次の記事 前の記事

Column

2024.01.29

【第17回 shiseido art egg 連動企画】 アートの新しい目 Vol.1 林田 真季

文/住吉智恵

写真/加藤健

資生堂ギャラリーが、新進アーティストによる「新しい美の発見と創造」を応援する公募プログラムとして2006年にスタートしたshiseido art egg(シセイドウアートエッグ)。第17回となる本年度は、林田 真季さん、野村 在さん、岩崎 宏俊さんの3名が選出され、2024年1月30日(火)~5月26日(日)にかけて個展が開催されます。グローバルでの活動経験を経てこれから活動の幅を広げていくアーティストたちのメッセージとは――。
3名それぞれの活動と今回の展示について、そして今考えることについて、アートジャーナリストの住吉智恵さんがお話を聞きました。Vol.1は、第1期展の林田 真季さんです。

Vol.1 林田 真季

第1期展の展示作家である林田真季は、現実社会の問題をテーマに、アートとしての新たな写真の可能性を探求している。近年注力しているリサーチプロジェクトをより深く推し進めるため、2022年よりロンドンの大学院への留学を敢行し、日本に帰国したところだ。
林田は、リサーチの過程に労と時間を費やすプロジェクト型のアプローチをとり、多彩な手法の写真作品で構成されたインスタレーションを主に展開してきた。それらの作品が示唆する方向性は、国内のみならず海外での発表も視野に入れている。

現在、林田が取り組んでいるリサーチのテーマは、イギリス沿岸部に過去にあったごみ埋立地跡地の姿と、日本各地で起きた大規模不法投棄事案の問題である。
「私が関心を持っているのは、ごみの不法投棄そのものというよりも、それがなぜ起こったのかということです。日本では、清掃工場が処理するごみの種類や規模は市区町村の管轄で、そのシステム管理は非常に成功しています。その一方で、清掃工場で処理しきれない産業廃棄物が地方行政の管轄外であることから、民間業者による大規模で悪質な不法投棄が行われてきたのが現状です。
私が着目しているのは、このように人間による行動が予期せぬ結果をもたらすという『意図せざる結果』の法則です。それは、人間、特に政府の行動が、常に予期せぬ結果、あるいは意図せざる結果をもたらすということを指しています。経済学者やその他の社会科学者は何世紀にもわたってこの法則に耳を傾けてきましたが、それと同じくらい長い間、政治家や世論はその結果をほとんど無視し続けてるといわれています。」とプロジェクトに取り組んできた動機について語ってくれた。

本展では、この知られざる現実に肉薄する作品を、さまざまな写真表現による視覚的ドキュメントとして展開する。それらのイメージによって構成された空間的奥行きを持つインスタレーションを通して、鑑賞者を新たな現実の考察へと導くことを試みている。
まず、展示空間の中心には、テムズ川河口などイギリス沿岸部に過去に実際にあったごみ埋立地の現在の姿を捉えた大判の写真が展示される。撮影場所の持つ具体性や時間性を排除するため、モノクロ写真に手彩色を施している。
「幕末期に来日したイタリア人の写真家が、このような手彩色の写真を日本の職人に発注していたという歴史上の事実からアイデアを得ています。また、当時のハンドカラーリストと呼ばれる人々については世界的にほとんど記録が残っておらず、その多くは無名の女性だったともいわれています」
本作では、行為の当事者を特定できない匿名性という点で、異文化の歴史が時空を超えて接続することになる。

とりわけ今回の展覧会のために制作された作品は、件の「清掃工場」のさまざまな形状の煙突を撮影したものである。このシリーズでは当初、焼却炉から廃棄された灰を混ぜたインクを使ってプリントするというかなり踏み込んだ手法を考案したという。だが、灰は危険物で有害なため持ち出せないことから、スチール製の硬質な質感のプレートに直接現像を施すことになった。
近代工業建築を象徴する「煙突」という建造物にダイレクトに焦点をあてたこの写真は、一見すると、無国籍で時代背景も定かではないシュルレアリスティックなイメージが印象的だ。ていねいに選択された美学的アプローチが観るものを惹きつけ、不随するテキストを読みたいという好奇心を喚起するだろう。

また、物質の持続可能性や有害性について連想を促すのが、投棄されたガラス瓶を撮影し、イメージを拡大した作品だ。
「ヨーロッパの骨董市などでよく見かける古いガラス瓶は、土に還らないごみだからこそ残っているともいえます。ごみでありながら宝石のように美しいガラスの破片を、透明感を生かすためアクリルやライトボックスで展示します。当時は存在しなかった安価で便利な人工素材のプラスチックが、現在、同じように再生不可能なごみになっていることを示唆しています」

