次の記事 前の記事

Column

2017.12.28

特別対談、中里周子×山崎まどか「これからのアート、フェミニズムの行方」<前編>

写真/三宅 英正

2017年10月に開催されたTOKYO ART BOOK FAIR 2017。そこで行った花椿誌主催、スペシャル・トークショーの内容をご紹介します! パート2のゲストは、アーティストの中里周子さんと文筆家の山崎まどかさんです。中里さんの創作についてやSNSが変えるアートの裾野、そしてフェミニズムの未来についてを語っていただきました。

「いいね!」でつながる世界、アーティスト同士の物々交換

花椿 文筆家の山崎まどかさんとファッション・デザイナー、アーティストの中里周子さんにご登壇いただきます。よろしくお願いいたします。女性の手によるクリエイションやフェミニズムの行方などについて、おうかがいしたいと思います。

山崎 本日はよろしくお願いします。私は今回、『花椿』2017年冬号の別冊付録「花椿の80年」を編集するために連日資生堂に通って、すべてのバックナンバーを閲覧しました。この雑誌は戦時中の10年間を除いて80年間、毎月発行していたのですが、2015年の月刊誌としての最終号の表紙は中里さんが携わっているんですよね?
中里 そうなんです、鶴の作品が載っています。
山崎 これはどういう経緯でコラボレーションしたんですか?
中里 その『花椿』2015年度の表紙を担当していたのは、ウクライナ出身のフォトグラファー・デュオ、シンクロドッグスなのですが、実はかねてから私は二人の大ファンで、以前、フェイスブックを通してメッセージを送っていたんです。「私は東京でファッション・デザイナーをしていて、作品はこんな感じで…」と資料を送ったら、片割れのタニヤから「すごく好き!」と返事がきて、メールのやり取りを重ねるうちに、なんと彼らがその翌々週に(『花椿』の)撮影で来日することが判明。その機会に私のアトリエに二人が立ち寄ることになり、そこで作品をいろいろ紹介したら「これ持ってく!」と言ってジュエリーや雲のオブジェ、鶴などのアクセサリーを持って行き、その後「『花椿』の撮影に使ったよ!」という連絡はもらったのですが、チェックしていてもなかなか『花椿』の表紙に登場していなくて。いつかなと思っていたら、なんと『花椿』の月刊誌最終号に登場していたという(笑)。
山崎 撮影に立ち会ったわけではなく?
中里 そうなんですよ。どうやらプライベートに撮影していたようです。月刊誌の締めくくりとなる号だったことは後でうかがって、あまりに嬉しすぎて60冊いただきました(笑)。
山崎 (笑)。掲載までの経緯がすごく今っぽいですね。フェイスブックでファンだから「見て?」って言ったらその作品がすぐ採用、というか、横並びみたいな感じですよね。昔だったら掲載されるまでにいろいろな人に認められないとそこまでこぎつけられない世界だったのに。すごく希望のあることですよね。
中里 そうですよね。彼らから返信がくること自体驚きだったんですけど、むしろこのことがきっかけでもっといろいろなところにアプローチしてみればいいんだということを感じました。自分のブランドを始めたのもちょうどその頃だったので、シンクロドッグスの二人が来ることが決まったとき、スタジオのスタッフみんなでわーって盛り上がりましたね。
山崎 今つけているネックレスもインスタでつながったデザイナーさんと物々交換したんですよね?
中里 そうなんです。JIWINAIAというブランドで、めちゃくちゃかわいいんですよ。
山崎 コンタクトはどちらから?
中里 彼女からです。メッセージを送り合うような間柄ではないのですが、投稿すればハート(「いいね!」)を必ず送ってくれていて。それからじわじわと距離が縮まって、最後は物々交換に至りました。そもそも物々交換という概念がなかったから、私の作品をあげるからあなたのそのネックレスをくださいという、すごいダイレクトな表現がとても嬉しかったです。
山崎 その「いいね!」が世界で通じるというのがほんとに今っぽいですよね。インターネットはいろいろなことがあるけれど、その点は本当によくて、世界のアーティストがすぐにお互いの作品を見られるし、何の仲介もなく繋がれる。で、ダイレクトに物々交換だなんてすごい。本来ならばそういうのって手続きが大変じゃない?
中里 そうですよね、グレーゾーンというか友達だから……という点も大きいような気がします。
山崎 そう、「友達だから」が通じてしまうということもありますよね。そこがすごく面白いなと思います。アーティスト同士の作品なんだけど超物々交換みたいな、手づくりのものをプレゼントし合っているというのがすてき。私は当事者じゃないからわからないけど、アートの世界は買う人がいて、バイヤーや管理する人がいて、売る人がいてって割と大変な世界というイメージがあるじゃないですか。そういう体制は継続されているのですか? それとも崩れてきているんですか?
中里 どうなのでしょう? すべてとは言えないですが、今はいろいろなコミュニケーションの方法があるので、今回のような「あなたのためにつくる」という動機も含めて、変化している面はあるのかなという気はしますね。
山崎 そういう小さなつながりのようなものがだんだん世界を変えていく可能性はありますね。
中里 そうですね。
山崎 『花椿』の月刊誌最終号で、そこにそういうエピソードが出てくるということにすごく希望を感じました。『花椿』はどういうイメージでした?
中里 そもそもそんなに自分がコミットできる距離感ではないという感じがすごくありましたね。美意識が確立されている感じでしょうか。でも『花椿』の表紙に使われました、とフェイスブックで告知をしたら、私の中高時代の先生たちがすごい!  と反応してくれたりしていて、世代を超えた存在なんだなと思いました。

