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Column

2017.12.28

特別鼎談、仲條正義×澁谷克彦×山崎まどか「花椿 ナウ・アンド・ゼン」<後編>

写真/三宅 英正

1993年5月号「LIGHT MAKES SHADOW, SHADOW REMEMBER LIGHT」(スクリーン参照)

思い出の特集いくつか その2

(前半からつづく)
山崎 こちらは1993年5月号ですね。
澁谷 これも仲條さんのアートディレクションで、僕がページをいただいて特集を制作しました。それまで仲條さんはハワイだマイアミだと豪勢に編集制作をしていて、僕も行ってみたいなと思ってたんですけど、今回はお金がないと言われ(笑)。そんな状況で企画を考えろということで、フォトグラムという方法で制作したという経緯があります。タイトル「LIGHT MAKES SHADOW, SHADOW REMEMBER LIGHT」にも表れているとおり、フォトグラムは光を必要とする手法なので、そこに夏の光という意味を込めています。
山崎 具体的にフォトグラムはどのようにつくるのですか?
澁谷 カメラを使わない写真という感じなんですけど、印画紙の上に直接物を載せるんです。物を載せて上から感光ライトを何秒間かあてて、そのまま暗室の中で物を外して現像液に流し込んで定着させる、というのを繰り返すもので、出てみないとどういう風に写ったかがわからないんですね。暗い中で赤いライトがあるからある程度はわかるんですけど、バシっとしたレイアウトじゃなくてどこかしら緩くなってる。そういう中で意外と面白いなとか思ったより面白くないなとか、発見があったり、試行錯誤しました。
山崎 幻想的ですね。すごく綺麗。
澁谷 ピンクの作品はいきなり仲條さんが乱入してきて、俺にもやらせろって言ってつくったものなんですけどね。本当はこれをボツにしたかったんですけど(笑)、ちょっと先輩に敬意を表して少し雰囲気が違うのがあってもいいかなと。
山崎 そうですよね、ちょっとまた趣が違う。
澁谷 そうですよね、緩い感じの作品。俺のはちょっと真面目につくりこんだ感じなので。
山崎 今はデジカメ時代なので、真逆なものをここに感じます。微妙な光と影のトーンでページを使うというのはものすごい贅沢。
澁谷 そうですよね。

2002年1月号「(LA)SKY」(スクリーン参照)

山崎 次は2002年1月号です。「(LA)SKY」という特集です。いろいろな逸話があると聞きました。
仲條 コム デ ギャルソンに少しお咎めをいただきました。もう洋服貸しませんって言われたんです。
山崎 それはなぜ?
仲條 あるルックで僕が過剰にスタイリングをしてしまったんです。
山崎 なるほど(笑)。この撮影はロスに行ったんですか? 合成のようにも見えますが。
仲條 ロスです。フランク・ゲーリーの建物が建築中で、その前で撮りました。このモデルの髪が逆さになってるのは髪を逆毛にして撮影してるんです。
山崎 そういうところが『花椿』っぽいと思いますね。自然に撮るのではなく少し動きを演出する感じといいますか。
澁谷 そうですね、ファンタジーですね。
山崎 仲條さんはいかがですか?
仲條 自我を主張したい。
澁谷 やってんぞー、仕事してるぞーみたいなことですか(笑)。
仲條 それでギャルソンはこういう感じも嗅ぎ取って怒ったんだと思いますよ。
山崎 ギャルソンの世界と違いすぎる……と。それでも面白いですよね、ギャルソンだけど『花椿』のムードになっている。
仲條 これくらいダイナミックにしてもいいんじゃないかなと思うんですよね。あるときから婦人誌は全体的にブランドのスタイルを紹介するカタログみたいになってきてたの。昔はもう少しコーディネートしてたんですけどね。
山崎 ブランドの宣伝のようですよね。仲條さんのそういう心意気は大事だと思います。たまに異なる雑誌の中でまったく同じコーディネートを見るときがあって、やはりそうなってしまうと媒体ごとのそれぞれの“視点”というのがひとつもなくなってしまいますよね。
仲條 そう。雑誌じゃ何も面白くもなんともない。イタリアの『VOGUE』あたりはまだオリジナリティが残っていたから、僕もやっぱり昔のつくり方で。好き勝手にやったんです。
山崎 その視点が今のファッション雑誌には必要かなと思います、本当に。そして次は2004年11月号、特集「お忘れジャーニー 思い出ホリデー」。もうタイトルから面白いのですが。話を聞けばこの特集にはスタッフ皆さんモデルとして出ているそうで……。
仲條 一部ね。ほかは、石垣島の高校生。
山崎 ああ。地元の高校生をスカウトしたんですね。すごいいい顔してますよね。
仲條 いいよね。これはね、現地で人気のある銭湯。そこの背景にハワイの写真を拡大して貼り付けたの。
山崎 沖縄なのにダイアモンドヘッドの写真を貼っている(笑)。
仲條 この特集はいよいよ『花椿』も休刊だと囁かれていたときで、これが最後の撮影になるかもしれない、じゃあ予算使っちゃえ!って撮った。
山崎 もう社員旅行みたいな、花椿旅行じゃないですか(笑)。楽しそうですね。
仲條 楽しいよ(笑)。楽しくなければ仕事じゃないよ。みんな今夜はどこで飲むとか、そんなことばっか考えてたよ。
山崎 最後だからって打ち上げ花火みたいに。
仲條 何年かにいっぺん、そういう危機的状況があってこういうことがあるの。
山崎 でもそこで名作が生まれるということですね。

