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Column

2024.05.29

物語る衣服たち 山縣良和×石内都

写真/木暮伸也

4月末よりアーツ前橋にて、「ここに いても いい リトゥンアフターワーズ 山縣良和と綴るファッション表現のかすかな糸口」が開催されています。
神話などからインスピレーションを得た物語的コレクションで知られる、山縣良和さんのファッションレーベル〈リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)〉。本展では、リトゥンアフターワーズのこれまでの歩みが紹介されるとともに、山縣さんが考える日本社会とファッション表現の〈いま/ここ〉が新作インスタレーションで表現されています。
今回は、5/12に実施されたトークプログラムの内容をご紹介します。山縣さんと対談したのは、広島の被爆者やフリーダ・カーロの遺品など、亡き人々の衣服を撮り続け、また2023年8月に資生堂ギャラリーで「石内都 初めての東京は銀座だった」を開催した写真家・石内都さんです。衣服にどう向き合うのか、そして衣服は何を語ってくれるのか?おふたりの視点に迫ります。

石内都(以下石内) 拝見した感想としては、「すっごく力が入ってる」。非常に細かい仕事で、ここまでつくり上げるってとても大変だったんじゃないかなと思いました。美術館で個展をやるというのは、ひとつの出発点ですよね。かなり力が入っていて、それでいて嫌味じゃない。山縣さんがこれから先のことを考えるという意味でも、私はすごく良い展示だったと思います。
山縣良和(以下山縣) 石内さんにそう言っていただいて光栄です。倉庫に入っていた自分の過去十数年の作品を一同に見るって、こういう機会をいただかないとなかなかできないことでした。もう一度自分を見直しながら次はどうスタートをきるかを考える、大事な機会になったかなと思います。

 

衣服と写真の境界を超えて

石内 最近はファッション雑誌がよく取材にくるんですよ。アートとファッションが非常に隣り合わせになりつつあると思います。でもはっきり言って、ファッションとアートはちょっと違うような気が私はしていて。展示を見て、山縣さんは学校をやってらっしゃるということもあって、今までのファッションとはちょっと違った不思議なものを感じましたね。
山縣 ありがとうございます。石内さんにとってのアートとはどのようなものですか?
石内 アートっていうのは、個人的ですごくわがままな表現なんですよ。それは誰かに向かうというよりは、ある程度自分自身に向かっていって、それを具体的につくって外に出す。そして外に出したら自分とは距離感がどんどん出てくる。一方でファッションはやっぱり着る相手がいるから、その相手のことを考えなきゃいけないのかなあと思っていて、すごく似てるけど違う、という感じがしてます。
山縣 前々からお伺いしたかったんですが、石内さんは多摩美術大学で最初はデザインをやられたんですよね?
石内 はい。デザイナー志望だったんです。それもグラフィックのね。
山縣 そうですよね。どういう風にデザインからアート表現に進まれたのか、聞かせてください。
石内 簡単ですよ。挫折です。1年間やって、私は平面デザインにまったく向いていないということがわかったの。それで2年生で織り科に行ったんですよ。自分の織り機をちゃんと買って、ギッコンバッタンと織物をやってて、一時期は織ったものを売ったりしてました。なんですけど、織物ってミリの世界だから、「こんなことをしてたら世から忘れられそう」と思って辞めたの。だから2回挫折してます。そのあと、写真は本当に偶然。暗室道具とカメラを全部くれた人がいて、私が買ったのは消耗品だけです。印画紙とフィルムと、薬品。それさえ買えば写真はすぐできた。やることもないし、と思って暗室に入ったら、発見があったんです。写真を焼くっていうのは、現像液と停止液と定着液と3つ薬品を使うんですね。その真ん中の停止液が、氷酢酸なんですよ。氷酢酸っていうのは、染物に使うもの。「なんだ、写真って染物か」と思いました。写真は白い印画紙、白い布を染めるわけですよね。それで学生のときに辞めちゃった染物のことを暗室で思い出したの。写真ってもしかしたら染物としてはかなり面白いんじゃないかなと思いました。不思議な縁ですよね。
山縣 このお話、僕すごく好きで感銘を受けたんですよ。実は〈coconogacco(ここのがっこう)〉でも写真の話をするときにこの話をさせてもらっています。石内さんは写真家として有名ですけど、実は多摩美で、染めや織りというファッションに近いところからスタートされていることを知ってちょっと親近感を感じたんです。石内さんの作品の見え方がちょっと違う形で見えるようになりました。染色とか織りを専攻してからそのままデザインやファッション業界に行く人もいる中で、写真の道に進んで、現像プロセスに染色的な行為を発見され、その後も布や衣服を写真の中で表現されている。石内さんにとって、“肌理”を表現することが重要な軸であり、写真の中で、錆びついた街の風景や物から、皮膚の肌理や、糸や布、織りや染織から産み出されたさまざまな肌理が表現されている。このような既存の業界の固定概念を超えた、石内さんの生きた眼差しから生まれる純粋なクリエイションやキャリアプロセスは、作家にとって本当に表現すべきものからブレないためにも、とても大事なことだと思ってます。
石内 Tシャツを絞り染めで染めて友達と売ったりしていましたし、できたら自分で洋服をつくりたいと思っていたくらい、ファッションに対する興味はずっとあるんですよ。着る服は自分で選ばなきゃいけないし、身に着けたもので人は判断しますから、何を選ぶかって大切なことですよね。
山縣 いろんなファッションメディアから石内さんがお声がけされるって話、僕もファッションにいる側として理解できます。石内さんの作品は本質的な意味でのファッションの視点をお持ちだと思っていて、大事なものを気づかされるような感覚をいつも受けます。
石内 それは広島に出会ったことが大きいんですよ。資料としてモノクロで撮られてきた広島の遺品たちを見たときに、色があって、おしゃれでかっこいいデザインに、私はびっくりしてすごく感動したんですよ。自分自身が感動するってことは、そういう形で写真を撮ると、ちゃんとそれが写真に写る。写真って意外と嘘をつかないんですよ。だから山縣さんが私の『ひろしま』の写真にインスパイアされたということで、展示にも赤いチェック模様の服がいっぱいあって、とっても嬉しかった。
山縣 以前東京都庭園美術館での展覧会とファッションショーの機会をいただいて、戦争と関係のある場所なので、そういうことを表現したいなと思ってつくったものです。そのときリサーチをしていく過程で最も心の中にグッと入ってきたのが、石内さんの写真でした。石内さんの作品を通して知った戦争のイメージに対して、僕の世代だったらどういうことがリアリティを持ち、表現できるだろうと考えました。