「着る」ことの原体験、ファッションであることは「絶対」

山崎 中里さんはファッションブランドとジュエリーのブランドを運営されていて、それらは単にお洋服やジュエリーだけではなくもっとインタラクティブな活動をされていると思うのですが、中里さんの原体験はどんなものでした?
中里 父親がとてもファッションが好きで、幼少期は姉と兄と私三人お揃いでアニエスベーを着せられて休日は青山へ、という感じでした。なので、ファッションや「着る」という体験がもともとすごく身近にありました。自身の美意識の源泉は、そういった子供のときの体験とか、忘れ去られているようなノスタルジーの部分の影響が大きいと思います。
山崎 わかります。ファッションや洋服ってすごく個人との関係で、そのものを好きでないと、かつ自分の肌感覚みたいなものがないとやっていけないというところがあって、ただアートというのではなく、ファッションということがすごくこだわりなんだということですよね。デザインを始めたのは?
中里 立教大学の文学部に在籍していたときです。文学科の文芸・思想専修で、哲学やサブカルチャーを評していく授業が主でしたが、その周りの人たち大体みんな小説書いてるんですよ。訊けば普通に「小説書いてるよ」、「映像撮ってるよ」、「写真撮ってるよ」、あと「球体関節人形つくってます」なんて回答してくるユニークな友達が多かったです。
山崎 そうか、その時点でもうつくってる人が多かったんだ。
中里 そう、みんな変わってる~って思いましたね。私自身は所属していたファッションのサークルで、初めて洋服をつくってショーで見せるということを経験したところで、実際将来服をつくることはないだろうと思っていましたが、ファッションをアカデミックに捉えていきたいという気持ちは強くありました。当時はアカデミズムに対する憧憬があって、まずは物をつくったことがないので勉強しようかなというところから始まってます。6年ぐらい前ですね。
山崎 今もまた大学で学ばれてるんですよね?
中里 はい。大学卒業後に1年間、「ここのがっこう」というプライベートスクールと文化服装学院の夜間部、セツ・モードセミナーにも少し通ってファッションを勉強したのち、東京藝術大学の大学院に進学しました。美術教育研究室の修士課程を経て今博士に、今年4年度目です。
山崎 日本でも話題になったジュエリーの賞を受賞したときは在学中だったんですね。
中里 そうですね。2015年のインターナショナル・タレントサポート(ITS)※です。私はその中のジュエリー部門でグランプリを獲得しました。日本人の受賞は初だったそうです。※ITS ヨーロッパ最大のファッション・コンペ。スポンサーはDIESEL。
山崎 しかもジュエリーをつくり始めたばかりだったとか……。
