ウェブ花椿にて「恋する私の♡日常言語学」を連載している恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之さんと、『花椿』2014年12月号の「歌人・穂村弘の、こんなところで。」にゲストとしてご登場してくださったエッセイストで「昆虫大学」学長のメレ山メレ子さんが、同時期に「恋愛」をテーマにした新刊を刊行しました。「恋愛サンプル収集」など、共通点の多いお二人ですが、これが初対面。今回は、オンラインでお互いの本についての感想や恋愛から考えるジェンダーについてなど、私たちにとって大きなテーマである「恋愛」についてじっくり語り合いました。
恋バナ収集をするときの視点。
清田隆之(以下清田):これまでメレ山さんは昆虫のことを書かれているイメージを勝手にもっていたので、書店でタイトル『こいわずらわしい』とピンクのハートの装丁を見たときに、「メレ山さんが恋愛の話を!?」というギャップもあって、ジャケ買いに近いかたちで手に取ったんです。それで読んでみたら、恋バナを収集しているという言葉も出てくるし、自分たちがやっている活動と通じるものを勝手に感じまして。
メレ山メレ子(以下メレ山):私も恋愛の本を書くにあたって、みなさんどういうふうに今書いているのかなというのが気になって、清田さんの『さよなら、俺たち』もそのときに興味深く拝読しました。自分が書いていたことと、ところどころ掠る部分があって。例えば、元カノとの捨てられない思い出のモノの箱を持っているというところとか(笑)。
清田:ね、僕もびっくりしました。男が喜ぶ褒め言葉「さしすせそ」の話もそうですが、重なるところがありましたよね。
メレ山:たぶん、清田さんが「さしすせそ」について書いたものをWEBで拝見して、それが頭に残っていたんだと思います。最近、身近な男性で女性に「さしすせそ」的な仕草を求めてくる男性はだいぶ少なくなったという印象はあるんですけど、私の場合、会社に勤めながら副業で少し文筆もやっている状態なので、ネット経由で会う男性たちと会社の男性たちの振る舞いに乖離を感じることが多いんですね。
清田:確かに、そこには乖離がありそうですね。
メレ山:Twitterは自分がタイムラインを作っているということもあって、基本的にリベラルな男性が多いんです。でも、会社だと伝統的な家族観を持っている保守寄りな人が比較的多い。褒められないと不安になって攻撃的になる男性とは、仕事の場でも何度が遭遇したことがありますし、そういう部分をある程度年を重ねてから変えていくのはすごく難しいのだろうとも思うんです。清田さんは昔、ホモソーシャルな振る舞いをして女性を傷つけてしまったという軽率エピソードをたくさん書かれていますけど、転換のポイントは何だったのでしょうか?
清田:僕は中高6年間を男子校で過ごしたのですが、そこでホモソーシャルのノリに過剰適応してしまった感があります。元々は競争とか苦手で、少年ジャンプ的な世界にもハマれなかったタイプなのに、無理して張り合いとかイジり合いをやっていたから疲れて家に帰りたくなっちゃうことがよくあったんですね。ホモソーシャルなコミュニティとの付き合い方は今も難しいテーマのひとつなんですけど、少し距離を取れるようになったのは女友達の存在が大きかったように思います。男友達と話すときと女友達と話しているときでは感触が全然違うなと実感したことがひとつのきっかけになったというか。
メレ山:そうなんですね。
清田:女性とお茶をするときは、特に明確なテーマがなくても、たわいもないお喋りのラリーが続いて、そこで発見があったりすることがすごく楽しくて、30代以降、女友達とお茶をすることに開眼してしまった感覚があったんです。一方で、男性と喋っていると、「ふざけたことを言わなきゃ」「会話にオチをつけなきゃ」みたいな空気を感じ、たわいのない話やとりとめのない話をしづらいところがあって。もっとも、自分で自分に圧力をかけちゃってる部分もあるとは思うんですが。
メレ山:普段私が会ったりSNSとかで話す人とかよりも、清田さんはむしろホモソーシャルに浸かっていた時代が長そうだなと、清田さんの文章を読んでいて思ったんです。だから反動的に、違和感を持てていなかった部分について知りたいという気持ちが強いのかもしれませんね。
正しさの枠組みとどう付き合ってますか?
