三輪山と平地の縁を沿うように、「山の辺の道」という林道が伸びている。大神(おおみわ)神社(前回記事参照)からこの道をつたって、神水で知られる摂社・狭井(さい)神社に向かった。三輪山に入山する道は狭井神社の脇から伸びているが、この春の旅では登拝しなかった。境内の森は懐に池を湛え、かすかに聞こえる水の音に心がほぐれた。こんな環境なら、神もきっと居心地がいいだろう。
池のほとりに三島由紀夫の碑があった。「清明」と彫られていた。遺作『豊饒の海』第二巻「奔馬」の執筆のため、三島は三輪山を訪れたという。作中で大神神社は、世事に汚れた諸悪を断じて許さない、主人公・飯沼勲の、たったひとつのよすがとなる「純粋さ」の象徴として、登場する。少年はあらゆるものを削ぎ落として、純粋に至ろうとする。三島の筆には痛々しいまでの緊張が走っている。だけど、私はこうも思う。一切の濁りを捨てることなんて、本当にできるのだろうか。多様であることを寛容したのが世界なのではないだろうか。
自然に存在する美しさに、人は突き動かされ、自分の手で何かを形づくろうとして、それが文化となり、芸能と呼ばれ、やがて芸術に至る。だけど芸術は、いつの頃からか、人間だけに許された特権になってしまった。美しさは、人間の視点から認められない限り、存在できないようになってしまった。いつしか人は、珍しいものや、見たことのない新しいものに価値を求めて、突き進んでいく。ひとりの人間の思いは、強ければ強いほど、多様なまま和した森と、ついに拮抗していく。それはどこまでも成長することを目指した人間の性だろう。だけど人間は、自分たちの成長を、信じすぎたのかもしれない。
山の辺の道を歩いて、檜原(ひばら)神社に着いた。ここも大神神社の摂社で、天照大神(あまてらすおおかみ)が主に祀られている。ここもまた、本殿がない。もっと驚いたことには、拝殿すらない。つまり、屋根も壁もない、がらんとした空間を挟んで、鳥居に向かい、その奥にある榊の木に向かって祈りを捧げるのだ。榊の木が神の宿る依代(よりしろ)であることは間違いない。だけどその榊も巨木ではなく、周囲の森に守られるようにして、小さく、そっと立っていた。むしろこの神社を取り巻く空間自体が、山から居場所を借りているような印象すらあった。
参道は、普通なら森に囲まれているけれど、ここは梅や野菜の畑、茶店があるだけだ。昔はどうだったかわからない。でも少なくとも現在は、こんなにも長閑な風景にある。そして、大神神社も狭井神社もそうだったが、入口にある鳥居は、表皮をきれいに削られた木(おそらく杉だろう)が両脇に立ち、その間を縄が渡してあるだけだ。きっと昔は、縄もなく、二本に立つ杉そのものが鳥居の役割を果たしていたのではないだろうか。
自然とともにある暮らし。信仰や文化や文明が自然と寄り添っていた風景。そこに宿る美しさ。……平和だった。調和に満たされていた。原始的だ。そんな言葉が思い浮かんだのは、ここにある人間の営みが、自然を尊重する範囲に留まっていたからだった。私はこの風景を知っている。知っているはずなのだ。その場に立ち尽くすほどの深い感動も、周囲のあまりの長閑さに、やさしく解けていった。
のどかというものは、これが平和の内容だろうと思いますが、自他の別なく、時間の観念がない状態でしょう。それは何かというと、情緒なのです。
岡潔『人間の建設』(小林秀雄との共著、新潮文庫)