展示の第2部「集団と流行(はやり)」内にあるショーケースには、リトゥンアフターワーズの2018年SSコレクション《After Wars》制作でのリサーチ資料が展示される。石内さんの『ひろしま』を含むスクラップブックも。

 

何を衣服で表現するか、何を衣服から受け取るか

石内 山縣さんはいわゆる普通のファッションデザイナーというより、なんか独特だよねえ。
山縣 僕はずらそうと思ってやっているわけではないですが、結構ずれてると言われますね(笑)
石内 元々ファッションにすごく興味を持ってたわけですよね?
山縣 はい、子供の頃からファッションへの興味はとてもありました。スタートポイントは自分の自信のなさや、虐げられたような感覚がずっとあったことで、装うことによって少しでも自分に自信を持ちたいなと思っていました。
石内 誰か、好きなファッションデザイナーはいたんですか?
山縣 高校生のときはやっぱり川久保玲さん。最初は意味がわからなかったです。よくわからないけどカッコいい。なんでだろうと思って、その謎によってさらに興味を惹かれる感じでしたね。
石内 自分自身で着るものはつくらなかったの?
山縣 実は高校生のときから作っていましたね。ミシンを買ってもらって、生地屋に行って自分が着るための洋服をつくっていました。ですが、「表現する」ってことにのめり込んでいけばいくほど、どんどん現実から離れていくというか、なぜか空想やファンタジーの世界にいくような感覚になりました。普通の人はファッションといわないような方法でファッションを表現するようになっていきました。
石内 最初にあった、《七服神》はすごいなと思いました。震災後の作品だったんですよね?“熊手でかき集める”というのをファッションにしたのはなんで?

