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Column

2024.09.13

美とサイエンス  ー美生物の視点からー #4 美と音

絵/中島あかね

私たちが日常で何気なくつかっている「美」ということば。そもそも「美」とは何なのでしょうか? 
そんな問いのヒントにつながる新連載「美とサイエンス‐美生物の視点から‐」の第4回。
この連載では資生堂みらい開発研究所と慶応義塾大学名誉教授の冨田勝氏(前慶応義塾大学先端生命科学研究所所長)との共創プロジェクトで生まれた、論文ベースで紐解いた美とその独自の解釈をテキストとポッドキャストでお届けいたします。

テキストでは研究員の考察を、ポッドキャストではゲストをお招きし、テーマについて新たな視点で掘り下げていきます。
第4回は「美と音」について。資生堂みらい開発研究所で化粧品原料の開発に従事したのち、絵画芸術の技法を化粧品へ応用する研究を行う、山脇竹生(やまわき・たけお)です。
ポッドキャストではサウンドエンジニアの葛西敏彦さんをお迎えし、”美”や"音"についてお話いただきました。

   

 「音」について調べる。理系卒の私の手持ち知識は、物理現象としての音波、振幅、周波数といった高校物理の範囲だ。音楽の素養は、残念ながら、ない。

 「音」に関する美しさを、科学的視点で深める。無理難題に思えたが、図書館で本を探すことから始めた。図書館で使われる日本十進分類(NDC)によれば、No.760台が「音楽」関係の図書だった。背表紙にNo.760が貼られた本を探し、『音楽理論』という本を一通り手に取った。音階、記譜、和音、調性、と読み進めてふと気になった。「なぜドレミファソラシの7音(半音階♯を入れると12音)なのだろう」。キリのよい10音でもないし、弦の長さを2倍にすればオクターブ変わるというのに2の累乗でもなく、12音。

 12音階のルーツは、どうやら数学者ピタゴラスが関係していることが分かった。三平方の定理を発見したあのピタゴラスだ。しかも、ヒト(生物)の聴覚特性を反映して音階を導いていた点も面白く、「美生物」にふさわしいテーマだと感じた。

 ピンと張った弦を鳴らした音と、長さを半分にした弦を鳴らした音の高さは異なる(オクターブずれる)。しかし、ヒトはこれを同じ音階と認識する(1)。男女でオクターブ変えて同時に歌ったときに音がずれているように感じないのと同じ現象である。これは、日常生活で音が鳴るとき、同時にその音の倍音(オクターブ)も発生していることが多いことからの繰り返し学習によって、基本音と倍音を区別しなくなるからではないかと思う。

 さらに、最初の弦と、その2/3の長さの弦を同時に鳴らすと、心地よく響くように感じるらしい。詳細は後述するが、基本音(最初の弦)と、その3/2倍音(2/3の長さの弦)の和音は不協和感が低いという結果が得られた研究報告を見つけた(2)。
 3/2倍音と心地よく響く音を作るためにさらに3/2倍する、というふうに、オクターブずらす(1/2倍する)、3/2倍するという操作を繰り返していくと、13回目にほぼ最初の音に戻る(表1)。したがって12回の繰り返しで打ち止める(3)これが、音階が12音となっているルーツであった。

表1

 なぜ3/2倍音との和音を心地よく感じるのか。これには高校物理で学ぶ「うなり」が関係する。「うなり」とは2音の周波数が僅かにずれるときに発生し、音のボリュームが大きくなったり小さくなったりする現象を指し、ビート、ウルフとも呼ばれる(4)。音量がグワングワンとするうなりが不協和感の要因だ。そして、基本音と3/2倍音(完全五度)との和音は、不協和感が低い組み合わせ、つまり協和して聞こえるというロジックであった。

 音は、弦の長さを介して数値化され、ヒトの聴覚特性と、数的処理によって12音律が作られていた。音という形の無いものを数値化し、記譜によって残すことで、誰もが同じように同じ音を鳴らせるようになった。科学でいう「再現性」が担保され、音を客観化できるようにしたのだと感じた。

 ……これで調査はひと段落ついた。本を棚に戻しているとき、少し物足りなさを感じた。科学は対象を切り取り精緻化する。しかし、切り取られなかった部分はどうなるのだろう、と。対象に対して、切り取った部分しか説明していないのに対象全体を説明した気になってしまうのが私の悪い癖だった。その自己反省からくる引っかかりだった。つまり私の疑問はこうだ。ドレミ……の音階の値は音律の式によって決まっていく。例えばラの音であれば440Hz。しかし、当てはまらなかった値の音(例えばラの音から僅かにズレた439Hzの音)はどうなってしまうのだろう。

図書館を練り歩いて日本十進分類No.115の棚の本に手が伸びた。115は「認識論」に分類された図書が置いてある。そこにはズレを許容する生物の認識機構が書かれていた。

 音のズレを減らすべく作られてきたのが「音階」であったが、その一方で、音にズレがあっても同一音だと認識しようとする「認識機構」がヒトを含めた生物に備わっている。その例にパブロフの犬の実験がある。