2004年11月号「お忘れジャーニー 思い出ホリデー」(スクリーン参照)

思い出の特集をいくつか その3

山崎 次の特集は12年6月号です。表紙も印象的ですね。
澁谷 これは僕の担当号ですね。僕は12年4月号からADを務めたのですが、はじめに表紙を誰に撮ってもらおうかということを考えたときに、以前一緒に仕事をしたフィンランドのヘルシンキ・スクールという若者たちの写真がすごく好きだったので、そこにいたアンニ・レッパラさんにお願いすることにしたんです。アンニさんはアーティスティックな部分がとても強くて、日本の環境での撮影が少し大変だったようなんですが、それでも随分いいものができたと思います。
山崎 アンニさんの写真、すごくいいですよね。ボケボケなので、一般的な雑誌ではあまり使われないかもしれないですが、本当に雰囲気が独特で素敵ですよね。
澁谷 『花椿』はほかにもオランダのヴィヴィアン・サッセンさんやアメリカのイナ・ジャンさん、ウクライナのフォトグラファー・デュオのシンクロドッグスに表紙撮影をお願いしていました。
山崎 他誌よりも少し早く見出すというか、カメラマンがブレイクする少し前に『花椿』は取り上げますよね?
澁谷 そうなんです~(笑)。先取りしていました。ぼや~っとした写真や少しイリュージョンがかっていたりクレイジーだったり。そんな写真が好きですね。僕は長く広告撮影を手掛けていたので、広告特有のメイクアップを“実証する”ための写真を考えることが多かったのですが、『花椿』の場合はもう少しその、女性のムードや気持ちとか、物的なものよりも雰囲気、心情が出てくることが大切なのかなと思っています。
山崎 『花椿』の写真はものすごくフェミニンで、女の人の心のようなものがぐっと迫ってくる感じがあったと思います。
仲條 澁谷さんのこういう、ぼけっとしたシリーズはわりと続いたよね。
澁谷 そうですね。僕、基本的にぼけっとした写真や人間が好きなので(笑)。
山崎 (笑)。次は12年11月号の「Enjoy! ART MUSEUM OF COSMETICS」特集ですね。

2012年11月号「Enjoy! ART MUSEUM OF COSMETICS」(スクリーン参照)

澁谷 資生堂の商品でつくったミュージアムです。写真は瀧本幹也さん。
仲條 模型?
澁谷 模型というか、本物のスポンジやパレットの中味を使ったオブジェです。
山崎 すごーい。
澁谷 これはファンデーションの粉を使った彫刻作品です。
山崎 この小さなミロのヴィーナスですか?
澁谷 はい。本来フラットに収まっているファンデーションから、むくむくむくむくっとヴィーナスが起き上がってきたようなイメージの作品。
山崎 その物語だけでもうドキドキしちゃう。素敵ですね。
仲條 デザイナーが違うと表現も違うんだね。
澁谷 予算の違いじゃないですかね(笑)。予算あるからぱっとやっちまえ! という仲條さんの時代と、予算がないのでその中でがんばれという僕の時代(笑)。
仲條/山崎 ははははは(笑)。
澁谷 ほかにもヨゼフ・アルバースとモンドリアンを調和させたようなリップのキャンバスや、モダンアート的に見せたネオンアート、ホネケーキという石鹸とスポンジでデコレーションケーキをつくりました。石鹸を切るという発想は、昔資生堂のADだった石岡瑛子さんが石鹸に包丁を入れた素晴らしいビジュアルをつくったことへのオマージュなんです。このホネケーキはビジュアルも造形も美しいのに価格は500円ほど。パッケージデザイナーのそういうがんばりを僕は見せたいと思ったんです。……と、やはり僕は会社に長く在籍していたので仲條さんより資生堂愛が強いのかもしれません(笑)。

