私たちが日常で何気なくつかっている「美」ということば。そもそも「美」とは何なのでしょうか?
そんな問いのヒントにつながる新連載「美とサイエンス‐美生物の視点から‐」の第3回。
この連載では資生堂みらい開発研究所と慶応義塾大学名誉教授の冨田勝氏(前慶応義塾大学先端生命科学研究所所長)との共創プロジェクトで生まれた、論文ベースで紐解いた美とその独自の解釈をテキストとポッドキャストでお届けいたします。
テキストでは研究員の考察を、ポッドキャストではゲストをお招きし、テーマについて新たな視点で掘り下げていきます。
第3回は「美しい比率の法則」について。資生堂みらい開発研究所でグローバルプロダクト価値開発センターに所属し日焼け止め、ファンデーション、アイシャドウなどの製品開発に従事した後、肌に住む微生物に関心をもち研究を開始、現在肌機能と肌に住む微生物との関係を研究する、中島実莉(なかじま・みのり)です。
ポッドキャストではアーティストデュオのNerholをお迎えし、アーティストの視点からの”美”や"比率"についてお話いただきました。
新婚旅行で初めてフランス・パリに行った。凱旋門(図1)や、ルーブル美術館では有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』、『ミロのヴィーナス』(図2)の美しさに心奪われた。実はこれらには共通する点があるのはご存じだろうか。
これら3つには黄金比という比率が当てはまると考えられている。黄金比はおよそ1:1.618の比率で、凱旋門は中央開口部の高さと全体の高さの比、モナ・リザの顔の縦横比、ミロのヴィーナスのおへそを中心に、上半身と下半身の比率、下半身と全身の比率が黄金比になっており、美しくバランスが取れているように感じると考えられている。(1)
一方で日本では白銀比と言われる、およそ1:1.414の比率が多く使われてきたことが知られている。例えば法隆寺の五重塔や多くの仏像の顔などにみられ、日本発祥の比率として、別名“大和比”とも呼ばれている。
では本当にこの黄金比や白銀比が普遍の美しさの法則なのだろうか?この疑問に対して、四角形を用いた興味深い研究をご紹介したい。
東京工芸大学芸術学部の牟田淳(むた・あつし)教授は比率を四角形に適応し、四角形縦横比が印象や美しさに与える影響の研究を行った。(2,3,4)縦横比1、1.2、1.41、1.62、1.8、2の6つの比率の四角形(図3)について、どの四角形が 「美しい」・「可愛い」・「好き」・「バランスのよい」・「親しみやすい」・「かっこいい」・「大人っぽい」・「子どもっぽい」かという印象を、欧米(イギリス・アメリカ合衆国)と日本のそれぞれ1000人規模でアンケート調査を行った。その結果、四角形の縦横比は、異なる国や文化において、異なる印象を与えることが確認された。美しい印象について、欧米では黄金比付近の比率を美しいと感じる人が最も多いが、日本では約40%の人が正方形(縦横比1)を美しいと感じ、黄金比の四角形をもっとも美しいと選んだ人は10~15%程度であった。このことから単純な四角形においても比率は美と大きく関係していることがわかる。その他の項目では、「好きな」・「バランスの良い」・「親しみやすい」の項目で欧米と日本で違いが出た。つまり、比率に対しての印象は地域や文化によって異なるということを示しているのではないだろうか。
しかし、「可愛い」・「子どもっぽい」の項目は縦横比1の正方形を選ぶ傾向があり「大人っぽい」の項目では縦横比2の細長い四角形を選ぶ傾向が欧米・日本のどちらでも見られた。これは、地域によらず共通する子供の身長が低く大人の身長は高いことから連想される印象で、正方形は子どもっぽさからさらに可愛い印象へとつながっているようだ。
美しい顔
顔の美しさにおいても、比率は注目される要素の一つである。"New 'golden' ratios for facial beauty"(5)では、顔の魅力に関連する新しい「黄金比」についての調査が行われた。白人10人の女性の写真を画像処理によって目と口の垂直距離、目と目の眼間距離を調整し、魅力的な顔をアンケートによって評価した。
その結果、人の顔において魅力的な比率が存在することが明らかとなった。目と口の距離が顔の長さの36%であり、眼間距離が顔幅の46%である場合に最も魅力的であるという結果が示された。この比率は顔の特徴が異なる場合でも、比率自体は一定であることが示された。また、この最適な黄金比が40人の白人女性の平均的な顔に一致することも分かった。
ではなぜ平均の比率が魅力的な顔なのだろうか。これにはさまざまな見解が存在する。ここでは2つの理論を紹介する(6,7)。まず一つ目は進化的適応の観点からの理論である。健康的な仲間との繁殖を続け、集団の形成分布の中心にある個体、つまり平均性の高い個体が最も環境への適応度が高いとする安定性選択を仮定する。多くの子孫を残すための配偶者選択の戦略として、平均性の高い顔が魅力的と知覚されるのではないかという考えである。もう一つの理論は知覚的観点からのもので、私たちは物を判断する際にカテゴリーに分類している。そのカテゴリーを作る際に、平均的なものを基準としているため、平均的な顔は脳での処理がしやすく認知しやすいため、好まれると考えられている。
ただし、この平均の比率というものは地域や人種、年齢、性別によって異なる可能性があり、また時代によっても変化するのではないだろうか。実際、人の顔は猿人から原人、旧人、新人類までには脳容積変化に伴い非常に大きく変化している(8)。250万年前の猿人の脳容量は600~700 ccで頭蓋自体も縦長で頭部は小型であるが、原人は59万年前で900~1000ccと少し大きくなり頭蓋骨は後頭部が広くなった。旧人は15万年前1300~1400ccで新人は3万年前で1350ccとなり脳が収まる形状の頭蓋骨になっている。脳容量が約2倍になり、顔貌も大きく変化したことがわかる。つまり美しいと思われる平均の比率自体、地域や文化でも異なり、時の流れでも変動的なのである。