林田は大手企業に勤める傍ら作品制作を開始し、現在も配置転換や休職制度を使うことなどで、バランスをとりながら創作活動を続けている。
「以前はフル稼働の部署で、休日は寝るだけの生活でしたが、その合間を縫っては地方へ旅行していました。なかでも五島列島を旅したとき、日本ならではの風土と昔ながらの暮らしに惹かれて、すっかり里山ファンになり、これを守りたいと思うようになったんです。ビジネスのマーケティング手法とは別の方法で伝えたいと思い、iPhoneで撮った写真をSNSに投稿するようになりました」
やがて本格的に写真制作に集中するようになった彼女は、写真の魅力と可能性をより深く掘り下げるため、イギリスの大学院で写真を学ぶことを決めた。
ロンドン留学では、コンテンポラリーアートとしての「写真」というジャンルがあることを知った。それは、報道やジャーナリズム、ドキュメンタリーとしての写真でなく、ましてやコマーシャルフォトでもなく、造形美を表現するだけの写真でもない。写真の手法を用いたアートである、「photography」というメディアだった。
「ロンドンの大学院では、まずビジュアルで訴えかけ、さらにテキストで深く知識と理解を深めることで、鑑賞者の記憶に残る多彩な表現について学びました。教授の指導法はフラットで決めつけや押しつけがなく、学生が自分で見つけていくようなコースだったので、さまざまな写真の手法をヒエラルキーなく捉えることができました。
ロンドンで約1年学んで、アートとしてのphotographyの捉え方が大きく変わりました。同時にphotography というメディアがより好きになり、それをコンテンポラリーアートとして、また異文化の表現として向き合いたいと、制作活動の方向性が定まりました」

日本では棲み分けが曖昧な写真文化のあり方を脱却し、こうした新機軸の視点を獲得した林田は、どのような写真家やアーティストから影響を受けているのだろうか。
「1982年にマンハッタンの埋立地に麦畑を出現させることで開発主義へ疑問を呈したことで知られるアーティスト、アグネス・デネスから、アートの実践的な側面について影響を受けています。あと、広告キャンペーンに陥らないバランスを保つ、写真表現のメディア性という点では、アルフレド・ジャーに刺激を受けました」
さらに未来を担う世代である彼女は、写真の物質性や持続可能性にも鋭敏な問題意識を持って取り組んでいる。
「写真制作のプロセスが環境破壊につながることを懸念しています。画像データを大量生産することが可能な時代、あえてフィルムの写真を制作するなら、唯一無二のイメージを大切に届けたい。ロンドンではカメラレスの技法にも関心を持ち、ハンナ・フレッチャーが始めた、暗室作業における持続可能性を探究するプロジェクト、The Sustainable Darkroomのワークショップに参加しました。彼らは、植物由来の物質を化学反応で感光させたり、現像液の代わりに紅茶やお酢を使う、環境に負担をかけない写真制作を開発しています」 

近年、重要な国際展や芸術祭などで作家の顔ぶれを見るたびに、当事者として社会や政治の問題に正面から立ち向かい、アクティヴィストさながらの直截(ちょくせつ)なプロジェクトをぶつけてくるアーティストの多さを実感し、現代社会の厳しい現実を思い知らされる。そうした状況のもと、コンテンポラリーアートとしての「写真」にできることとは何だろう。そして、林田がこれからアーティストとして目指す立ち位置はどのような基盤の上にあるのだろう。
「これからも作品のテーマは常に社会的な問題に置きたいと思っています。アクティヴィストになりたいわけではないので、自分の立場やステイトメントを示すときには、観る人に解釈を委ねられるように、バランスを制御するようにしています。社会人としての経験や会社で入ってくる情報も生かしていきたい。昔は絵葉書が新聞の代わりにもなったと聞きます。社会や文化を伝えるメディアとして、写真制作を続けていきたいと思っています」
激務の隙間に出かけた旅で、古くからある里山の暮らしの豊かさに出合い、自身をメディア(媒介)にその魅力を広く伝えたいと決めた意思の力が、林田の問題意識の基礎になっている。その意識に支えられたアイデンティティは今後も彼女の表現活動の原動力になっていくに違いない。

 

林田 真季(はやしだ まき)
ビジュアルアーティスト。写真というメディアとその様々な形態に興味を持ち、デジタルとアナログ両方のプロセスを試しながら、社会を反映する現代アートとしての写真に挑戦する。2020年シンガポール国際写真フェスティバルのDummy Book Awardでグランプリ受賞後、2023年にはアルル国際写真フェスティバルでのLUMA Rencontres Dummy Book Awardのファイナリストとして選出。また、シンガポール国際写真フェスティバル(2016年)、FORMAT国際写真フェスティバル(2019年)、KYOTOGRAPHIE国際写真祭KG+SELECT(2021年)など、国内外で作品を発表している。
https://www.makihayashida.com/
Instagram:@makicco_h

住吉智恵

アートプロデューサー/ライター

東京生まれ。アートや舞台についてのコラムやインタビューを執筆の傍らアートオフィスTRAUMARIS主宰。各所で領域を超えた多彩な展示やパフォーマンスを企画。子育て世代のアーティストと観客を応援する「ダンス保育園!!」代表。バイリンガルのカルチャーレビューサイト「RealTokyo」ディレクター。
http://www.realtokyo.co.jp/