山崎 そして14年の6月号の特集はお相撲さんを被写体に、しかも「肌を鍛えよ」というタイトルで。どのようなコンセプトだったんですか?
澁谷 先ほど自分で会社愛が強いと言いましたが、資生堂はいろいろ事業がある中でも、一番大きいのはやはり化粧品事業です。その中にスキンケアとメイクアップがあるのですが、特にスキンケアは一番間口を広く設けているところなんですね。資生堂がどれだけ肌のことを考えているか、女性だけでなくもっと広く人間の肌を考えているということを表現するために、一番肌を強調する象徴として、お相撲さんが思い浮かんだんですよね。裸一貫でぶつかり合うという。
山崎 この写真、本当に美しいですよね。
澁谷 お相撲の中には日本文化の概念が多分に入っていますよね。神様に対する儀式のようなもので、ちょんまげもまわしも、行司さんの衣装もそこに付随する作法もすべて美しいんです。そういう文化を綺麗に、フェミニンなフィルターで見せたいという気持ちがあったので、写真は川内倫子さんにお願いしました。倫子さんの世界観が本当に素晴らしいんです。
山崎 クリーンな感じと言いますか、スキンケアの清潔感がすごく感じられる写真で、神聖な雰囲気がとてもよかったと思います。さっきフェミニンなフィルターでとおっしゃっていましたが、相撲の写真でこのような世界観のものはありそうでなかったですよね。
澁谷 日本文化において“清潔”ということはすごく大きな意識としてあると思うんですね。それは石鹸で手を洗うとかそういう清潔さではなく、何かもっと精神を清めるというような。神社にはお浄め処や結界があったり、不浄なるものを取り除いていく仕掛けがいろいろあることに表されるように、清潔感というのはすごく大切な要素ではないかなと思います。
山崎 そうですね。続いて15年8月号、「Home, Healing, Home」特集は、同じく川内さんですね。これは仲條さんがうらやましいと言っていたハワイでの撮影ですか(笑)?
澁谷 そう、とうとうハワイ(笑)。じつは広告仕事ではハワイはよく行っていて、芸能人のようなザ・ハワイという真似事はしたことがあったのですが、『花椿』で特集することになりよく調べてみると、ハワイは観光地化している反面、いわゆる土着信仰のようなものが息づくパラレルワールドでもある。そういう真の姿を撮りたいなと思ったんですね。
山崎 80年間の歴史を振り返ってみると、『花椿』はハワイの特集がすごく多いんですね。何年サイクルかでハワイ特集がある。
仲條 というのはね、季節に合わせて制作していると、春の号を撮影するときは発行の3か月前だから真冬なんですよね。なので暖かいところを探すとハワイにたどり着くという。正月に撮りに行くと帰ってきてレイアウトが終わるとちょうど3月。4月号にちょうどいい。
山崎 ハワイはすごく便利なところですよね。でもそんなハワイも時代によって切り取り方が全然違っていて、50年代だとやはり憧れのハワイというところがありますよね。リゾートっぽいハワイという時代もあったし、それと澁谷さんが言っていたようなハワイの文化や歴史に目を向けようというまじめな特集もあったりします。
澁谷 今、若い人たちをはじめとしてすごくスピリチュアルな時代だと思うんですね。ハワイにはそういう面がたくさんあって、山も海も、本当ハワイはパワースポットの極致ですよね。サーフィンで波を浴びて気持ちがいいのはそれは自然のパワーを浴びているからだそうです。
山崎 ハワイのそういう一面はすごく新鮮です。ロケも楽しそうですね。
澁谷 めちゃくちゃ楽しかったです。そのとき川内さんは新婚だったんですが、ハワイの土地の力に加えて幸せをおすそ分けいただいた感じがしました。
山崎 確かに、幸せオーラのようなものを感じますね。
澁谷 多分あるんじゃないかと思いますね。