 パブロフ氏は犬に食事を与える前に、ベルを鳴らしてから与えるようにした。しばらく繰り返すとベルを鳴らしただけで犬は唾液を出すようになっていた。面白いのは、鳴らすベルの音程を変えた実験もしたところだ。ベルの音程を少し変えても同じように唾液を出すが、唾液の量はベルの音程が離れるほどに減った(5)。
 もしベルの音と垂涎行動が1対1で対応していたら、最初のベルの音のみに反応するはずだが、音を変えても唾液が出るということは、多少の違いを包含して学習を行っていたことになる。犬に限らずわれわれも日常生活で多少音程がずれていても何の曲かあてられるのはこのような認識特性によるものと考えられる。ある研究報告では、知っているパターンの曲が流れ、次に来るであろう音程の予想から、少しズレた音が来た時に脳内報酬物質が出るという(6,7)。予想を適度に裏切るズレに心地よさを感じるのだろう。

 音のズレを減らし洗練させ秩序立てていく方向でつくられる美しさ、音のズレを許容し惹かれていくという方向の美しさがありうる。異なる二つの方向性に対し、「美しい」という形容詞は両者を包含することができる。それは物事を切り分け細分化し掌握していく「科学」の営為とは逆の、対立を解消し総合していく営為ではないだろうか。BeautyとScienceはバランスを取って推進していくことで調和のとれたより良い世界になっていくのではないだろうか。

プロフィール
葛西敏彦
サウンドエンジニア。スタジオ録音からライブPA、サウンドインスタレーションなど、場所を問わず音へのアプローチを続ける音響技師。
主に蓮沼執太、青葉市子、スカート、岡田拓郎、小西遼などを手がける他、舞台作品への参加やサウンドプロデュースも行うなど、活動の幅を広げている。
2022年には自身のレーベル、S.L.L.S Records(シルス・レコーズ)を始動させ、一作目の作品として岡田拓郎、葛西敏彦、香田悠真の3名と、ボーカリストとして細井美裕が参加した、“水の変容”をテーマとした器楽集”To Waters of Lethe”をリリースした。
受賞に第23回文化庁メディア芸術祭アート部門新人賞(細井美裕/Lenna)、カンヌライオンズ2021(Yakushima Treasure/Yakushima Treasure Another Live from Yakushima)など。
https://www.instagram.com/casxtx/


山脇竹生
1991年静岡県生まれ。2018年大阪大学理学研究科博士後期課程修了。博士(理学)。 同年に株式会社資生堂に入社。
化粧品原料の開発に従事したのち絵画芸術の技法を化粧品へ応用する研究を行う。2022年武蔵野美術大学芸術文化学科卒業、学芸員資格有。その後は、資生堂グローバルイノベーションセンター内にある、S/PARK Museumの企画運営に従事。
参考文献
(1)“Tonal Consonance and Critical Bandwidth” R. Plomp & W. J. M. LEVELT (1965) The Journal of the Acoustical Society of America, Vol.38, pp.548-560
(2)『楽器の科学 美しい音色を生み出す「構造」と「しくみ」』フランソワ・デュボワ, 木村 彩(2022), 講談社, 978-4065264472
(3)『The EFFECTOR BOOK Presents 音の正体』布施雄一郎(2022), シンコーミュージック, 978-4401651782
(4)『音律と音階の科学 新装版 ドレミ…はどのように生まれたか (ブルーバックス) 』小方厚(2018), 講談社, 978-4065116647
(5)『楽器の物理学』N.H.フレッチャー, T.D.ロッシング, 岸憲史 (訳)(2012), 丸善出版, 978-4621065693
(6)『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉』岡田 暁生 (2009), 中央公論新社, 978-4121020093
(7)『数字と科学から読む音楽 』西原稔, 安生健(2019), ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス, 978-4636973587
(8)『脳の大統一理論: 自由エネルギー原理とはなにか』乾 敏郎, 阪口豊(2020), 岩波書店, 978-4000296991
(9)『深層学習の原理に迫る: 数学の挑戦』今泉 允聡 (2021), 岩波書店, 978-4000297035
(10)『脚本の科学 認知と知覚のプロセスから理解する映画と脚本のしくみ』ポール・ジョセフ・ガリーノ, コニー・シアーズら(2021), フィルムアート社, 978-4845919253
(11)『芸術的創造は脳のどこから産まれるか?』大黒達也(2020), 光文社, 978-4334044664
(12)“Dynamics of Brain Networks in the Aesthetic Appreciation” Camilo J. Cela-Condea, et. al(2013)PNAS, vol.110, pp.10454–10461
(13)“Neurophysiological Markers of Statistical Learning in Music and Language: Hierarchy, Entropy and Uncertainty”, Tatsuya Daikoku(2018) Brain Science, Vol.8(6)

中島あかね

画家

1992生まれ東京出身在住。
クライアントワークと自発的な絵の制作の両面から活動しています。
https://www.akanenakajima.net/
https://www.instagram.com/nra_np/