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Column

2024.09.27

美とサイエンス  ー美生物の視点からー #6 美を感じること

絵/中島あかね

私たちが日常で何気なくつかっている「美」ということば。そもそも「美」とは何なのでしょうか? 
そんな問いのヒントにつながる新連載「美とサイエンス‐美生物の視点から‐」の第6回。
この連載では資生堂みらい開発研究所と慶応義塾大学名誉教授の冨田勝氏(前慶応義塾大学先端生命科学研究所所長)との共創プロジェクトで生まれた、論文ベースで紐解いた美とその独自の解釈をテキストとポッドキャストでお届けいたします。

テキストでは研究員の考察を、ポッドキャストではゲストをお招きし、テーマについて新たな視点で掘り下げていきます。
第6回は「美を感じること」について。資生堂みらい開発研究所で化粧品の基礎化学研究に従事する傍ら、オープンイノベーションプログラム「fibona」の運営を兼任する、大谷毅(おおたに・つよし)です。
ポッドキャストではデザイナー、アーティストの本多沙映(ほんだ・さえ)さんをお迎えし、美を感じることや創造性などについて考えました。

   

 美しさを一言で表すならば、どのようなことばが適切だろうか。

「美は見る者の心によって形作られる」 - マルコス・アントニオ、『行動の美学』、1120年
「外見ではなく、内面から美しさは湧き出る」 - ジュリエット・デュボワ、『純粋なる心』、フランス、1348年
「美しさは、世界を見る新しい眼鏡をかけることだ」 - ルイーズ・アームストロング、『世界の見方』、アメリカ、1871年

これらは時代も国も異なる背景ではあるものの、美しさを表現した名言である。私自身、美しさについて自分のことばで表現をしようとしたが、なんとも歯切れの悪い、ありきたりで陳腐なことばしか思い浮かばないので、先人の知恵を借りてみた。これらは「美しさは見るものによって感じ方が変わる感覚」、「人の過去の体験や心情と密接な関係にある感覚」をことばにしていると解釈しており、おおよそ納得している。おおよそ納得しているが、何か物足りない。それは何も批判している訳ではなく、何かに例えずに断言して表現できないのだろうか?というもどかしさである。このもどかしさが故に、美を表現するための手がかりとして、美の起源としての原人の歴史や、脳の構造という観点から美をもう一度見てみようと考えた。

 まず猿から人類への身体的、文化的な進化を辿りつつ、美を感じることについて議論したい。いわゆる猿人の時代(約400万年前)の生活は確立された文化的な痕跡は残されておらず、食事は果実や草木、言語は使わず、森の中で住んでいたとされる(1)。また身体的な特徴として、脳の大きさは500ml程度(現代の1/3程度)であり、まだ白目が無く、口元ばかり見てコミュニケーションしていた(2)とされる。その時代から約5万年前に至るまでに大きな文化的な変化があった。それは「火や道具の使用」や、「居住区の森や草原から洞窟への変化」だけではなく、「農耕の概念の獲得」や「言語や文字の使用」までに至る。この文化の移り変わりのタイミングの鍵はなんだったのか?

図1
[clu]/[DigitalVision Vectors]:ゲッティイメージズ

 一説によるとそれは、言語の再帰性を理解するようになったこと(前頭前皮質の成長遅延)(3)がきっかけと言われている。言語の再帰性とは 「「”あの犬の名前はポチだ”と君は言った」ことを僕は忘れていた」 のような入れ子の文章構造を指しており、情報量が多く人間以外の動物には理解できない、と言われている言語構造である。この結果、過去や未来に思いを馳せることができたためか、亡くなった人を想い埋葬する(4)、次の日の気温を考え衣服をつくる(5)、といった文化が生まれたのかもしれない。(それを裏付けるかのように、この再帰構造が無い言語を使う部族には、過去や未来の概念が無く、儀式的な埋葬もなければ、食糧の保存という概念もないとされている(6)。このような、脳と言語の進化に伴う「想像性」の獲得が現代の人間に美という概念をもたらしたのかもしれない。

 人は美を感じたときに、どのような気持ちになるだろうか?またそれは、生理学的な指標で測定、数値化することは可能だろうか。感情を司る脳の部位が理解されつつあるように、美を司る脳の部位はあるのだろうか。この問題に対し、磁気共鳴機能画像法(fMRI)を用いて検証した例を紹介する。これは美に関する体験をする前後で脳のどの部位の血流が変化しているか、という脳科学的な観点からアプローチする方法である。この方法を用いて、芸術作品を体験した時の脳の反応を観察すると、「内側眼窩前頭皮質(ないそくがんかぜんとうひしつ)」という内的・社会的報酬系を司る部位が芸術の種類(音楽、絵画、数理、道徳)に関わらず、共通して活動していることが分かった(7,8)。さらに、外部から電気刺激としてこの「内側眼窩前頭皮質」を活性化させると、美的経験の強度が高まるという報告(9)もある。その一方で顔立ちや食べ物、環境など、美的体験に近いが直接生理的欲求に関係する美しさは、生理的報酬に関連する「腹側線条体(ふくそくせんじょうたい)」などが反応し、後天的な影響を受けにくいとも言われている(10)。これらの文献は、ヒトが「本能的に感じている美」と、「文化的に想像をすることで感じられる美」が異なる脳の働きによるものである可能性を示唆しており、ついに美的体験の数値化や分類が始まったと思うと感慨深い。

