二人のアーティストが静寂のなかに残した隙間
ヨーロッパを代表する二人のアーティスト、ミヒャエル・ボレマンスとマーク・マンダースの二人展「ダブル・サイレンス」が、美術館の展覧会としては世界で初めて、金沢21世紀美術館で開催されている。
「二重の静寂」という展覧会名の通り、展示室内はせいせいとした静けさに包まれ、そのなかをマスク姿の鑑賞者たちが無言で、あるいは小声で囁きながら歩きまわっていた。
いっぽうで展示された個々の作品は、抑制を利かせてもお溢れ出るほどの豊かな叙述性に満ちている。ただしタイトルや素材等の情報を記したキャプションからはほとんど何も読み解くことはできない。彼らの作品世界はどうにも割り切れないアンビバレントな文脈から成り立っているように見える。それは彼らが生まれ育ち、現在も拠点を置く北ヨーロッパのフランダース地方特有の多言語・多文化世界の複雑さにも通じるのだろうか。
ミヒャエル・ボレマンスは1963年にベルギーの田舎町に生まれた。幼少期の彼にとって、カトリック教会の宗教美術はもっとも魅力的で畏怖に満ちた視覚言語であったという。ここを出なければという切迫感に駆られ小さな町を出たボレマンスは、30代まで写真や製図、銅版画などのグラフィックアートにたずさわり、その後ベラスケスやフラゴナール、シャルダン、ゴヤなど、伝統的な西洋絵画の技法と主題に関心を移す。
ボレマンスの絵画は一見日常的な現代の情景のなかに、心理ゲームのように暗示的なモチーフが組み合わされ、そこには不穏な緊張感が潜んでいる。「絵画は想像世界の窓を開く言語」と彼自身が呼ぶように、その主題は曖昧でいくつもの解釈を誘うが、画家の眼差しは目の前の現実を透過し、遥か向こうの遠い過去と向き合っているようにも思える。
マーク・マンダースは1968年にオランダで生まれた。少年時代、大工だった父から「世界に新しいものを届ける」特別な瞬間の喜びと誇らしさを教えられ、工業デザインの道を選ぶ。いま彼自身も子どものおもちゃはすべて手づくりし、さらにその道具まで自作しているそうだ。(自宅の写真を見せてもらったが、美しく精巧な町の模型が子ども部屋を埋め尽くしていた)
1986年から「建物としてのセルフ・ポートレイト」と名付けた彫刻作品に取り組むようになる。マンダースの作品世界をもっとも特徴づけるのが、ひび割れ朽ちかけた粘土彫刻に見えるブロンズ像の頭部が、ときに荒々しく木片に挟まれ、ときにガラスケースに設置され、またときには工事現場のような囲いのなかに設えられている一連の作品だ。これらは不安定な緊張感や暴力性を秘めているが、うらはらに穏やかな調和を生み出している。
展示の一角で上映されている本展のためのインタビュー映像では、マンダースが「二重の静寂がひとつの美術館で起きる。これは素晴らしいことです」と語っていた。
担当キュレーターからの「二人に共通する言葉を見つけてほしい」というリクエストに応え提案された『ダブル・サイレンス』という言葉は、「互いに異なる静寂さの融合」を意味するという。
なかでも二人の作品が共存する展示室では、彼らが相手の創作をリスペクトし、呼応しあうポイントを丹念に探ろうとしたことが伝わってくる。互いの作品世界の「不穏と親密」「暴力と調和」「ドライとウェット」といった割り切れなさについて深く理解し、共有し、探求しようとした痕跡のようなものが残されていることが印象的だった。(実際にはコロナで来日できず、リモートで設置を指示したにも拘らずだ)
もう一つ、映像のなかでマンダースが語っていた忘れがたい言葉がある。
「脳は複雑で、脆い。だから私は心を探求しようと思いました」
美術史の長い歴史のなかで連綿と受け継がれ、未だ解き明かされることなく残された「人間の心」という隙間。それらはアーティストたちにとって沈思黙考するための小部屋であり、ときに彼らのセルフ・ポートレイトそのものでもある。
ミヒャエル・ボレマンス マーク・マンダース|ダブル・サイレンス
会期:2020年9月19日(土)~2021年2月28日(日)
会場:金沢21世紀美術館 展示室7~12・14
https://www.kanazawa21.jp/