清田:そうですね。こういうのは苦手だなと思うような場所から、なるべく遠ざかりたいという気持ちはどこかにあった気がします。自分には昔から軽率で無神経なところが多々あって、恋人や女友達を怒らせてしまったり泣かせてしまったり、後悔し反省する経験が少なくなかったんですね。だから常に「自分は間違ってるんじゃないか」という感覚が拭えなくて……。でも、思想信条としてはリベラルな立場を支持しているし、ジェンダーにまつわる差別や不平等にも異議を唱えていきたいと思っている。そうなると「正しさ」の問題が重要になってきますよね。一方、恋愛は閉じた関係性の中で進行するもので、自他の境界線が引きづらく、たとえ何かの問題を感じたとしても外部の規範を適用しにくい部分がある。メレ山さんはジェンダーの問題についてはどう思われていますか。
メレ山:最近SNSを見ているとそういう発信をしている人も多いですし、いままで持っていた違和感にどんどん名前がついていくという体験がここ数年すごく増えているなとは思います。そんななかで自分自身、女性の側から見てもこれはアウトだったなと思うことが多くなっていて、そのスピードもどんどん加速している気がして。数年以内に、自分も大炎上するんじゃないかという恐怖はすごくあります(笑)。
清田:怖いですよね……。『こいわずらわしい』でも、女性を見た目だけでジャッジしてくる男性への違和感や、男性からの誘いを拒んだときに生じる「逆上される可能性」に対する恐怖など、ジェンダーに絡む問題がいろいろ描かれています。そこには正しさの観点で批判する視点はありつつも、一方で遊び人なんだけど不思議と嫌な感じがしない男性の話が出てきたり、自分を傷つけてくる元カレに対しても、ムカつきながらも翻弄されていく心の動きをスケッチしたりと、正しさだけでは描けない何かもいろいろ語られていたように感じたんです。
メレ山:そうですね。ジェンダーの話も1章割いて書いてはいますが、それとは別次元で好奇心が刺激されている瞬間の話を聞くのが好きなんです。だから、個人としての至らないところやうっかり過ちをしてしまうこと自体は、楽しく聞かせてほしいという気持ちはあるんですけど、「男の性だから」みたいな言葉で浮気が正当化されたり、男同士の関係で自分を良く見せるために女の人を使ってしまうというような、旧来のジェンダー観を強化するために恋愛が使われることには嫌悪感がある。なので、早くそういう枠がなくなって、いろんな人がいろんな恋愛を好きにしているという状況になれば、もっと楽しいエピソードが収集できるんじゃないかなって。
清田:確かに! メレ山さんの書く恋バナは“好奇心ファースト”というか、感情が動いてしまったものはしょうがない、といったまなざしが根底にあるような気がします。個人的に『こいわずらわしい』に感動したのは、恋愛のあれこれを描く語彙の豊かさだったんですね。「ハゼたちのさしすせそ」とか「食虫植物モウセンゴケみたいなトリモチ状の粘液」とか、いきなり動物や昆虫の話が出てきたりするのが面白いし、恋愛感情とコミュニケーション能力の不一致を「エクセルの表がPC画面上では完璧でも印刷すると必ずどこかしら文字が見切れるのと同じくらい、人類に搭載された大きな不具合だ」とたとえるところとかも最高でした。僕も恋バナ収集の現場では興味津々で聞いているんですが、それをアウトプットするフェーズになると過剰に真面目になってしまうところがあって。正しさやべき論を優先するあまり、矛盾や理不尽といった、ある意味“恋の醍醐味”とも言えるような部分をついカットしてしまったりする。書き手としてはそこが悩みでもあるんですよね……。
微妙な関係から見えてくるパワーバランス。
清田:「恋のうわさソムリエ」というエッセイで、恋人ではないけど妙に仲良しな男女の関係性を“傍若無人”と形容されていたじゃないですか。肉体関係などのやましいことがないからこそ、公然と「精神的ないちゃつき」をしたり、「調子に乗ったふるまいが止まらなく」なったり……。
メレ山:してないからこそ、周りに対してのアピールが強いというか。
清田:「あいつらもこれだったんだ!」と思い浮かぶ顔が何人もいて、思わず爆笑してしまいました(笑)。こういう微細なニュアンスの問題を拾い上げていくのも『こいわずらわしい』の魅力ですよね。
メレ山:私、微妙な人間関係の話も好きなんです。会社で日々働いていると、あの人とあの人はできてるという噂話を聞くことがあるんですけど、そういうときに「私は”できてない”と思う」ってことが多いんです。なんでそう思うんだろうと考えたときに、性的な関係がなくても親密にしているとか、何かあったときに一番に話を聞いてほしい人が恋人じゃなくてその特定の人だというときって、その関係は本来のパートナーに対して、十分やましいはずじゃないですか。でもみんなが性的なものばかりを重視しているから、そのやましさに対して鈍感になってしまうことがあるなと思って。
