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男性性とは、フェミニズムとは? 清田隆之『さよなら、俺たち』刊行記念インタビュー

2020.07.31

文/小川知子

ウェブ花椿で「恋する私の♡日常言語学」を連載してくださっている恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之さんがエッセイ集を刊行しました。マジョリティ男子として育ってきた清田さんが突然変異でフェミニストに! これまでの自身の経験を振り返りながら、男性性、フェミニズムを超えて人と人のコミュニケーションについて考えを深めた本書は、ジェンダーにかかわらずさまざまな視点で共感し、気づきを得ることのできる1冊です。連載で対談相手を務めているライターの小川知子さんが、本書について、清田さんにインタビューしました。

ー清田さんが2016年から2020年に書かれたエッセイを1冊にまとめ、さまざまなテーマに根づく男性問題を掘り下げた最新刊『さよなら、俺たち』の成り立ちからお伺いできますか?

 出版社のSTAND! BOOKS(スタンド・ブックス)の代表で編集者の森山裕之さんとは旧知の仲で、一緒に本をつくりたいとこれまで話していたんですが、文芸誌『すばる』(2020年4月号)に寄稿した「生まれたからにはまだ死ねない」というエッセイを読んでくれたことをきっかけに、それを軸に本にすることになりました。森山さんは、これまでも前野健太さん、寺尾紗穂さんといった作家さんがさまざまな媒体で書いてきたエッセイを彼が章立てて一冊にまとめるというつくり方をされているのですが、今まで自分が書いていた文章を全部読んでもらったときに、「時系列ではなく意識の流れを考えながら自分で順番をつけてくれないか」と言われて。

ー意識の変化ということですか?

 私、僕、俺といった一人称を使っているなかで、なんとなく「俺たち」という言葉は、自身も含む男性全般のようなイメージで使っていることが多かったと改めて思ったんです。ただ、自分も含めた男たちの問題と捉えられる一方で、男性同士の会話の中ではズルく使われている印象が大きかった。例えば、恋バナ収集の現場で男性の話を聞くと、「僕はこう思った」という感情よりも、「俺たちってそういう生きものじゃないですか」という話になりがちだったりする。「男ならわかるでしょ」と同意を求める目的で、男性たちがアノニマス(匿名)な存在になれるものとして便利に使っている集合名詞的な意味が「俺たち」にはあるなと。

ー「個人じゃなくて、男はみんな一緒だよね」というエクスキューズ(言い訳)になってしまうと。

 そうですね。これには男性が個人の意見を言語化できないとう背景も大きく関係していると思います。僕が本の中でも触れている「being」と「doing」という言葉があって、前者はその人の感情や身体反応のこと、後者は社会的な役割や実績のことを意味しているのですが、近年は、「being」として個人の視点で書いているエッセイが多かったんです。一方で、以前の自分を振り返ってみると、フェミニズムに対する興味が芽生えてきた頃は、自分を棚に上げて「男って駄目だよね」と切り離してしまっていた。でも、その男には自分も含まれると痛感して「俺たち」になったものの、男性からは「男を一括りにするな」と言われるし、女性にとってもズルく見えるという言葉の問題が見えてきた。ならば、まずは「私」という個人の人間が見ている景色を語ることで、そこに染み込んでいる男性性の問題について接続していこうというアプローチでした。流れとしては、編集の森山さんの提案もあって、男から始まり、個人的な失恋体験から「doing」の殻が揺さぶられて、男性社会の構造やその産物である「俺たち」的な問題を経て、「being」としての「私」になっていくというものになっています。

ーかなり赤裸々にご自身の男性性のしょうもなさや恥ずかしさをさらけ出していますが、辛くはなかったですか?