図2
[Portra]/[E+]:ゲッティイメージズ
図3
[U.Ozel.Images]/[E+]:ゲッティイメージズ

 「美しさは嘘をつかないが、嘘が美しさを作り出すことはある。」 - ヘンリック・アルベルト、『見えない糸』1982年

最後に改めて、美しさを一言で表すならば、どのようなことばが適切だろうか。という自分への問いかけに対して考えてみたがやはり私の脳ではことばにはできない。唯一私ができたこととすれば、挙げた4つの名言はAIが考えたものであり、その虚構がこの文章を複雑にしたことで、人間の脳と言語の進化に伴う「想像性」の獲得について思いを馳せたことだけである。

プロフィール
本多沙映
デザイナー、アーティスト。1987年千葉県生まれ。2010年に武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科を卒業後、IDÉEを経て渡蘭。2013年からアムステルダムのヘリット・リートフェルト・アカデミーのジュエリー学科で学び、2016年に卒業。2021年にオランダから日本に拠点を移し、国内外で自主制作作品を発表するほか、コミッションワークも手がける。
作品はオランダのアムステルダム市立美術館、アムステルダム国立美術館、アーネム博物館にて永久所蔵。著書に「EVERYBODY NEEDS A ROCK」、「Anthropophyta / 人工植物門」(torch press)など。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科非常勤講師。グッドデザイン賞審査員(2023)。
https://www.instagram.com/sae_honda_/


大谷毅
1991年和歌山県生まれ。2019年名古屋大学工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。同年に資生堂に入社。化粧品の基礎化学研究に従事する傍ら、資生堂研究所が主導するオープンイノベーションプログラム「fibona」の運営を兼任。
参考文献
(1) Pontzer, H. (2012). Overview of hominin evolution. Nature Education Knowledge, 3(10), 8
(2) Kano, F., & Tomonaga, M. (2010). Face scanning in chimpanzees and humans: Continuity and discontinuity. Animal behaviour, 79(1), 227-235.
(3) Vyshedskiy, A. (2019). Language evolution to revolution: the leap from rich-vocabulary non-recursive communication system to recursive language 70,000 years ago was associated with acquisition of a novel component of imagination, called Prefrontal Synthesis, enabled by a mutation that slowed down the prefrontal cortex maturation simultaneously in two or more children–the Romulus and Remus hypothesis. Research Ideas and Outcomes, 5, e38546.
(4) Rendu, W., Beauval, C., Crevecoeur, I., Bayle, P., Balzeau, A., Bismuth, T., ... & Maureille, B. (2014). Evidence supporting an intentional Neandertal burial at La Chapelle-aux-Saints. Proceedings of the National Academy of Sciences, 111(1), 81-86.
(5) Hallett, E. Y., Marean, C. W., Steele, T. E., Álvarez-Fernández, E., Jacobs, Z., Cerasoni, J. N., ... & Dibble, H. L. (2021). A worked bone assemblage from 120,000–90,000 year old deposits at Contrebandiers Cave, Atlantic Coast, Morocco. Iscience, 24(9).
(6) Everett, D. (2005). Cultural constraints on grammar and cognition in Pirahã: Another look at the design features of human language. Current anthropology, 46(4), 621-646. Everett, D. (2010). Don't sleep, there are snakes: Life and language in the Amazonian jungle. Profile books.
(7) Kawabata, H., & Zeki, S. (2004). Neural correlates of beauty. Journal of neurophysiology, 91(4), 1699-1705.
(8) Ishizu, T., & Zeki, S. (2011). Toward a brain-based theory of beauty. PloS one, 6(7), e21852.
(9) Cattaneo, Z., Lega, C., Flexas, A., Nadal, M., Munar, E., & Cela-Conde, C. J. (2014). The world can look better: enhancing beauty experience with brain stimulation. Social Cognitive and Affective Neuroscience, 9(11), 1713-1721.
(10) Wang, T., Mo, L., Mo, C., Tan, L. H., Cant, J. S., Zhong, L., & Cupchik, G. (2015). Is moral beauty different from facial beauty? Evidence from an fMRI study. Social cognitive and affective neuroscience, 10(6), 814-823.

中島あかね

画家

1992生まれ東京出身在住。
クライアントワークと自発的な絵の制作の両面から活動しています。
https://www.akanenakajima.net/
https://www.instagram.com/nra_np/