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Column

2021.04.26

女性と身体をめぐる難題を解きほぐす眼球マッサージ。

文/住吉智恵

現在、スイスを拠点に活動する現代アーティストのピピロッティ・リストの個展『ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-』が京都国立近代美術館で開催中(*現在は臨時休館中)です。本展では、身体、女性、自然、エコロジーをテーマとした初期から最新作までおよそ40点が展示されています。常に世にインパクトのある作品を提示しているピピロッティの創作を90年代から見続けているアートジャーナリストの住吉智恵さんが、いまの時代に必見の彼女の作品について考察しました。

筆者撮影

 スイスで生まれ、現在もチューリヒを拠点に活躍する1962年生まれのアーティスト、ピピロッティ・リスト。自身が「ほとんどハイジのようだった」と形容したアルプスの大自然の村で育った彼女は、少女時代、シャルロッテという名に違和感を感じ、『長くつ下のピッピ』の主人公から名を借りて、ピピロッティという弾むような真新しいパーソナリティを手に入れた。
 5人で兄弟で唯一高校・大学に進んだという彼女は、自身もヴォーカルなどで参加したバンドのステージデザインをきっかけにメディアアートの道に進む。当時、MTVの登場と共にミュージックビデオの時代が到来し、音楽はただ聴くだけのものから観るものへ進化しようとしていた。ほぼ独学で瞬く間に映像技術を身につけたピッピは、感覚を刺激するジューシィな色彩とラディカルなバグを効果的に使ったビデオアートで国際的なアートシーンの注目を集めるようになる。
 1997年のヴェネツィア・ビエンナーレで若手作家に与えられる最優秀賞を受賞した2つの映像のインスタレーションは大きな転機となった。なかでも鮮烈だったのは、フェミニンなワンピースを着た元気のよい女性が、花の形をしたハンマーで通りに駐車した車の窓ガラスを楽しそうにたたき割っていく代表作《永遠は終わった、永遠はあらゆる場所に》だ。女性性をめぐるクリシェに彩られた男性社会の象徴を、晴れ晴れと、軽やかに破壊する「明るい狂気」を謳った本作は、1990年代以降の現代美術史における新たなフェミニズム・ムーヴメントの記念碑的作品となった。

《永遠は終わった、永遠はあらゆる場所に》 1997 年
京都国立近代美術館蔵 © Pipilotti Rist. Courtesy the artist, Hauser & Wirth and Luhring Augustine
《永遠は終わった、永遠はあらゆる場所に》 1997 年 2 チャンネル・ヴィデオ・インスタレーション(4 分9 秒、8 分25 秒)
京都国立近代美術館蔵 Photo by Alexander Tröhler © Pipilotti Rist. Courtesy the artist, Hauser & Wirth and Luhring Augustine

 現在開催中の大規模な個展では、最初期のビデオアートから近作の壮大なインスタレーションまで、ピピロッティの作品世界のなかに文字通り身体ごと浸かりきることができる。彼女がデビュー以来探究し続けているジェンダー、身体、女性性、エコロジーといったテーマがおよそ40点の展示作品のすべてを貫いている。
 約30年に及ぶ創作活動のなかで、彼女自身の人生の変化と共に、フォーカスのポイントが移り変わってきたことも体感できる。20代の作品では女性の生理やセックスのありように視点がぐっと寄っていく。30代は出産を通して身体の器官と生殖を、40代以降は自然の生態系とその一部である人間の肉体をさらに生々しくクローズアップする。
 コロナ禍をものともせず、靴を脱いで自由に回遊するスタイルにも快哉を送りたい。あるときはベッドに横たわり、あるいは心地よいリビングのカウチやラグに寝そべって、素晴らしいサウンドシステムと共に、豊かに滴る色と光を全身に浴びる。それはもう美術鑑賞というよりは、ピッピがかつて自身の展覧会をそう名づけたように「眼球マッサージ/Eyeball Massage」と呼びたい体験だ。

以下、会場風景(筆者撮影)

