クリープハイプの尾崎世界観さんとアーティストが対話する企画。今回は、資生堂ギャラリーで開催中の展覧会「万物資生|中村裕太は、資生堂と を調合する」の、美術家・中村裕太さんと対談します。本展は資生堂の創業150周年を記念して歴史を見つめ未来へと繋げるために企画されたもの。展覧会タイトルにもある「万物資生」とは、資生堂の企業名のもとになったことばで中国の古典『易経』の一節「至哉坤元 万物資生」に由来し、「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものはここから生まれる」という意味があります。美術家の中村裕太さんは、この「万物資生」という言葉に注目し『易経研究』(1932年、飯島忠夫)に書かれた一節から、「調合」というキーワードを導き出しました。そして、民俗学者でもあり「考現学」を提唱した今和次郎と、前衛美術家や作家など多岐に渡って活躍した赤瀬川原平という2名の作家を資生堂の活動と「調合」。歴史的な資料と自身の作品、2名の作家を資生堂ギャラリーの空間において「調合」することで、歴史に新たな光をあてるインスタレーションを展開しました。展示空間を歩きながら、作品について語り合います。
展覧会概要はこちらから
「万物資生」という思想から歴史を紐解いていく展覧会
──今回の展示「万物資生|中村裕太は、資生堂と を調合する」は、通常の絵画や写真の展示とは違い、資生堂150年の歴史というキーワードがあります。少し中村さんから説明をしていただきながら話を進めていければと思います。最初に展覧会タイトルにある「万物資生」ということばについてお聞かせいただけますか?
中村裕太
資生堂が創業したのが150年前の1872年。その社名のもとになった言葉が「万物資生」で、調べてみたら「目に見えないつかまへられないものが天から来て、地上の物質がそれを受取つて生物を生ずる」と解した文献に出合ったんです(飯島忠夫『易経研究』信濃教育会、1932年)。そのときに目に見えないものと地上の何かを「調合」することで、新たなものが生まれるのだと思いました。資生堂は化粧品会社ですが、もともと洋風調剤薬局から始まったというのもあり、「調合」というのがひとつの制作の手法になりました。
そして、今回の展示は資生堂のメモリアルな展示ということもあり、資生堂企業資料館(静岡県掛川市)が所蔵しているさまざまな歴史的な資料を見せるのが通常だと思うんですが、単に資料を見せるだけでは面白くない。もう少し時代の空気や機運みたいな「見えないもの」を伝えられないかと考えました。創業時から1940年代初頭の資生堂や、資生堂の創業地である銀座について書かれた文献はすごくたくさんあるんですが、その中でも民俗学者の今和次郎の活動を調合してみようと思いました。
──ギャラリー入り口の階段を下りていくと最初の作品に出くわします。これは明治10年代、製薬調剤舗資生堂の開業広告と飯島忠夫の『易経研究』の一節を組み合わせた作品で、本展の導入になっています。そして大展示室に入ると、「中村裕太は、資生堂と今和次郎を調合する」と書かれた空間へ。壁面はいくつかのフレームで区切られており、資生堂の歴史的トピックひとつに対し、資生堂の資料、中村さんが蒐めた資料、今和次郎のテキスト、中村さんのテキスト、中村さんが制作したオブジェクトで空間構成されています。複数の資料やテキストからなる空間から、ひとつの資料では見えてこない空気が立ち上がっています。
尾崎世界観
ここに展示されているのは、すべて資生堂に関連する資料なのでしょうか?
中村
そうです。取り上げたトピックスも、「1902年 出雲町店にソーダファウンテンを設置」や「1923年 バラックの出雲町店を再建」といったように、資生堂の商品の話だけではなく資生堂の歴史の中でいまは目に見えなくなってしまったものも選びました。例えば、ソーダファウンテンというのは、資生堂薬局店舗内に設置したソーダ水とアイスクリームを製造、販売するコーナーのことです。現在、ソーダファウンテンはありませんが、これが資生堂パーラーのルーツとなっています。ちなみに今和次郎は1906年に青森から上京し、戦後までさまざまな形で資生堂や銀座の街に関わっていきます。そうした歴史と今和次郎のテキストを結びつけました。
尾崎
中央に置かれている中村さんの作品は、粘土でしょうか?また、こういった作品を制作された背景や思いはどのようなものでしょうか?
