美の起源を探す旅から閑話休題。今日は少し時事的な話から始めよう。
世界は複雑になってしまったと、以前書いた。正確に言うなら、複雑であることを思い出したのだ。「これしか道はない」と大声で強く訴える政治家や、なんでもひと言で解答を迫る風潮、つながりのある情報ばかりに身を浸して多数派気分を味わわせてくれるSNS……などに接していると、こういうことにはなかなか気が付かない。問題が単純化されているからだ。テロのような悲しい不条理への自衛反応なのかもしれないが、身を固くすればするほど隣人との溝は深まり、複雑さはより混迷するばかりだ。
しかし、不条理とは何だろうか。1960年代にデビュー、しばらくのブランクを経た後、不器用で笑いを誘う恋愛映画『アンナと過ごした4日間』で監督業に返り咲き、続く『エッセンシャル・キリング』ではヴィンセント・ギャロの顔をひたすら追った円熟の映画監督スコリモフスキは、現在公開中の最新作『イレブン・ミニッツ』で、人生における不条理を訴えている。ある取材で彼は「人生とはそういうものだ」とすら語ってしまうのだ。これは、たとえば父がナチスに処刑されたという、自らの人生にある不幸な面ゆえの諦念だろうか。喜寿を過ぎた老境の悟りだろうか。
『イレブン・ミニッツ』は11人と1匹のストーリーが同時並走する都市群像劇で、それぞれが抱える事情に追い詰められながらも、噛み合わず、すれ違い、いつになっても誰ひとりとして、ちっとも救われない。サスペンス調ではあるが、事件の解決は先送りにされ、謎は謎のまま保留される。かといって、舞台であるワルシャワの街がおおらかに抱きしめて慈しんでくれるわけでもない。この心理的な密室劇に出口はないのか、結末はどうなるのかと見守っていると、ラストは登場人物が抱えるそれぞれの物語が不条理に放擲され、別の大きな問題へと、一瞬ですり替わる。
何だこれは? 何が悪いのだ? そんな観客の当然の疑問を先回りするように、本編ではすでに解答が述べられている。「誰のせいでもないのだ」と。そして映画はもう、何も語ってくれない。観客は突き放された。この映画自体が、不条理なのだ。
スコリモフスキは言う、「確かなものは何ひとつとしてない」「それが人生だ」。そうだろう。そうかもしれない。確かに世の中は、説明のつかない、わからないことだらけだ。だけど、だからと言って指を咥えて眺めていれば、それでいいのだろうか。不条理とは、確かに不幸ではあるけれど、休符のようなものだ。慰めあうことはとても大事だが、現実をシニカルにあきらめたり、留まったりするばかりでは、意味がない。何かにすがりたい感情が沸いても無理はない。だけど完璧なものなんて存在しない。誰かが決めたヴィジョンが正解だとは限らないし、何かが語ったことが真実だとも限らない。答えを探し、態度を決めるのは、ひとりひとりである……本作はそのことを示している。
『イレブン・ミニッツ』 英題:11 MINUTES
監督・製作・脚本:イエジー・スコリモフスキ
出演:リチャード・ドーマー、ヴォイチェフ・メツファルドフスキ、パウリナ・ハプコ
2015年/カラー/ポーランド、アイルランド/81分/デジタル
提供:ポニーキャニオン、マーメイドフィルム 配給:コピアポア・フィルム
URL:mermaidfilms.co.jp/11minutes
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