その「眼」が抉り続けるフェミニズムの本質。

 とはいえ、そのマッサージの手つきや触れ方はかならずしも優しくソフトタッチとは限らない。おびただしいイメージが野性的に重なりあい、ときには盗撮用・医療用のカメラで体内に分け入り、水棲生物と一体化し、体液やヘドロにまで肉薄する。目の玉そのものをグリグリと刺激するようなこの幻惑的な展開こそピピロッティ・リストならではの映像表現といえるだろう。
 ピピロッティは活動初期から一貫して、人間の眼を「Blood-driven Camera=血の通ったカメラ」と呼ぶ。彼女の視神経そのものであるカメラアイが捉える映像世界に呑み込まれるとき、私たちがたしかな実感をもって魅了されるのは、脆弱だがしなやかで強かな生き物の肉体というミクロコスモスの無限の情報量とその「揺らぎやすさ=バグ」である。
 ピピロッティは過去のインタビューのなかで、ビデオアート特有の「粗く不完全な質感」は「人間の感覚のコピー」であると言い、ゆえに彼女が作品を通して常にフォーカスしてきた「邪悪で神経質な内面世界」を扱うメディアにふさわしいのだと語っている。
 たしかに彼女の作歴を振り返ると、カメラの視界のなかで身体をさらけ出す作家自身や人物たちは、晴れ晴れと誇り高く満ち足りた微笑みと、ヒステリックで狂気と混乱に満ちた咆哮、それらの両面を同時に持ち合わせていることがわかる。

 20世紀以来、多くの女性のアーティストたちがフェミニズムを掲げ(あるいは忍ばせ)、男性中心社会における女性の立場や女性生理への意識改革をいまだに訴え続けている。筆者が来日したピピロッティに出会い、以後3度にわたるインタビューの最初の対話を交わした1999年は、フェミニズムという単語を使うことすら躊躇するほど、女性が「わきまえ」ざるを得ない社会状況だった。
 そのとき、彼女の作品のなかで伸びやかに謳歌される女性性とフェミニズムの精神との分かちがたい結びつきについて思いきってたずねると、ピッピがさらりと「私たちはみんな生まれながらのフェミニストでしょ」と言ったことは忘れられない。もちろん彼女にもさまざまな格闘や葛藤があったはずだ。しかしまるで「目は2つで鼻はひとつよね」とでも言うようにナチュラルなその回答は、その後じわりと意識の覚醒をもたらし、ガチガチの怒り肩のイメージしかなかったフェミニズム・アートへの先入観をほぐしてくれた。
 本展では、ピピロッティの超顕微鏡級の「眼」が直にクローズアップし、鋭くも柔らかく穿つ作品世界の全容にあらためて没入した。そして、近年次々と顕になる女性性と身体性をめぐる難題を解きほぐし、みずみずしい考え方で捉えるモチベーションをもらえたような気がする。性差や世代を超えた幅ひろい人々を魅了し、とりわけ目に見えない力に抑圧される女性たちをエンパワメントしてきたピピロッティ・リストのおおらかな底力にぜひ触れてほしい。

『ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-』
会期:開催中~2021年6月13日(日) 
会場:京都国立近代美術館
住所:京都市左京区岡崎円勝寺町
電話番号:075-761-4111 
開館時間:9:30〜17:00(金土〜20:00) ※入館は閉館の30分前まで 
休館日:月(ただし5月3日は開館) 
料金:一般 1200円 / 大学生 500円 / 高校生以下・18歳未満無料
*4月25日(日)より臨時休館中。再開については美術館のHPをご確認ください。
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2021/441.html
巡回
会期:2021年8月7日~10月17日
会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー

*新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開館時間は変更となる場合があります。来館前にHPにて最新情報をご確認ください。

住吉智恵

アートプロデューサー/ライター

東京生まれ。アートや舞台についてのコラムやインタビューを執筆の傍らアートオフィスTRAUMARIS主宰。各所で領域を超えた多彩な展示やパフォーマンスを企画。子育て世代のアーティストと観客を応援する「ダンス保育園!!」代表。バイリンガルのカルチャーレビューサイト「RealTokyo」ディレクター。
http://www.realtokyo.co.jp/