2017年はコム デ ギャルソンの年になる。
そう予告されたのは去年の10月、パリでのこと。 パリコレ期間中に初めて、NYのメトロポリタン美術館(MET)服飾部門による2017年のファッション展のテーマが、コム デ ギャルソン(およびそのデザイナーである川久保玲)に決定したというニュースが発表されたのだ。
毎年5月から9月初めの夏を通して開催されるMETのファッション展と言えば、ファッション業界恒例の一大行事。テーマの発表前は、次は何? と取沙汰され、発表後は展覧会テーマがファッショントレンドに影響を及ぼすさまが話題となる。実際、選ばれたテーマやキーワードは時代の気分を的確に掴んでおり、さらに今後のトレンドを左右すると定評あり。お膝元のNYだけでなく世界中から注目されているのだ。
今回の主題、コム デ ギャルソン(の川久保玲)に至っては、METのファッション展史上、生存デザイナーとしてイヴ・サン・ローランに次ぐ二人目、34年ぶりとあっていつにも増して興味を引きつけている。
きらびやかなファッションを披露する舞台、METガラ
さて、そんな話題の展覧会、「川久保玲/コム デ ギャルソン:間の技(Art of the In-Between)」が5月4日にいよいよスタートした。その数日前に展覧会のオープニングを飾ったのは、「METガラ」と呼ばれる大パーティー。
ガラとはお祭りという意味で、MET服飾部門の理事を務めるアナ・ウィンター米『VOGUE』編集長らがホストを務め、展覧会テーマにちなんだドレスコードに身を包んだセレブリティやファッション業界人が集うイベント。彼らのきらびやかな衣裳が大いに注目を集め、ファッション界のアカデミー賞、あるいはオスカーと呼ばれることもあるとか。要はMETガラとは一般からも大注目されるレッドカーペットオケージョンなのだ。
コム デ ギャルソン(以下CdG)の精神に敬意を表した今回のドレスコードは、アバンギャルド。必ずしもCdGのドレスを着用と言うわけではなく、様々なブランドの“アバンギャルド”なファッションに身を包んだ著名人がレッドカーペットを闊歩する姿がメディアを賑わせた。
趣向を凝らした着席ディナーへと続くこの催し、実は、誰もが知る有名人でなくても参加することは可能だ。しかし、ディナー1名分の料金は昨年実績で3万ドル、1テーブルまるごと押さえようとするならばなんと27万5千ドル(!)にも上る。 しかも払うお金があったとしても、ウィンター編集長の審査でOKをもらわなければ買うことができない上、600席あるシートは瞬く間に売り切れてしまうのだそう。
そもそもガラパーティーを催す目的は、MET服飾部門の1年間の活動資金を得ること。百花撩乱のレッドカーペットファッションで衆目を集め、ディナーチケットで資金を得ることは、言わばMET服飾部門が存続するための生命線だと言える。
ファッションはアート足りうるのか
ここで大きな命題として浮かび上がってくるのは、「果たしてファッションは美術館で展示するような“芸術”としてしかるべきものなのか」ということ。
人が日常的に身につける実用品としてデザインされ半年ごとに消費されていく服と、偉大なアーティストが魂を込めて表現した芸術作品は同列に並べるべきではないという声がアートの世界、とくに権威層の間では根強くある。今回のCdGという一ブランドにフォーカスした展覧会開催の舞台裏には、「ファッションも芸術のひとつだ!」という強い信念をもった人物の存在がある。
そのキーパーソンがMET服飾部門の主席キュレーター、アンドリュー・ボルトン氏だ。ちょうど現在公開中のドキュメンタリー映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』では、METファッション展およびガラパーティーの企画から開催に向けて奮闘する彼の仕事ぶりを垣間見ることができる。贅を尽くしたファッションの数々や、参集したセレブリティたちの華やかではしゃいだ姿とは対照的な、ボルトン氏の地道でひたむきな姿勢がとても印象的だった。
アートとしても見応えのあるCdGのファッション
時代の絶妙な一場面を切り取るものが芸術作品であるとすれば、ファッションもまた時代を映す鏡であり、アートの一つの形態だ、と私も思う。
ただアートとしての鑑賞に耐えられるほどの存在感をもったファッションおよびそれを生み出すことのできるデザイナーと言えば、数は非常に限られてくるだろう。現役デザイナーの中ではやはり、CdGが真っ先に挙がる、というのもボルトン氏と同意見だ。たとえデザイナーの川久保自身が、自分の作品はアートではないと語っていたとしても。
そんなことを最近強く実感したのは、昨年10月に行われた2017年春夏のCdGのショーだった。
MET展覧会の目録にも「2014年、川久保は服作りを止めることを誓った」と謎めいたニュアンスで書かれているように、実はCdGは2014年春夏シーズンから「服を作ろうとしない」ことで、新しいファッションのあり方を模索している。つまり、非常にコンセプチュアルな(≒日常服とはかけ離れた)アートピースのような作品を、通常より極端に少ない点数(普通のメゾンではだいたい一度のショーに40~50点、多いところでは100点近く発表するのに対し、CdGはその半分以下)でじっくり見せる、というショーを継続しているのだ。
2017年春夏のコレクションテーマはInvisible clothes (目に見えない服)。ショーではもちろん実体のある服が発表されたわけで、どこか禅問答のようなテーマだ。服は全て身体を覆うほどの超特大サイズ。全17体が一ルックずつ、しずしずと歩みを進めた。
一体が登場してからカメラの前でターンし戻ってくるまで、とにかく通常の倍以上の時間がかかる。ただひとつのルックを、それこそ穴が開くほど一心に見つめる。壮麗だが悲哀を感じさせるBGM効果も相まって、会場の観客たち(=ファッションウィークの喧噪の中で、時間に追われ街中を働きアリのようにせわしなく駆け巡っている人々)に、まるで瞑想のような時間が訪れた。
―コレクション期間中ただただ目まぐるしく動き回り、適当なおしゃべりに明け暮れ、現れては消えるファッションを追いかける毎日。何か大切なことが抜け落ちていないか。
デザイナーが長い時間をかけて作り上げた作品に、果たしてそれ相応の熱意をもって向き合えているのか。
本来ファッションとはどうあるべきか。ファッションを取材する意味は何なのか…… ―
そんな内なる声を呼び覚ますような凄みのあるショーだった。
最後のモデルが舞台を後にし、突然音楽が鳴り止むと、一瞬の静寂を置いて、観客からの拍手に会場が揺れた。涙ぐむ人もちらほら。
さて肝心の展覧会「川久保玲/コム デ ギャルソン:間の技(Art of the In-Between)」概要ですが、1980年代初頭からのCdGのレディースのコレクションアーカイブから約150点が、「Fashion/Anti-Fashion」や「Self/Other」など、二項対立テーマに沿ったセクション分けで展示されている。会期は9月4日まで。
実は私もまだ実際に展覧会を訪れたわけではないので、この夏、どのタイミングでNYに行こうかと手帳とにらめっこ中です。
会期
2017年5月4日 - 9月4日
場所
メトロポリタン美術館
The Met Fifth Avenue Iris and B. Gerald Cantor Exhibition Hall, Floor 2
公式サイト
http://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2017/rei-kawakubo