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Column

2020.06.16

「廣瀬智央 地球はレモンのように青い」がアーツ前橋で開催中

文/住吉 智恵

感覚で向き合い、本質を問いかける作品世界。

1991年に国費留学生として初めてイタリアに赴き、約30年以上にわたってミラノを拠点に活動するアーティスト廣瀬智央。彼の初の大規模な個展「廣瀬智央 地球はレモンのように青い」がアーツ前橋で開催されている。

《レモンプロジェクト03》1997年(2020年)作家蔵

1997年、ザ・ギンザ・アートスペースのフロア一面にレモンを敷きつめたインスタレーション《レモンプロジェクト03》は、文字通り、ほとばしるレモンの雫のように鮮烈だった。本展ではこの代表作を23年ぶりに再構成し、約3万個ものレモンで展示空間を埋め尽くした。

「カメラ一台抱えてイタリアに移住して、表現を模索していた頃にソレント半島を訪れたんです。まるで目から香るような一面のレモン畑に出合って感激しました。イタリアの文化は街ごとに異なり、特に食の文化はとても奥深い。僕もまず日常生活の小さなことを見直すことから始めて、自分の生き方を表明するような作品世界を探求し続けてきました」と廣瀬は自身の原点を振り返る。

20世紀イタリアの芸術運動「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)」の作家ルチアーノ・ファブロに師事し、庶民の主食ながら味覚を豊かに広げる豆やパスタ、社会への緩やかな介入の窓口である新聞紙や地図など、身の回りのささやかなものを作品の素材に用いるようになる。
たとえば代表作のひとつである《ビーンズコスモス》シリーズでは、透明アクリルの球体のなかに、素朴な豆と純金でおおわれた豆、そしてクシャッと丸められた世界地図が、まるで惑星のように等価値で共存する。

《ビーンズコスモス(タマ)》2016年 作家蔵
《無題(豆の神話学)》2008年 作家蔵

「豆は生者と死者を繋ぎ、両義的な世界を往還する象徴的な存在です。ピタゴラスは弟子たちに、純粋性を求める数学という学問を志す者はあいまいな豆を食べるな、と教えたといわれます。いま世界は、極端に白黒をつけ、逃げ道を理詰めで塞ぎ合う、分断の状況にあります。しかし、傾いたバランスを戻す感性と智恵さえあれば、矛盾に満ちた多様な世界でも互いに認め合えると思うんです」 

廣瀬が自身の創作を通して、一貫して問いかけてきたのは、森羅万象を単一の視点でジャッジしてきた西洋的人間中心主義の危うさだ。
彼にとって初のミッドキャリア・レトロスペクティブともいえる本展には、自然と人工、善と悪、正と誤、豊かさと貧しさ、強さと弱さといった物事の境界について、ときには矛盾も抱えながら、個人個人が自分で考える仕掛けが作品ごとに潜んでいる。

また、彼が初期よりフォーカスしてきたのは、視覚表現優位の西洋美術史において軽視されてきた嗅覚や触感などの感覚や、異なる民族・文化間の差異や共通点といったテーマだ。
《レモンプロジェクト03》を始めとする廣瀬の作品世界は、詩性をたたえた美学と共に、鑑賞者自身がそこに佇み触れることでしか得られない身体感覚によって思索や記憶を喚起する。

《レモンプロジェクト03》1997年(2020年)作家蔵

「日本には形の残らない儚さの価値を共有する文化がありますが、西洋文明には古代ローマの遺跡のような形あるものとしての永続性を尊ぶ伝統があります。西洋美術史もまた視覚優位で、それ以外の感覚はヒエラルキーの下位にある。90年代に欧米のアートシーンで、においや感触、それらが変化していくプロセスを作品化することはチャレンジだったと思います」

たとえば本展後半を引き締める、巨大な赤銅色のギャッベ(絨毯)6枚を空間に敷いたインスタレーション《マーレ・ロッソ(ノット-ホール)/プロジェクトA.P.O.》に足を踏み入れ、寝ころんでみてほしい。柔らかくも力強い弾力のあるその感触がゆるゆると緊張感をほぐしていくのを感じるはずだ。

《マーレ・ロッソ(ノット-ホール)/プロジェクトA.P.O.》1998年 作家蔵

「この作品はイランの遊牧民との恊働で制作しました。紅海からジープで4時間かかる砂漠を訪ねて、黄金の指とも呼ばれる職人たちの手で草木染めされた羊毛を織りあげる。その旅と手仕事の軌跡が紡がれています」と廣瀬は語る。制作過程の豊潤な物語はもちろん、「もの」としての強靭さ、展示空間の鮮烈な美しさ、開放感をもたらす触感を持ち合わせた、廣瀬のフィロソフィーを体現する作品だ。

自身の文化的アイデンティティの拠り所、と廣瀬が明言するイタリアの文化も、年々グローバリズムと新自由主義の影響を受けているという。さらに長期戦となったパンデミックの渦中で、これからの世界の有り様について彼はどのように考えるのだろう。

《ある夜の旅》2020年 作家蔵

「イタリア人は創意工夫で生活の質を調えることに長けていますから、(ポストコロナの世界でも)変わらないこともあるでしょう。もしかすると触れ合うことの価値をさらに深めて、(ソーシャルディスタンスのなかで)新しい仕草や関係性を見いだすかもしれない。世界的にもこれまでの人間中心主義から解放されて、人間が自然のひとつの要素であることに気づくべきです」
「いま望むのは、かつてのイタリアのように、夜の通りをそぞろ歩きしながら人と出会い、飲んで、食べて、語り合う、おとなの時間を取り戻すこと。なぜならわれわれの生きる世界はあまりに重い。軽やかさのなかで新しい時代の世界観を築くことを願っています」

《島:9年目の存在》2011₋2002年 作家蔵
《フォレストボール》2020年 作家蔵

廣瀬は、自身の創作活動を「答えでなく問い」であると言う。彼はひとつの作品から揺るぎない答えを導き出そうと急ぎはしない。緩やかにうつろう時間のなかで、リアルライフの感覚体験を通じて、ゆっくりと長い時間をかけて世界に向き合う。その日々のなかで人生や社会と切り離すことのできない本質的なものを見つけ出してきた。しなやかで堅牢なそのビジョンに出合うとき、私たちは寛ぎ、力づけられるのだ。

Photo: KIGURE Shinya

「廣瀬智央 地球はレモンのように青い」
会期:2020年6月1日(月)~7月26日(日)※休:水
会場:アーツ前橋 地下ギャラリー
群馬県前橋市千代田町5-1-16
http://www.artsmaebashi.jp/?p=14546

同時開催「廣瀬智央 奇妙な循環」
会期:2020年6月5日(金)~7月4日(日)※休:日月祝
会場:小山登美夫ギャラリー
東京都港区六本木6-5-24 complex665ビル2F
http://tomiokoyamagallery.com/exhibitions/hirose2020-2/

住吉智恵

アートプロデューサー/ライター

東京生まれ。アートや舞台についてのコラムやインタビューを執筆の傍らアートオフィスTRAUMARIS主宰。各所で領域を超えた多彩な展示やパフォーマンスを企画。子育て世代のアーティストと観客を応援する「ダンス保育園!!」代表。バイリンガルのカルチャーレビューサイト「RealTokyo」ディレクター。
http://www.realtokyo.co.jp/