中村
はい、そうです。資生堂にまつわる資料のなかには、当時の活動を象徴していたけど、時代の移り変わりのなかで「見えないもの」(オリジナルが残っていないもの)が多くあります。もちろん資生堂企業資料館にはそのものの図版やレプリカがあるのですが、本展では、オリジナルの資料だけで展示を構成したくて、そうした見えなくなってしまったものは粘土でつくってみようと思いつきました。素材を粘土にしたのは、その歴史を想像しながら形をつくっていて、粘土の柔らかさ、完成しきっていないような、まだ思案している感じを出したいという思いがありました。
尾崎
こちらにあるバラックというのはどういったものですか?
中村
1923年、関東大震災のあとに今和次郎がバラック装飾社という活動をはじめます。関東大震災で銀座の煉瓦街は焼け野原になってしまいました。その後に建てられた仮設的な建築のことをバラック建築と言うのですが、今和次郎はペンキを片手にバラックの外装や内装をダダイズムで装飾を施すという前衛的な芸術活動を行ったんです。
尾崎
なるほど。
中村
同じ年の11月に再建されたバラックの資生堂出雲町店の設計は画家の川島理一郎が担当しました。今回の展覧会の会場では、その内装にみられるアーチ型のフレームを参照しています。その後、1925年に今和次郎は「考現学」というのを始めます。考現学というのは、考古学という昔の人が残したものから当時の生活を考える学問があるのに対し、現代の生活や風俗を調査しようというものです。例えば、銀座界隈を歩いている人たちの服装をはじめ、化粧が濃い薄いとか、どんな髪形をした人がいるとか、何色の靴を履いている人が何人いるというような。
尾崎
まるで今のファッション誌の企画みたいですね。当時からそういった試みをされていた方がいたというのが面白いですね。
中村
そうなんです。今和次郎は東京美術学校の図案科出身だったこともあり、そのスケッチはとても魅力的です。一枚の写真よりもその時代の雰囲気が伝わってきます。
尾崎
今和次郎さんの文章というか文体がすごくいいなと思いました。マイルドな文章だけど、すごく味わいがあって心に残る。もうひとつ中村さんのテキストもありますが、これは今和次郎さんの文体に少し寄せていこうという思いがあったのですか?
中村
もちろん、ありますね。
尾崎
なるほど、今和次郎さんの文章もそうですが、中村さんの言葉もすごく好きです。この二つのバランスがいいから、自分が作品にスムーズに入り込めたような気がします。
中村
もうひとつ。小展示室では「中村裕太は、資生堂と赤瀬川原平を調合する」としていて、前衛芸術家であり作家でもあった赤瀬川原平さんの作品を調合しています。赤瀬川さんは2013年から資生堂ギャラリーの第七次椿会にも参加しており、資生堂ともゆかりが深い。その椿会で展示された《ハグ 2》というテーブルと椅子の作品を展示して、そのテーブルの上に赤瀬川さんが使っていたというマグカップと自分が使っているコップをもとに制作した《マグカップとコップ》を置きました。2013年の展示のときに図録に掲載された「ガラス絵・ハグ」というエッセイがあるのですが、それが素晴らしくて。ここに「万物資生」のヒントがあるなと。今回の展示のハンドアウトにも掲載しているので、ぜひ全文読んでもらえたらと思います。
そして、赤瀬川さんの文章と作品を手がかりに、会期中にいろいろな方をお招きして、対話をおこなっていきたいです。
尾崎
赤瀬川さんの文章にも親しみを感じました。今回は資生堂150年の歴史を扱っているということもあり、テキストや資料が満載で情報量の多い展示でしたが、入り込みやすいテキストのおかげでより楽しむことができました。
──後編は近日公開します。お楽しみに!
中村裕太
1983年東京生まれ、京都在住。2011年京都精華大学博士後期課程修了。博士(芸術)。京都精華大学芸術学部特任講師。
〈民俗と建築にまつわる工芸〉という視点から陶磁器、タイルなどの学術研究と作品制作を行なう。近年の展示に「第20回シドニー・ビエンナーレ」(2016年)、「あいちトリエンナーレ」(2016年)、「柳まつり小柳まつり」(ギャラリー小柳、2017年)、「MAMリサーチ007:走泥社—現代陶芸のはじまりに」(森美術館、2019年)、「ツボ_ノ_ナカ_ハ_ナンダロナ?」(京都国立近代美術館、2020年)、「丸い柿、干した柿」(高松市美術館、2021年)。著書に『アウト・オブ・民藝』(共著、誠光社、2019年)。
会期:2022年2月26日(土)~5月29日(日)
会場:資生堂ギャラリー
住所:東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビルB1
開館時間:平日11:00~19:00、日・祝11:00~18:00
定休日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合も休み)
TEL:03-3572-3901
詳しくはこちら→資生堂ギャラリー公式サイト