清田:同じエッセイでは「つまりわたしは、そういう中間色な関係性のほうが業って感じがして、より好みであると言いたいのだ」とも書かれていましたよね。桃山商事でも以前、彼氏に仲の良い女友達がいるんだけど、「あいつとは一緒に寝ても何も起きない」と言われてモヤモヤするという女性から相談を受けたことがあったんです。話を聞いてみると、彼女はその「一緒に寝ても何も起きない」感じにこそ嫉妬していることがわかった。自分は彼氏から「デートやセックスをする異性」としてしか見られていない感じがあり、一緒に寝ても何も起きないその信頼感や、人間として頼られている事実が彼女にとっては妬ましいと。「浮気じゃないから安心しろ」と彼は言ってるのかもしれないけど、そう考えるとキツいですね……という話になったことをふと思い出しました。
メレ山:桃山商事さんの新刊『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』で書かれている”男友達を優先しがちな男の人”が、その女友達も男友達と同じ枠に入っているんだよと言ってるわけですよね。
清田:そうなんです。そういった関係に対して“傍若無人”という言葉を使われていたのが最高だなって(笑)。あと、あれはメレ山さんの脳内の話なのかな、「遠赤外線秋波」というエッセイに「フーン、メレ子さんってぼくのこういうところが好きなんですね。でもぼく的には、メレ子さんとはワンチャンないんですよね」と言ってくる男性が登場するじゃないですか。あの言葉が妙にグッときてしまって。
メレ山:妄想エピソードです。あのときは、始まらなかったら終わらないわけだからそれはそれですごくいい関係じゃないかと想像して書いていたんですよね。それこそ恋愛より友情を上に見てしまっているところが少しあるのかもしれないですけど。
清田:行き過ぎると“やってない男女の傍若無人さ”になってしまうんだけど、恋愛の可能性を完全には捨てず、後ろの手でそれを抱えつつ仲良くしているような状態も、それはそれでいいなと思ってしまうから不思議ですよね(笑)。
恋の始まりに惹かれてしまう理由。
メレ山:まさに「フラートな関係」ですね。桃山商事さんの本を読んで、そういう言葉があるんだと初めて知りました。
清田:フラートとは「偶発的な恋の戯れ」とか「友達以上恋人未満の関係を楽しむ」みたいなこと意味する概念で、欧米では一般的に使われる言葉だそうです。まさに中間色な関係性といった感じで面白いし、そういう瞬間が世の中にはたくさんあっていいなとは思うんですが、自分自身は全く経験したことがなくて(笑)。お茶やお喋りに性的な気持ちは邪魔なので過度に遮断してしまうところがあって、フラートにはまるで縁がないけど、そういう話を聞くこと自体は大好きという……。ちなみにメレ山さんはフラートを楽しめたりしますか?
メレ山:私は逆に早く白黒つけようとしてしまうので、フラートの期間が短くなりがち。長く楽しめたらいいのになと思います。なんだかんだそこが一番楽しいんじゃないかなという気持ちはあるので。だから、人のそういう話を聞くとものすごく身を乗り出してしまう。
清田:桃山商事の『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』で1章割いて紹介したんですが、みんな結構フラートしてるんですよ。例えば「駅までの道で突然同僚と手を繋いで、何事もなかったかのように普通に別れた」とか「飲み会のときにテーブルの下で足が重なり、しばらくそのままにしてた」とか……そういう話を聞くたびに「何だよそれ!?」って。フラートが自然にできる人ってどこで習ったんですか、どこかで説明会でもあったんですか、みたいな(笑)。
メレ山:呼ばれてない(笑)。
清田:呼ばれてない説明会(笑)。世の中にはそういう事象がいっぱいあるんだなと思って。でも、エピソードとして聞くと、キュンキュンしますよね。
メレ山:確かに、そういう恋愛の始まりの話がいいなと思う。恋愛の始まりって、正しさとは全然関係ないじゃないですか。清田さんが恋愛相談に乗られるときも、もちろん、恋愛相談に来られる方は二人の間での正しさがわからなくなってしまったから、世間的な正しいところを聞いて判断したいと思っているのでしょうし、悩みについて話すことはその場では正解だと思うんですけど、でも話しているうちに、恋愛の核心からは遠ざかっていっちゃうような気もしません?
清田:そうなんですよね……。例えば失恋で苦しんでいる人がいても、その経験はすごく得難いものになっていくんじゃないかなと感じることは正直あります。でも、それはなかなか悩んでいる本人には言いづらい。恋愛にはいろんな瞬間があって、いろんな感情があって、簡単にまとめたり分析したりすることはできませんよね。そこに触れるためにはいろんな言葉が必要で、読みながら「そうだよな」「どうなんだろう」「こうかもしれない」っていろんな気持ちになれるのが文章のいいところだなと改めて思いました。『こいわずらわしい』を読んでいると、ひとつひとつの言葉や表現から色とりどりの記憶の扉がバーンって開くみたいな感覚があって、本当にすごい読書体験でした。