いま世界は「風の時代」に変わりつつあるという。これは占星術をもとにした考えで、あまりピンとこない方もいらっしゃると思うが、昨年冒頭からはじまった世界的なコロナパンデミックのもとで急速に世の中が変化していることは多くの方が実感しているはず。ここで浮かび上がるキーワード、リモート勤務による「デジタル化」やデジタル上の「コミュニケーション」、さらに自粛の小休止で考えはじめた「個人としていかに生きるか」というテーマはすべて、占星術上の風のエレメント(より具体的にいうと「みずがめ座」を指す。占星術には大きく分けて火・土・風・水の4つのエレメントがある)に属する事柄といわれている。そんな風の時代の開幕元年ともいうべき今年、ドイツから一本の映画が届いた。それは風…ではなく"水の精"、ウンディーネの神話をもとにした映画『水を抱く女』である。
物語の舞台は現代のドイツ、ベルリン。主人公のウンディーネは歴史家として、博物館で観光者へのガイドを生業としている。ひとつの別れのあとに訪れた運命的な出会い、しかしウンディーネには「愛する男に裏切られたとき、その男を殺して、水に還らなければならない」という定めがあり、神話に導かれるように自らの宿命に対峙する物語が描かれている。本作の監督は『東ベルリンから来た女』などで知られるクリスティアン・ペッツォルト。時代が重層的に重なるベルリンの街の歴史と、全編にわたり流れるバッハの調べがウンディーネの物語の普遍性、寓話性を強調し、美しくメランコリックな世界観で神話を現代に再現した。
劇中いたるところに感じるのは”水”の存在。カフェの水槽や湖、運河など、まるでウンディーネは片時も水を離れては生きてはいけないように、始終水の影がさしている。タイトルが示唆するように、この物語のテーマは”水”。この“水”が意味するところは何か、占星術家の青石ひかりさんが教えてくれた。
水があらわす「感情」と「癒し」、「一体化」
「占星術で水のエレメントが示すキーワードは、『感情』や『癒し』、そして相手とひとつになるという意味の『一体化』です。水の化身であり、愛する者を自分の手元にからめとろうとするウンディーネの根深い愛、そして彼女が運命的に出会った潜水作業員クリストフは、水場を居場所とする特殊な職業の男性です。水と親和性の高いキャラクターとして描かれるクリストフは、失恋に傷ついたウンディーネの心をたちまちのうちに癒します。二人の間にはそれほどたくさんの会話は必要ありません。そのようなふたりの水的な要素が作用して、街を歩くときもどこでも寄り添っているような親密さが本作では強調されていますね。」
クリストフと一緒のときのウンディーネはとても朗らかで美しい。クリストフの大きな愛に包まれた、心からの安堵が見て取れる。しかし本作には今の時代にふさわしく、”風”のキーワードも見え隠れしているという。
風が示すもの、そして風の時代をどう生きるか
「この映画では”水”を表しながらも、つねに”風”との対比が見られます。それが端的に表れているのが、作品冒頭ウンディーネに別れを切り出してきた前の彼、ヨハネスとの関係性。ヨハネスはことばを継いで言い訳を重ねる。ことばは風の象徴なので、ヨハネスは風の人ともいえる。風の人、ヨハネスの言い訳をずっと黙って聞いている水の人、ウンディーネ。あるシーンで彼と新しい彼女(よく”喋る”人)、ウンディーネとクリストフ(ともに無言で抱き合っている)がすれ違う場面があるのですが、とても印象的でした」
ヨハネスと対峙するウンディーネもまた、海水のようなたっぷりとした情感をたたえながらも、ガイドの仕事でベルリンの歴史を語るさいにはとても饒舌に。この知的な姿は風の一面ともとれ、ウンディーネは水と風どちらももちあわせる人とも思えるそう。水とともに本作のもうひとつの要素である、”風”。この風が意味するもの、そして風が強調される今の時代に私たちはどのようなことを意識したらいいのだろう。
「不安から沸き起こる恐怖心で豊かさを目指したこれまでの『地の時代』は我慢、忍耐が美徳とされました。しかしこれからの『風の時代』では地の時代に形骸化したものを補うように、恐怖に駆られなくても自由に豊かになれるものを模索する時代。合理的、精神的によく生きようという機運が高まります。地が”物質”、水が”癒し”で人を豊かにするとすれば、風は”均質”で人を豊かにします。さまざまなアンコンシャスバイアスや偏見をデリカシーで取り締まり、ジェンダーレスやボーダレスなど個の権利が平等な社会を目指すのです。点数をつける競争ではなく、個々人の個性が尊重されるような幸せモデルの変化が起こるでしょう。そんな風の時代に届いた本作は、少し早いですが、風の時代の次に控える『水の時代』を暗示しているようでもあります。合理性や情報に重きをおく風の時代の中で足りないものは何か、考えるきっかけを与えてくれているのかもしれないですね」
ウンディーネの物語は時を超えて
ギリシャ神話にその起源をもつウンディーネの物語に触発された作家は、アンデルセンやチャイコフスキー、ドビュッシーなど数知れず。作家フリードリヒ・フケーによる名作『水の精ウンディーネ』に至ってはゲーテが「ドイツの真珠」と称し、三島由紀夫も『仮面の告白』に登場させたことでも知られている。彼らはウンディーネの、どこまでも深い感情、慈愛、自らの悲しい宿命を受容していく覚悟という、その静かな激情と神秘に魅せられるのだろう。合理的・論理的なコミュニケーションがなされる風の時代の中で、濃やかな感情で世界にロマンティックな彩りを添えるという”水”の役割を、ウンディーネの物語は示唆しているのかもしれない。
ペッツォルト監督による“精霊”の物語ははじまったばかり。本作『水を抱く女』を第一作として、”精霊三部作”の制作が予定されている。つづく次回、次々回作のテーマは「火の精」と「土の精」。現代への啓示に満ちた、さまざまな神話の物語が今から待ち遠しい。
『水を抱く女』
監督・脚本:クリスティアン・ペッツォルト
出演:パウラ・ベーア、フランツ・ロゴフスキ、マリアム・ザリー、ヤコブ・マッチェンツ
公式サイト:https://undine.ayapro.ne.jp/
公開:3月26日より新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー
2020年/ドイツ・フランス/ドイツ語/90分/アメリカンビスタ/5.1ch/原題:Undine/日本語字幕:吉川美奈子/配給:彩プロ
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