また美しい・魅力的な顔の研究は古くから行われ、比率以外にもさまざまな要素が関連すると考えられている(9)。顔の対称性・バランス、肌質・肌色、男性らしさ・女性らしさ・顔のそれぞれのパーツなど多くの要素があげられる。特に顔のパーツについては時代や文化によっても美しい顔の基準が特に大きく変化してきている(10)。
そして、顔の識別方法も地域・文化によって異なることが明らかになりつつある(11,12)。人の顔画像を使用し、顔を見せて学習・認識させ人種ごとに分類する際の眼球運動を西洋人と東アジア人で比較する実験がされた。この結果、西洋人は目を固定して凝視し、目と口の三角形のパターンを固定してみる傾向にあるのに対し、東アジア人は中心部、鼻のあたりに焦点を合わせていることが分かった。つまり同じ人の顔を見ていても文化や国が異なると、とらえ方自体異なり、印象や見え方が違う可能性がある。
美しい顔要素の一つとして比率は重要な役割を果たし、目と口の距離・眼間距離では平均の比率が魅力的であると考えられる。一方でこの平均は地域や時代によっても変動しうる。そして美しい顔は比率だけでは決まらず、多くの要素、識別方法、さらには生活、社会的背景などが関連し、さまざまな美しい顔を存在させているのではないだろうか。
新しい美
近年、私たちは型にはまった美しさから、個性を愛し多様性のある美しさを尊重するようになった。美は普遍的なものではなく変動的であり、地域や文化、時代によって異なったり変化したりさらには複合的なものである。そのことに気が付いた私たちは、だからこそ“新しい美”を求めはじめているのかもしれない。
Nerhol
田中義久と飯田竜太の二人からなるアーティストデュオ。連続撮影をした数百枚のプリントを束ね、彫り込むことで生まれる立体作品を発表後、ポートレイト、街路樹、動物、水、あるいはネット空間にアップされた記録映像等、様々なモチーフを選びながら、それらが孕む時間軸さえ歪ませるような作品を制作。そこでは一貫して、私たちの日常生活で見落とされがちな有機物が孕む多層的な存在態を解き明かすことを試みている。主な個展「Interview, Portrait, House and Room」Youngeun Museum of Contemporary Art、韓国(2017)、「Nerhol Promenade/プロムナード」金沢21世紀美術館(2016)。2020年VOCA賞受賞。
https://www.instagram.com/ner_hol
中島 実莉
1993年東京生まれ。日本女子大学卒業。2016年資生堂入社。
グローバルプロダクト価値開発センターに所属し日焼け止め、ファンデーション、アイシャドウなどの製品開発に従事。
その後、肌に住む微生物に関心をもち研究を開始、現在肌機能と肌に住む微生物との関係を研究する。
(1) 小川浩平. (2011). 美的安心感を与える比率. 人間工学, 47(3), 90-95.
(2) 牟田淳(2013).『「美しい顔」とはどんな顔か自然物から人工物まで、美しいを科学する』,株式会社化学同人
(3) 牟田淳(2014)長方形の持つ印象の系統的な国際比較研究, 東京工芸大学芸術学部紀要, 20,21-29
(4) 牟田敦(2018)好みの長方形の縦横比に関する日本欧米比較研究,図学研究, 52(1), 9.年 52 巻 1 号 p. 9-
(5) Pallett, P. M., Link, S., & Lee, K. (2010). New “golden” ratios for facial beauty. Vision research, 50(2), 149-154.
(6) 渡邊克巳,三枝千尋(2015)「顔の魅力の知覚」、『映像情報メディア学会誌』Vol.69,No.8
(7) Thornhill, R., & Gangestad, S. W. (1993). Human facial beauty: Averageness, symmetry, and parasite resistance. Human nature, 4, 237-269.
(8) アリス ロバーツ(2012)『人類の進化大図鑑.人類の進化』(馬場悠男監修)、河出書房新社
(9) Hicks, K. E., & Thomas, J. R. (2020). The changing face of beauty: a global assessment of facial beauty. Otolaryngologic Clinics of North America, 53(2), 185-194.
(10) 白壁征夫. (2020). 日本における美人の変遷—飛鳥時代から明治, 大正, 昭和期までの美人の基準について—. 日本香粧品学会誌, 44(2), 105-114.
(11) Blais, C., Jack, R. E., Scheepers, C., Fiset, D., & Caldara, R. (2008). Culture shapes how we look at faces. PloS one, 3(8), e3022.
(12) Caldara, R., Zhou, X., & Miellet, S. (2010). Putting culture under the ‘spotlight’reveals universal information use for face recognition. PLoS One, 5(3), e9708.