山縣 東日本大震災は自分にとっても衝撃的な経験で、日本のファッション表現者の一人として、ちゃんと向き合って世界に出さなきゃいけないんじゃないかという感覚になったんです。日本にいると、いろんな自然災害があって、八方から何がやってくるかわからない。だからひとつのものに願いを込めて祈るというよりも、いろんなものに対して願いや祈りをしたくなる日本人の気持ちがストンと理解できました。熊手だけでなく、日本で長く伝統的に継承されてきた願い事やお祝い事のようなものを見ると、なにかいろんな要素が集合的に表現されているなと思って、それをファッション表現でやってみたいなとそのとき思いましたね。
石内 なにか不幸に対処するときってどうやってそのマイナスを転嫁していくかってことですよね。洋服はそういうところあるよね。違うものを着ると気分が変わるし、装うというのは大切なものだと思います。
山縣 そうですよね。コロナのときも、ファッションで何ができるかみたいな話になりました。無力感を感じる状況だからこそ、“装いの原点に立ち戻る”みたいな感覚にならざるを得なくて。そこに立ち戻っていくと、大事なものがあるというか、人間らしく愛おしいものがあるなとわかりました。そしてそれに近いものを石内さんの『ひろしま』にも感じたんです。戦争については教科書やメディアでの情報を繋ぎ合わせて理解はしていますけど、戦時中から数十年という時を経ているのでリアリティは無い。国民服とかモンペとかのイメージがある状態で『ひろしま』の写真を見て、僕も「こんな時代に、こんなかわいい衣装を着ていたんだ!」と思いました。表立った歴史の描かれ方から漏れだした部分に、本当のリアリティがあったのかなと、僕は石内さんがそこを感じ取ったのかなと思いました。人間のどうしても漏れ出てしまう感情や欲望の中に、愛おしさがあると思います。
石内 根本的には、どんな世代でもそんなに変わらないんですよ。広島の若い女の子たちはおしゃれしたかったわけ。特にワンピースとか、私が着ててもいいものだなと感じて、そういうリアリティがすごくあったんですよ。でも原爆でそういうところは全部伏せられちゃったの。被爆者の歴史として国は伝えなきゃいけない。でもあのワンピースやスカートを見たら、被爆者だけど、女の子はおしゃれしたかったんだよね。広島だろうがロンドンだろうが、どんなところに住んでいようがおしゃれは一緒なんだよね、ということを私は広島で学んだの。だから山縣さんが私の『ひろしま』の写真を見て、ある種のリアリティを感じたというのは、そういうことなんですよ。

石内 歴史って、ささいなことはわからないよね。たとえばそのときに何が流行っていたかとか。水玉模様、小花模様、そして赤いボタンがすごく流行ってたの。あとは、ワンピースやスカートやブラウスを見たときに、織り科にいたから絹の質の良さもすぐわかった。こっちは着物を壊してつくったものだな、とか。そういうリアリティはテキスタイルをやってないとわからなかった。そういう形で広島を撮った人は誰もいなかった。
山縣 『ひろしま』を展示したとき、お客さんが石内さんの目の前で「ファッションショーみたい」と言われた、と仰ってましたよね?
石内 そういう風に展示したの。大きい写真で、キャプションもなくて、若い女の子が着てた洋服がメインだったから。だから「まるでファッションショーですね」って言われたときに、「やった!」って思ったの。そうなの、おしゃれしてたのよ、原爆を受けるまでは!と思った。
山縣 その話も、聞いたときすごく嬉しかったんですよ。石内さんは染色や織りからスタートして、今は写真という媒体で活動されていますけど、間接的にファッションの本質を表現されてるんだなと思いました。

 

ひとつの衣服を大切につくり、大切に着る

石内 “ファッションは時代によってどんどん変わっていく“というのは、私はよくわからないところがあります。日本人って新しいもの好きだから、どんどん捨てて新しくするじゃない。でも私は、自分が着るものは、穴が空こうが大切に着たい。友達に銘仙っていう繊細な着物でブラウスをつくってもらったんですけど、5回くらい着ると擦り切れちゃって。しょうがないから、後ろからガムテープを貼って着てる(笑)。それくらい、気に入ったものは一生着たいもの。
山縣 それは見てみたいです(笑)そういえば「刺し子」とか「ボロ」って、ここ最近で世界的なことばになってきてます。外国の人から見ると、昔の日本人が衣服を何世代にもわたって着つづけていたということが、珍しいようで。今の日本人は継ぎ接ぎまでして着つづける、とかはあまり無いですけど。
石内 昔の庶民は、麻と綿の服を植物からつくってたんですよ。「豆を3つ包める裂れは、絶対捨ててはいけない」っていう言い伝えもあったくらい、布は大切なものだったんです。だから子供が生まれたときに、みんなで小さい裂れを集めてパッチワークのようにしてつくった“百徳着物”なんてものもあった。ひとつの衣服をつくることに対して、いろんな思いがあったの。今回の展覧会は、山縣さんのひとつの洋服に対する思いが出ていると思います。

 

