宮古島での撮影を終えた私は、いよいよ奇祭が行われる悪石島へと向かうため、那覇を経由して、まずは奄美大島へ。私のような本州の人間から見れば、宮古も奄美もざっくりと同じ「南国」。しかしいざ空港に降り立つと、奄美の雰囲気は、それでも宮古とはっきり違っていた。
独特の湿り気を含んだ光と、いくらか険しさを増したかに見える島の外郭。その光景はゆっくりと、しかし確実に、アジアから日本へとフェードしていることを感じさせた。
夜21時、奄美市の港へ向かうと、人気のない港に1隻だけ、巨大なフェリーが待機していた。船体に大きくTOKARAと書かれたこのフェリーとしま号で、これから10時間以上をかけて、奄美大島と鹿児島市のちょうど中間にあたるトカラ列島へと向かうのだ。
船に乗り込むと20畳ほどの客室へと案内された。客室は特に仕切りもない雑魚寝部屋。簡素な毛布と枕が用意されてこそいるが、一人あたり1畳分程度のスペースだろうか。決して快適というものではないが、眠れないことはない。深夜23時頃、船がゆっくりと動きだすと、ゆったりとした揺れは意外にも心地よく、私はすぐに眠りに落ちた。
島に着いたのは翌日の昼過ぎだった。寄港を告げる汽笛に慌ててデッキへと出ると、快晴の海の彼方に大きな島影が見える。トカラ列島北部に位置する口之島だった。
今回の旅の目的である奇祭、「ボゼ」が行われるのはトカラ列島南部の悪石島だが、悪石島には民宿がほとんどないため、まずは一旦悪石島を通り過ぎて、この島で一晩過ごす必要があったのだ。港にはすでに民宿の方が待機していて、急な登り坂を車で登って集落へ向かう。しばらく島を散策したのち、民宿で夕飯をいただいて、その日はすぐに眠った。
翌朝5時に港へと戻り、昨晩、鹿児島市からUターンしてきたとしま号に再び乗って、悪石島へ。口之島からは約5時間。飛行機で考えれば日本から東南アジアまで飛べる長さだが、のんびりした船旅のリズムに慣れると、もはや近場に感じられるから不思議ではある。
切り立つ断崖と密林に覆われた悪石島
そうして朝10時頃、大きな汽笛が鳴ると、いよいよ彼方に悪石島が見えた。口之島よりもさらにずんぐりと盛り上がった島影は「秘境」と評して十分な威容である。それは宮古や沖縄の海で見たようなサンゴの砂浜に縁取られた楽園的イメージとは程遠く、まるで子供の頃に憧れた宝島そのもの(実際、トカラ列島には宝島という島もあるのだが)。
海に切り立つ断崖からそのまま密林に覆われた山がそびえたち、ここが古来、険しく隆起した火山島であることを物語っていた。フェリーがゆっくりと島を回り込んで寄港し、ついに悪石島に到着したときには、奄美大島を離れて実に30時間以上が経過していた。
港に用意された車でまた急な坂道を登り、十島村の集落へと向かう。村とはいえ、実際には十島村はトカラ列島各島をすべて含めた行政区であり、この悪石島にある集落は十島村(=トカラ列島)の大字集落という形で、現在は37世帯71人(2016年10月現在)が暮らしている。
家々は山の斜面に点在し、いくら現代日本の秘境と呼ばれても、その暮らしぶりはよくある山村部の集落といった風情である。村人たちはこの日、すでに公民館の周辺に集まり、これから始まる祭りに備えていた。
そうこうしながら村を見学しつつ、時刻は15時。私は村人に案内されて村の墓地へと向かった。するとそこには浴衣を着た村の男たち30名あまりが、輪になって歌い踊っている。盆踊りのようだが、独特の音階と聞き取れない言葉。踊りもまた不思議だが、おそらくは漁の祈願にも見える。
やがてその不思議な儀式が終わると、数名の男を残し、他の者たちはぞろぞろと公民館の方へと帰っていった。一方、私は村人に促されて、墓地の入り口で待機する。
「では、ここで待っていてください。墓地へは絶対に立ち入らないこと」
南洋の来訪神ボゼ、現る
それから大体30分が経過し、いよいよしびれを切らし始めた頃、俄かに墓地の方がざわつき始めた。すると墓地へと下る竹林の向こうから、ゆっくりと彼らがその姿を現した。南洋の怪神、ボゼ。
全身をビロウの葉で覆い、動物にも、植物にも、昆虫にも似た、キテレツな仮面をかぶった来訪神の登場である。墓地から現れた三体のボゼは坂道を登り道路へ出ると、そこから人々が待つ公民館の方へとすごい勢いで駆け出していった。
ボゼを追って、公民館へ向かう。すでに公民館では悲鳴があがり、ちょっとしたパニックになっている。ボゼは女性や子供を追いかけて羽交締めにし、手にしたボゼマラと呼ばれる赤土のついた棒で彼らを小突く。
一見するとまるで悪魔の来訪だが、実際にはこのボゼマラで叩かれると御利益があり、子供たちは健康に、女性は子宝に恵まれるといわれるのだ。赤子は泣き叫び、子供たちは笑い、女たちは嬌声とも叫声ともつかぬ声をあげて、ボゼから逃げ回る。
そうして三体のボゼは公民館の庭をぐるぐると走り回って暴れ尽くすと、今度は踵を返して、一目散に墓地の方へと帰っていった。
その間、およそ10分。それは噂に違わず、私がこれまで日本で見てきたあらゆる奇祭を上回る、強烈なまでに神秘的な「来訪神」の体験であった。ボゼがいなくなった公民館では、まだ興奮冷めやらぬ雰囲気の中で、いよいよ村人たちの盆を祝う宴が、始まろうとしている。
私を含めた余所者たちは、まるで突然の強い通り雨に打たれたように、半ば唖然としながら、去っていくボゼの後ろ姿をじっと見つめるほかなかった。
(南国奇祭探訪3に続く)