中里 そうなんです。作品提出締切1か月前に、大学院1年目に在学していた「ここのがっこう」の山縣良和さんから、何か出してみたらいいんじゃないかと提案していただき、それまでジュエリー製作は未経験だったのですが、敢えて挑戦することにしたんです。その際、普通にかなり精巧な技術で戦ったとしても絶対に勝てないとわかっていたので、ジュエリーにあまり用いられないもの、形にならないネバネバしたものなどを素材として検討しました。その中で、竹橋の科学技術館で見たすごく大きなプラズマボール、丸くてびりびりするのにピンときて、「古いテクノロジー」で製作することにしました。これはおそらく身につけるものにはまだ使ってないだろうと(笑)。そしてつくっていくうえで重要なのは、総合的な見せ方だと思ったんです。単純にジュエリーはつくって、身につけて完成するじゃないですか。ということは、これをつくるにはここにつける人をつくらなきゃいけなくて、そのつける人をつくるには空間まで広がっていくべきなんじゃないかと、いろいろな表現を検討しながらつくりました。
山崎 私自身ジュエリーのプレゼンなんてやったこともないし、どんなものかも知らないけれど、中里さんも当時はあまりわからなかったんじゃないですか?
中里 そうですね(笑)。でもジュエリーの知識がゼロだったからこそ、自分の強みはなんだろうと真剣に考えることができたとも言えます。単純に物をつくるだけじゃなくて、人と物の関係性や空間など、ファッションがもっている可能性のようなものをビジュアルで視覚的に表現することが得意なんじゃないかと思い、方向性が見えたような気がしたんです。
山崎 なるほど。その話を聞くと、中里さんは本当にジュエリーという概念から自由なんですね。でもそれは概念から離れているわけではなくて、“身につけるもの”というところからどんどん世界が広がっていっている。そこが面白いし、みんなが反応したところなのでは。
中里 そう思います。私が創作の中でこだわっているのは、自分がファッション・デザイナーであるということ。それは絶対です。ファッションをやっていく中ではやはり、人と物との関係性は無視できないし、接触の瞬間を提案するのがファッションだと思います。しかもそれが絶対的にポジティブに転換できるものということが、ファッションの大きな魅力だと思っていて。そういうときにやはり身につける喜び、そういう気持ちに気がついて広がっていく。そうするともう何でもできてしまうような気がします。
山崎 なるほど。人と物との接触というところから世界が広がっていく。そこを入り口にして、ということですね。
中里 アートの場合は「うわ、生理的にダメだな」と思われてしまう作品があったとしても、非常に意義がある作品もある。でもファッションにおいて「ちょっと触りたくない」とか「自分に寄せたくない」というのは絶対許されないと思うんです。
山崎 そうですね、ファッションでは生理的にダメなのはちょっとむずかしいですね……。
中里 ファッションの中にはやはり愛着や所有、体験のようなものがあると感じています。「カワイイ!」とか。それを昨年、絵文字で考えていたんですけど(笑)、ハートの笑顔の絵文字があるじゃないですか。それと「びっくり!」って絵文字。それらが「ファッションの愛着と所有と体験」をうまく表現しているなと。
山崎 なるほど(笑)。

