がなぜ『シニカル』にハマったかと言うと、キリコとツネコの関係に風通しのよさを感じたからです。お互いに「チッ、なんだよ!」って思う瞬間があっても、絶交しないでうまくやっている。ある意味ドライに友達をやっているのがすごく大人だな、かっこいいなと思って。こうした要素は「くるまれてクリスチナ」にもあるなと思いました。登場人物たちが適度な距離感を保ちながら交流していますよね。
玖保:私は「この話をするんだったらこの友達」って細分化して付き合うんです。相手との関係性を大切にしたいから、個別に付き合う。みんなまとめちゃうとうまくいかないこともあるので。私とAさんはOK。私とBさんもOK。でもAさんとBさんがOKとは限らない。ときどき友達から「誰か紹介してよ」と言われるけど「絶対紹介しない! 私、独占欲強いからさ!」っていうふうにしておいて、友達同士を混ぜないようにしています(笑)。作品にもそういう考えが反映されているかもしれません。あとは、マンガを描くときの各キャラクターの性格って、自分の一部を投影しているので、それぞれを分けて扱いたい、混ぜたくないっていうのもありますね。
トミヤマ:スナックを舞台にしようと思われた理由を教えてください。
玖保:その昔、知り合いのマンガ家さんが二丁目のゲイバーに連れてってくれたんです。そこでめちゃめちゃいじめられて「意地悪……!」と思ったので、自分が描くときは意地悪じゃないママを出したいなと思いました。あとはお店にいろんな人が来るっていう風にすると、そこでの関係性も展開できるし、新しい人も入れられます。
それと「自分の立ち位置って何?」みたいな疑問が、人それぞれあると思うんですけど、たとえ人生うまくいかなくても、ちょっとした居場所的なものがあると嬉しいかなと思ったので。
トミヤマ:「クリスチナ」ではみんな動物の着ぐるみを着ていますよね。『バケツでごはん』や『動物占い』を手がけた玖保さんならではだと思いました。
玖保:なんというか、人間でやると生々しすぎる部分が、動物だとちょっと違う感じになって、逆に描きやすい。それが私のやり方なんですが、着ぐるみは今までやったことがないですね。人間と動物が半々になっているのは新しいパターンです。着ぐるみを着る人もいれば着ない人もいるっていうんじゃなく、みんなに着ぐるみを着せる。そういうバカバカしさによって、違う次元に行った感覚で楽しめるのが面白いかなと。あと、着ぐるみを着せると服を考えなくてすむんですよ(笑)。
トミヤマ:主人公のうさみみは、花椿の読者層とも重なる存在です。成熟した大人の女になりきれず、悩みながらちょっとずつ成長しています。
玖保:そうですね。一見ふつうなのに、なんか妙に自信がなかったりする人っているじゃないですか。マウンティングされると「うう〜(泣)」となっちゃうタイプ。
トミヤマ:日本にはうさみみのような人っていっぱいいると思うんですが、イギリスで生活されている玖保さんには、日本の20〜30代がどう見えていますか?
玖保:傷つきやすいというイメージがあります。他人から見るとちょっとしたことだけど、本人はすごく傷ついちゃってるっていう。この人たちはなんでこんなに傷つきやすいんだろうと思います。自分が年を取って図太くなっているのか、あるいは若者が傷つきやすくなっているのか、わからないですが。
でも、私もわりと生きづらい人生を送ってきてるんです。どこにもフィットしてないなっていう気持ちがずっとあって。フィットしない子供時代、フィットしない中高校時代、フィットしない大学時代。そのあとマンガ家になって、個人営業だから会社の中にいるよりは楽だけど、ふっと気付くとマンガの世界にフィットしない自分っていうのがいた。そういう点では、どこの世界にもフィットしていないという……。イギリスに住んでいてすごく楽なのは、外国人だからフィットしなくて当たり前だという開き直りの境地になれるからです。
トミヤマ:完璧にフィットして生きてる人っているんですかね?!
玖保:いないかもしれませんね……。フィットするというのは幻想かもしれない。
トミヤマ:フィットしない人生を送ってきた玖保さんを支えてきたものはありますか?
玖保:マンガ家である自分っていうのはすごく支えになったと思います。それまでは「私って何なの?」と思っていたのが、一応マンガ家になったことで、アイデンティティをもらった感じがしました。「フィットしてないけどいいの、マンガ家だから」みたいな。マンガ家であることで広がった世界っていうのも色々あります。マンガ家の友達経由で音楽関係や映画関係の人と知り合えました。それはすごく幸せなことだなと思いますね。
トミヤマ:そんな玖保さんを支えている作家・作品を教えてください。
玖保:日本に帰国すると必ず大島弓子先生の『いちご物語』(白泉社文庫)を読んで泣きます。あとは名香智子先生の『PARTNER』(小学館文庫)を1巻から17~18巻まで読んで、読み終わると今度は逆から読む。「なんでこれやってるんだろう?」と思うんですけど、毎回やるんです。
トミヤマ:大島弓子先生の名前が出てきてすごく納得しました。大島先生もフィットしない系女子を描くじゃないですか。
玖保:そういう部分はありますよね。かわいくリリカルに描いてはあるけど、そこだけ読むと「わ、ハード!」となります。
トミヤマ:大島先生と比較すると、玖保さんの場合はキャラクター造形やユーモアのおかげで、表現がまろやかになっていますが。
玖保:ちびちびした人たちだから、深刻にはならないですね(笑)。私ってたぶん暗いと思うんですよ。本質がネクラっていうか。今は人間づきあいをそれなりにこなせるようになってるんですけど、振り返るとやっぱり不器用でダメだった私がいて。「あの時代にタイムワープでたら、もうちょっと人間関係をうまく築けたかな? やっぱり無理か!」みたいなことを時々考えます。
トミヤマ:「クリスチナ」には、不器用だった過去の玖保さんの思いが込められているように思います。
玖保:私の好きなサミュエル・ベケットの言葉に「何度も挑んだ。何度も失敗した。かまわない。また挑め。また失敗しろ。次はもっとうまく失敗しろ」(『いざ最悪の方へ』書肆山田)というのがあります。失敗するな、じゃなくて、失敗したらその次はもっとうまく失敗しよう。私は「これだな!」と思ったんです。
トミヤマ:いい言葉ですね。うさみみもうまく失敗する方法を身に付けて、お店の外にあるリアルな人間関係の中でも活かしてくれたらと思います。
玖保:うまくやれるといいですね!