古いものを受け継ぎ、つくり変えていく

石内 昔の日本人は100%着物を着ていたわけですよね。それが今は、着物は着る人がほとんどいなくなってしまった。なにかひとつの文化がどんどん変わっていくっていうことはしょうがないことですけどね。だから今、着物と帯でジャンバーをつくってるんですよ。
山縣 スカジャンのことですか?
石内 そう、もとはスカジャン。桐生に移ってきて、スカジャンをいちから全部つくれるってことがわかった。自分ではあんまり持ってなかったけど、私は横須賀育ちだからスカジャンになにか感じるものがあった。「箪笥の肥やしを表に出したい」って気持ちがあって、着物と帯は箪笥の肥やしだから、それでつくってみることにしたの。なにか伝統的なものは、別になくなってもいいと思うの。でもその伝統の元の、絹織物だったりは、なくなっちゃいけないかなって。
山縣 そうですね、群馬は世界でもトップレベルの絹の産業があった。今回群馬で展示の機会をいただいたファッション業界にかかわる者として、絹や古くからの機織産地がこれからどうなっていくかは大変興味深く思っています。絹といえば、今エルメスをはじめとするブランドがスカーフなどで使用する世界最高峰の絹は、ブラジル産なんです。なぜブラジルに絹の産地があるかというと、実は何十年も前に移り住んだ日系人によるものなんだそうです。世界最高の絹をつくっていた日本人たちがブラジルに移り住んで、その日系の人たちが何世代か続いて、今ではブラジルが世界で有数の絹産地になっていると。
石内 なるほど。絹といえば日本、という状態だったのが衰退しちゃったのは、近代化によるものだよね。ストッキングも絹からナイロンに代わっちゃって、現実的に絹をまとうことなんてもうなくなって、絹そのものが非日常になっちゃったの。
山縣 そういえば、3月4日は蚕糸の日といって、絹の日らしいんですよ。桐生からまた派生して他県に絹産業が普及していって、今は全国でも有数の養蚕農家さんが山梨にあるんですよ。その方が「蚕糸の日の会」というのを立ち上げて、そこでこれからの日本の絹をどういう風に興していくかというお話をされたそうなんです。最近は養蚕業に興味がある若い方が多くはないですけど現れてきたらしく。養蚕業ってやはり大変なので、仲間内の数人でできる「ミニマム養蚕」っていうアイデアがあると仰っていたと。大きな養蚕農家だと何十万頭とか百万頭とかのお蚕さんを育てているんですけど、ミニマム養蚕は何千頭から始めて、シルクをつくって、織りまでやっていく。そういう原点からものづくりを体験することができないかという話を伺って、なるほどなと思いました。たしかにcoconogaccoでも畑から糸をつくるとか、そういうことを言う学生が出てきていて、そういうものに興味がある若い世代が出てきたというのは、すごく大事なことだなと思っています。
石内 人数は少なくても、若い人が興味を持って、少しずつでも具体的なことをやっていくのは大切だよね。廃れちゃうのは簡単だから。これもある種のリアリティだと思う。若い人が何にどこまで現実感を感じるか、それはいろいろ考えなくちゃいけないなと思いますね。

 

山縣 石内さんのスカジャン、今日はここで見せていただけるんですか?
石内 ちゃんと持ってきたよ。スカジャンじゃなくて「桐ジャン」。皆さんに着物と帯を持ってきてもらってつくってる。ちょっと手間がかかるし値段が安いってこともないんだけども、いいでしょ?

山縣 刺繍もリブもぜんぶ、桐生でつくってるんですよね。それって本当にすごいことだと思います。たとえばヨーロッパは、欧州全体でなんとか国を跨いでひとつのプロダクトをつくっていますけど、日本は全部日本の中で、しかも桐生というひとつの土地の中でつくれちゃうんですよね。そんな国は、他には無いらしいらしいですよ。
石内 チャックは桐生でつくってないけどね(笑)
山縣 そりゃそうですね、YKKさんですよね(笑)でも本当に、日本の中でもさらに群馬・桐生って重要地点があって、そこで今でも変わらず1枚の服をすべてつくれるってすごいことだと思います。
石内 そうなの、だからもったいないんですよ。もうひとつこれらの桐ジャンの大事なことは、「古着」ということですよね。これは私が人からもらった帯からつくってます。「古いものをどうやって新しくするかを考えなくちゃいけないと思って。これが結構好評だったんですよ。亡くなった夫の遺品の羽織や長襦袢を、残された妻が着れるようにしたものもあります。
山縣 すてきですね。
石内 皆さんも古い着物や帯があったら、持ってきていただければつくりますよ。桐生の大川美術館で8月10日から個展をやりますから、そのときに言っていただければ。(笑)

 

石内 山縣さん、この展覧会をもっといろんな人に見せたい。
山縣 ありがとうございます。本当にそうなんですよ(笑)
石内 ちょっとすごいですよ。力の入れ方が半端じゃない。社会的な部分があって、すごく意味があると思います。私もなるべくいろんな人に紹介します。
山縣 石内さん、本日はありがとうございました。

ここに いても いい リトゥンアフターワーズ 山縣良和と綴るファッション表現のかすかな糸口
会期:2024年4月27日(土)− 6月16日(日)
開館時間:午前10時−午後6時(入場は午後5時30分まで)※水曜休館
主催|アーツ前橋
入館料|一般=800円|学生・65歳以上・団体(10名以上)=600円|高校生以下=無料
※ギャラリー1(1階)は観覧無料/障がい者手帳等をお持ちの方と介護者1名は無料
https://www.artsmaebashi.jp/?p=19899