エレガンスは、開き直り

山崎 中里さんはビジュアル制作も活発ですね。
中里 そうですね。物をつくるだけでなく空間も含めた全体を表現していこうと思っているので、ビジュアル制作も行っています。そういう中で、自分の表現の核となっている部分が「エレガンス」なんです。2012年の「sutegoma series」という作品を制作中にその考えに行き着いたのですが、「エレガンスのニュータイプを提案する」ということが私のテーマになっています。ではそもそも、エレガンスとは何か。“優雅さ”のようなものを想像するのが一般的だと思いますが、デパートの美術企画展があるじゃないですか、そこに煌々と飾ってある洋食器や、陶器の人形など、ああいうものは決して回転が速いわけじゃないのにどの時代にも絶対にある。そこに、エレガンスが見えるんです。
山崎 変わらない美みたいなものがそこに。
中里 そうですね。そこですごく重要なのが、その美が開き直っているというところ。たとえば、他のフロアは頻繁に変わるけど、うちのフロアのこの一角は絶対変わりませんという態度です。時代がどうなであれ、私たちはこれを美として捉えています、というような開き直りの美学、ここに美の真髄があるんじゃないかと。それっていわゆる時代の中でいうと、ひとつの軸、時間軸がずれているものという感じがあるんです。
山崎 それはすごくわかります。確かにデパートの変わらないフロアってありますね。そこにある陶器の人形にエレガンスということばをあてはめるというのがすごく面白い。エレガンスは変わらないものとよく言われますが、ファッション雑誌、それこそ『花椿』にも時代時代の端々に必ずエレガンスが登場するんですよ。そのように雑誌の歴史を眺めて強く思ったのは、エレガンスと言われる人や物がまったく変わらないということ。ほかの分野と違って十年一日、同じ人がいるんです。たとえば、フランス人にとってのエレガンスはジャン・コクトーやマレーネ・ディートリッヒ、シャネルもそうですね。オードリー・ヘップバーンも外せない。一体そういうものは何なのか。それに対して、ダイアナ・ヴリーランドはそれは「拒絶」だと表したんですね。エレガンスは拒絶。つまり変わらないものと。それを拒絶って言ったことが私はすごく大きいなと思ったんですが、それを中里さんは「開き直り」と言う。
中里 そう、開き直り。
山崎 それがすごいなと思ったんですよ。開き直りってことばは今だけど、拒絶ってことばと開き直りは裏表で似ているし、なるほどと思って。だからエレガンスという概念は、変わらないけど、やっぱり光のあたり方とかことばって変わっていくんだと思ってはっとしました。
中里 そうなんです。それとエレガンスは少しダサい、みたいな意味もあるんですよね。
山崎 エレガンスはダサい、って面白い(笑)。コンサバ的なことでしょうか。
中里 なんでしょう、エレガンス=「美」みたいな、「美」について本心で語ります、というイメージが強い感じがするんです。少し時代遅れのイメージがあると思うのですが、実は裏を返すとそれだけ美に対して真摯な表現とも言え、私はそこにぐっと惹かれるんです。ガラスの中に埋め込んである時計があるじゃないですか。
山崎 ああ、私もぼんやりそういうものを思い浮かべていました(笑)。ことばにしていいのかわからないけど、和光のような世界。
中里 そうです、そうです、まさに。
山崎 そう、和光やミキモトなど、銀座にある老舗の感じってエレガンスだけど、妙齢感が一瞬よぎるじゃないですか。上質なのはわかっている、美意識があるということもわかっている、でも……時代とは関係ないっていう。
中里 エレガンスは実態もあるのですが、美に対する態度、美的な態度という点で、してやられたなって思ったんです。昔、家にあった母のオークションカタログに着想を得たブルーグラデーションの背景シリーズなど、個人的なエレガンスをビジュアルで表現した作品を経て、今度はことばで表現できないかと思い、博士論文では「エレガンスのニュータイプについて」に関しても言及しています。
山崎 エレガンスというものはひとつの型にはまっているものではあるじゃないですか。それを逆に言うと、型にはまっていつも同じものはエレガントだって、どんなことにでもそう言えるということですよね。
中里 そうそう、そうなんです。でもそこが、やっぱり開き直っているからこそのエスプリがある。どんな時代でも。でもその中で私が言う時代の軸から少しずれてしまっているものは、自分の世代感覚との対比でいろいろなものを組み合わせていくんです。そこの間に表現が生まれていくという感じですね。