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インタビュー

2022.07.11

【新連載】 「マイ・ゼロ・ストーリー」 第1回 岸惠子

新連載がスタートします。テーマは、「マイ・ゼロ・ストーリー」。
花椿編集室がいま会いたい人にお会いして、その方の現在の活動の原点となった出来事や刺激を受けたこと、そして現在とこれからについてなど、たくさんのことをお聞きします。

記念すべき第1回のゲストは、俳優の岸惠子さん。

岸さんは俳優として活躍中の1957年にフランスへ渡ります。その後、俳優としての仕事に加え小説やエッセイの執筆などにも取り組まれ、2022年8月には90歳を迎えられます。
激動の時代において常にご自身で道を切り開いてこられた岸惠子さんのこれまでとこれからとは。

既存の常識にははまらない、私流の人生。

太平洋戦争の戦渦の中、大人の言うことを聞かずに逃げ出し、無事に生き延びた12歳の少女は「今日で子供をやめよう」と決意した。この少女とは、俳優、エッセイスト、ジャーナリストとして国際的に活躍し、今年90歳を迎える岸惠子さんのことである。
常に自分の目で見て、物事を考え、考えをすぐに行動に移し、自分の言葉で語り、執筆する。旺盛な好奇心と興味をすぐさま実行に移す行動力で、人種や国境などの壁をひらりと飛び越え、従来の職業の枠にもとどまらず、自らの道を切り開いてきた。

「自分で道を切り開くというよりも、道が開いてくれちゃってそこを歩いただけなのかもしれません。人がつくった常識にはまって生きることをしなかったんです。私は好奇心が強かったんですが、そそっかしいから、いろいろ間違えたこともありました」(岸惠子、以下同)

幼い頃は物語を書く人になりたかったという。川端康成の文章に魅せられており『花のワルツ』の切ないバレリーナに思いを馳せ、当時通っていたお茶とお華の稽古に加えバレエレッスンに通い始める。そのレッスンの帰りに出会ったのが一枚のポスターだった。詩人のジャン・コクトーが脚本と監督を担当した映画『美女と野獣』(1948年日本公開)だ。高校では禁じられていた映画鑑賞だったが、その1本が映画の世界への扉を開けた。俳優への第一歩を踏み出したのだ。

俳優としてスターに上り詰めた時期にも〈演技者にも作品を選ぶ自由が欲しい〉と、仲間とプロダクションをつくる。当時の気風からはきっと度肝を抜かれるような行動だったのだろうと想像できる。そして海外の映画監督からのオファーを受け、イギリスとフランスでそれぞれ英語とフランス語を学ぶ。目まぐるしく変わる運命という波を、面白がっているかのように岸さんは乗りこなす。そして1956年『忘れえぬ慕情』で後の伴侶となるイヴ・シァンピ監督に出会う。

《卵を割らなければ、オムレツは食べられない》

これはフランスの諺であり、シァンピ氏が岸さんに言った言葉。日本では海外旅行が禁じられていた時代に、世界をもっと見てみませんかという彼のプロポーズに、心は大きく揺れ動いた。1957年、俳優の仕事にきっぱりと終止符を打ち、24年間生きてきた日本を離れ、パリへと向かった。敗戦から12年、個人的な海外旅行が禁じられていた頃の話である。仲人は、川端康成が務めた。

フランスでの生活はカルチャーショックの連続であった。ひとつはユダヤの問題だ。ユダヤ人の友人が自身のことをイスラエル人だと言ったことを疑問に思い、食卓で話題にした。夫と義母がていねいにユダヤ人について、歴史について説き、ユダヤ人同士でも差別が生まれると話した。
「義母から話を聞いたときにすごくショックを受けて、犬養道子さんの『旧約聖書物語』『新約聖書物語』(ともに新潮社)を読んで、イスラム教の『コーラン』まで読み漁りました。そして、聖書を学んだ上で何かの宗教に思いを馳せるよりも道端の名もないお地蔵様のほうがいいと思うようになりました。日本から海外に出て、そうした経験が本当にたくさんありました。パリで五月革命(1968年)も目の当たりにしましたし、プラハの春(1968年)にも遭遇しました。革命と言われるところに偶然居合わせたんです。そうした体験が私の人生を大きく変えたのだと思います」

岸さんの人生に、職業という枠はない。フランスに住みながらも、時折日本に帰国して俳優の仕事を続けた。そして好奇心に導かれてアフリカ大陸や中東、ヨーロッパとさまざまな国へ旅をし、自身の目で現地の時代や空気をつかみ取った。それは後に小説やエッセイの執筆、国際報道のキャスターとしての道を切り開くことになる。
今どんなことをしたいかという質問に対し、
「あと2、3冊本を書きたい」と微笑む。
「とにかくこれまでの人生で本当にいろんな目に遭ってきましたが、全部自分一人で切り抜けてきました。一人っ子で甘えて育ったはずなんですが、小さな頃から自立していましたね。年齢を経て、肉体的には変化がありますが、性格は全然変わらないし変えたいとも思わないですね。これからも私流に生きていこうと思います」

花椿編集室からのQuestionに、岸惠子さんが答えてくれました

Q . 子供のころの夢は?

Q . 1日のうちであなたにとって一番大切な時間とその理由は?

Q . 落ち込んでいる人に声をかけるとしたら?

Q . いま、行ってみたい場所は?

Q . 「美」ということばからイメージすることとは?

岸惠子
きし・けいこ/1932年横浜市生まれ。51年映画デビュー。映画『君の名は』『雪国』『おとうと』などの名作に出演。パリでの生活の経験を活かし、作家、国際ジャーナリストとしても活動する。著書に『巴里の空はあかね雲』(新潮社)、『砂の界へ』(文藝春秋)、『ベラルーシの林檎』(朝日新聞、日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『30年の物語』(講談社)、『風が見ていた』(新潮社)、『私の人生 ア・ラ・カルト』(講談社)、『わりなき恋』(幻冬舎)、『愛のかたち』(文藝春秋)、『孤独という道づれ』(幻冬舎)、『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』(岩波書店)ほか。

撮影:金澤正人(SHISEIDO CREATIVE)
スタイリング:坂本久仁子
ヘアメイク:富川栄、深野結花(SHISEIDO)
インタビュー:上條桂子

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