 「嫌だな、これ書くの……」って思いながら書いていました(笑)。ただ、僕がやってきた恋バナを収集する桃山商事の活動自体、自分の過去の話も出しますし、カッコつけてばかりいられない習慣があったので、今回も腹を括って書きました。でも、エピソードを如何に面白可笑しく伝えるかということではなく、その行動や言動の裏にどんなメンタリティがあったのかを考えることのほうが実際は辛かったです。例えば、大学生のときに友人カップルらと湖のある別荘地へ旅行に行ったときのエピソードなのですが、僕はスワンボートに乗っていて、そこに友人らが近寄ってきたときに、本当に衝撃的なんですが、ウケを狙ってボートの中でオシッコをしたんですよ。彼女はドン引きしていたんですが、笑ってもらえると思ったので焦った。その後、女性を媒介に男同士でコミュニケーションを取ることがホモソーシャルの典型だと知って、自分の行動は「彼女の前でオシッコできちゃう俺アピール」という超典型的なものだったなと。もっと言えば、男性は1対1で向き合うのではなく、1対Nに見せるというコミュニケーションの取り方をする傾向がある。面白おかしく編集して語るほうが楽で、でもその構造も含めて振り返ると、急に恥ずかしい出来事になってくる。

ー笑って流さなかった彼女に感謝ですね。自分の物語を語ることが近年重要視されるなかで、清田さんはその意味をどう捉えていますか?

 自分語りという言葉はナルシスト、自意識過剰といったネガティブなイメージがありますが、ナラティブ(語り)という意味で自分を知るために個人的な話を言語化することはとても大事だし、確実に人とつながっていくと思います。自分語りの中から他者や社会構造が見えてきて、語り手と同じ目線になれることはある。僕の視点はおそらく、マジョリティ男子の当事者目線のようなものだと思うんです。

ー多数派男子の典型例を自負されていますもんね。

 それは小さい頃からの悩みでもあるんですが、自分のことを量産型の普通すぎる男子だと感じているんです。勉強もスポーツもそこそこできて、両親も健在で異性愛者で、自分のジェンダーについて悩んだこともない。特に大きな苦労もなく、体も健康で、常に所属しているコミュニティで外れたところがなかった。政治にも全く興味がなかった。本当におめでたい話ですけど、大学生のときに自分に何か語るべき特徴がないことで悩んだくらい。急に「俺って何も面白いカードを持ってない!」と苦しんだんですが、仲良くしている人たちはみんな面白い人で、彼らとの付き合いの中で生まれるものに興味を持つようになっていくと、面白い人生を選択すればいいとマジョリティである自分を受け入れられるようになった。でも巡り巡ってジェンダーの問題に興味を持ち始めると、自分を特に疑うこともなく、その存在について問われることもなく生きている多数派の男性たちという像が、実は一番実態がよくわからないことを知った。でも、僕はその群になっている一般男性のメンタリティや気持ちがすごくよくわかるような気がするんですよ。

ー清田さんの場合は、突然変異のフェミニストであることが面白いですよね。

 中高6年間を男子校で過ごしたこともあり、本当にホモソーシャルどっぷりの人間だったので……。フェミニズム視点から見たときに、実は珍しい立場で貴重な経験を書いていると言ってもらえるのは嬉しい。逆にマジョリティ男性から見たら、ある種のチクリ屋ですよね。内輪で起きている出来事をチクっているという(笑)。男同士で起きていることだから問題ないという理屈なんだと思うけれど、結局「女呼ぼうぜ」とか「キャバクラ行こうぜ」となるわけで。俺らを女子のオーディエンスに見てほしいという構図になっていると思う。そういう部分をがんばって言語化していきたいです。

ー最後に、この本をどんな人に読んでもらいたいですか?

 結果「私」になっていく本なので、男性女性問わずに読んでもらえると嬉しいです。ジェンダーというフレームにギューッと押し込められると、ある種のバイアスや圧力がかかったものがポンッと生まれたりすると思うんです。それを自分自身の傾向や性質だと認識してしまうこともあるかもしれませんが、それは社会構造と呼応して生み出されるものだから、一旦自分を相対化してみるきっかけになればと。社会に課されたものを全て捨てて真の「being」になろうという話ではなく、自分というものがどういう成分で構成されているかを分析するうえで、この本がひとつのサンプル素材になったらいいなと思います。

クリエイターの紹介

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(イースト・プレス)、『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(晶文社)。7月2日に新刊『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)が発売された。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

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