2017年冬号「アール・ド・ヴィーヴル」

『花椿』は粋でなくちゃ

山崎 そして最新号の「アール・ド・ヴィーヴル」特集ですね。オニール八菜さんのとても美しい写真が印象的な表紙です。
澁谷 今回は日常生活に美を見出すというような内容だったので、あまり奇をてらったものではなく、もう少しこう、心がほっと安らぐような視点でつくりました。
山崎 光に溢れた感じが美しいですよね。こういうエレガントな目線も『花椿』という感じがしますが、やはりもうひとつ、何度も言いたいのは『花椿』の人選です。フォトグラファーやモデルの起用が本当に早いですよね。
澁谷 そうですね。それは『花椿』に限らず、やはり資生堂の広告に登場するモデルの選び方にもそういう意識があって、他所さまが起用した人を真似することはありません。要するに流行の後を追っかけるというよりも、自分たちが流行をつくるという姿勢が資生堂のクリエイティブの基本になっているので、売れているからという理由で飛びついたりはしない。仲條さんがよくおっしゃるのですが、そういうのは野暮だろうって。やはり粋でないといけない。
山崎 なるほど。それはもう『花椿』の精神ですね。
澁谷 『花椿』であり、資生堂の精神でもあるし、仲條さんもそうですか?
仲條 どうでしょう(笑)。そうありたいですよね。
山崎 カメラマンやモデルは一番わかりやすいところなんですが、『花椿』は執筆者やイラストレーターなど書き(描き)手の変遷に注目するとすごく面白いんですよ。60年代のイラストは久里洋二さんや真鍋博さん、長新太さんが順々に寄稿していたのですが、それぞれの年代にそのポストはひとつしかなくて、そのことがむしろ当時一番エッジィなイラストレーターはこの人だったということを証明しているんですね。そのときジャストで売れっ子だったということではなくて、そのとき一番新鮮な人はこの人です、という視点が明確に表れている。そこが『花椿』の持ち味ともいえるのではと思います。そろそろ時間ですが、仲條さん、『花椿』に携わってきた40年間はどのような時間だったと思われますか?
仲條 考えてみたら40年間って長いかなと思ったけど、何事もそうですけど経ってしまえばもうちょっとやれることがあったのではと思いますね。やっぱり年を取るとあまり遠いところにも行けなくなるからさ、ウイーンなんか嫌だなぁとなって、だんだん東南アジアが多くなる。あそこは食べ物がうまいからなとか言い訳して(笑)。でもこの『花椿』の40年は本当に楽しい仕事だったと思います。ありがたいことでした。
山崎 そのような、クリエイターが幸せな気持ちを感じながら制作する環境があると、雑誌はより素晴らしいものになっていくのではないかと『花椿』を読みながら、お話を伺いながら改めて思いました。今日は本当にどうもありがとうございました。

左から澁谷克彦さん、山崎まどかさん、仲條正義さん

登壇者プロフィール

仲條正義(なかじょう・まさよし)
1933年東京生まれ。1956年東京藝術大学美術学部図案科を卒業後、資生堂宣伝部、デスカを経て1961年仲條デザイン事務所設立。主な仕事に40年以上にわたった資生堂『花椿』誌のアートディレクション、ザ・ギンザ/タクティクスデザインのアートディレクション、資生堂パーラーのロゴタイプ及びパッケージデザイン、松屋銀座、スパイラル、東京都現代美術館、細見美術館のCI計画、またNHK Eテレ「にほんごであそぼ」のカルタイラスト、『暮しの手帖』誌の表紙イラストなど。東京ADC会員最高賞、東京TDC会員金賞、JAGDA亀倉雄策賞、毎日デザイン賞、日本宣伝賞山名賞、紫綬褒章、旭日小綬章ほか受賞多数。

澁谷克彦(しぶや・かつひこ)
アートディレクター。1981年 東京藝術大学美術学部卒業、資生堂宣伝部を経て2017年4月よりフリー。数多くの広告やグラフィックを手がけた後、「INOUI」「SHISEIDO」「クレ・ド・ポー ボーテ」などの資生堂のグローバル展開におけるクリエイティブディレクションも担当。2012年より『花椿』アートディレクター。2017年より女子美術大学特認教授。2012年 亀倉雄策賞、東京ADC会員賞、他に東京ADC賞、NYADC特別賞、JAGDA新人賞、東京TDC金賞など受賞多数。

山崎まどか(やまさき・まどか)
文筆家、翻訳家。1970年、東京生まれ。清泉女子大学卒業。本や映画、音楽などカルチャー全般、特に女子文化に精通。女性誌などでコラム連載・寄稿多数。著書に『乙女日和』、『イノセント・ガールズ』『女子とニューヨーク』『オリーブ少女ライフ』など。共著に『ヤング・アダルトU.S.A.』など。翻訳書に、『イー・イー・イー』『愛を返品した男』『ありがちな女じゃない』がある。
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