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Column

2023.03.06

【第16回 shiseido art egg 連動企画】 アートの新しい目 Vol.2 YU SORA

文/住吉智恵

資生堂ギャラリーが、新進アーティストによる「新しい美の発見と創造」を応援する公募プログラムとして2006年にスタートしたshiseido art egg(シセイドウアートエッグ)。第16回となる本年度は、岡 ともみ(おか ともみ)さん、YU SORA(ユ ソラ)さん、佐藤 壮馬(さとう そうま)さんの3名が選出され、2023年1月24日(火)~5月21日(日)にかけて個展が開催されています。現代を生きるアーティストたちが不確実・不安定と言われるこの時代にアートを通じてメッセージすることとは――。
3名それぞれの活動と今回の展示について、そして今考えることについて、アートジャーナリストの住吉智恵さんがお話を聞きました。Vol.2はYU SORAさんです。

 

Vol.2 YU SORA

かけがえのない自他の日常から、安寧と平和を感じる救いの経験。

YU SORAは、白い布と黒い糸を使った刺繍やミシンによるドローイングの平面作品と、家具やカーテン、寝具、雑貨などを原寸大で再現した立体作品を組み合わせたインスタレーションを展開してきた。
YUの作品は、キッパリと潔く白と黒だけを使い、きわめてストイックな印象を与えるにもかかわらず、人の肌や体温と親和するような柔らかさと温かみを帯びている。

 

第16回shiseido art egg YU SORA展「もずく、たまご」
撮影:加藤健
「日々を重ね、」2022 ミクストメディア

 

当初、作家が韓国出身と知ったことも相まって、本作のイメージの連想は2つの方向へと導かれた。
そのひとつは、同じく韓国出身の世界的美術家スゥ・ドーホーによる、薄布で精巧につくられた実物大のソウルの生家やニューヨークのアパートのインスタレーションから受けた距離を超えた親密感だ。
もうひとつは、大切なものを薄布で包む韓国の伝統文化「ポジャギ」である。10世紀高麗の時代に貴族によって洗練され、庶民に広がったポジャギは、女性の手でひと針ごとに家族の安寧の祈りを込めてつくられ、大切なものを「幸福」と共に包むために使われてきた。

YUの個展では、展示空間に部屋をつくり、室内にはアイテムもサイズもさまざまな作品たちで組み合わされたインテリアが展開される。
銀座の老舗ギャラリーにしてはちょっととぼけた心惹かれる展覧会タイトルは、「もずく、たまご」。ある日、YUが家に帰り着いて、ポケットから取り出したコンビニのレシートに書かれていた商品名だという。
家のあちこちに転がっているゴミにすぎない小さな紙片にさえ、人それぞれの日々が記録されている。そんな些細な日常のありようを白い布に黒い線で描き出し、私たちが今生きる現在地の輪郭をなぞる。
YUの創作の営みのなかに鑑賞者は個人の日常を重ね、その尊さや愛おしさに思いをめぐらせるだろう。

 

「もずく、たまご」 2023 ミクストメディア

 

「散らかっていた自分の部屋をノートにボールペンで描いたことがこの作品のきっかけです。温かい雰囲気をつくりたくて、いろいろな素材を試しました。この布の柔らかい質感やボリューム感を生かすには、白と黒だけで十分ではないかと思いました。少し散らかっているくらいの部屋が心地よいという人は多いですが、そこに特定の色彩があると共感できないとも思います。白い空間に観る人自身の日常を塗り絵のように重ねてほしい」

誰もが日常のなかで、日々ものの置き方を変えている。その生活行動を反映して、家具の上など身の回りの小さなものの置き場所や配置を変え、増やしたり減らしたり、インスタレーションの度に部屋の姿を変えている。
宅配ピザの箱、積み上げた読みかけの本、牛乳パックや家の鍵、リモコンやゲームコントローラ。無造作に置かれた品々の佇まいは、それらの細部を精緻に再現する黒い糸をあえて処理せず、しどけなく垂らしたまま残すことで揺らぎが生まれ、刻々と流動する人生の刹那をくっきりと際立たせる。

 

「帰るところ」2020 ミクストメディア インスタレーション
「かぎたち」2017 布、糸、紙

 

韓国の大学では繊維美術科で、テキスタイルや工芸など韓国の伝統的な服飾文化とファッションデザインを学んだ。
「布の素材で何をつくっても自立しないことにイライラが溜まって」、YUは第2専攻として彫塑科も学ぶ。立体作品をつくりたいという強い関心から、中綿を詰めたぬいぐるみを制作し、吊るすという手法に行き着いた。

やがて、創作活動の先が見えないと感じていた頃、2011年に日韓合同卒業制作展で横浜に滞在。渋谷駅で東日本大震災を経験した。
「その頃、まだスマホもなく日本語もわからなかったので、東北で何が起こったのかを理解するには、帰国してから長い時間が必要でした。このとき多くの人の日常が一瞬で失われたことは、日常について深く考えるきっかけになりました」

2014年、韓国で大型旅客船セウォル号の転覆・沈没事故が起こる。300名近くもの修学旅行中の高校生が犠牲になり、韓国史上もっともいたましい惨事のひとつとなったこの出来事は、YUにとって「初めて死を近く感じ、自分の無力さに落ち込む」経験となった。
「自分の生活だけでなく、街を歩いて、知らない人の家のカーテン越しの気配や、ベランダの植木や猫の様子からほかの人の日常を見るようになりました。普遍的な日常の記録を研究して、多くの人が共感できるような表現ができたらと思うようになったんです」

その後、日本での活動の機会が繋がり、アーティスト・イン・レジデンスやグループ展への参加を経て、東京藝術大学大学院に留学。同大学院美術研究家彫刻専攻を修了し、現在は東京で夫と暮らす。本展の会期中には新しい家族を迎える予定だ。
一方、コロナ禍の数年間には、YUの日常をめぐる視点も微妙に変化したという。
「(ステイホーム期間は)息苦しさも感じましたが、Instagramに投稿されるインテリアや、家の外に出された粗大ゴミからも多様な人々の生活を垣間見ることができました。自分がもっていない家具や食器を作品制作に取り入れたり、さまざまなジャンルの本の背表紙を描いたり、誰かのものでなく、広く共有することのできる部屋の表現を試しています。展示空間のなかに、観る人自身の興味に引っかかるものを見つけてほしい」

 

第16回shiseido art egg YU SORA展「もずく、たまご」
撮影:加藤健
第16回shiseido art egg YU SORA展「もずく、たまご」
撮影:加藤健

 

震災や事故、コロナ禍を経て、私たちはふだん何気なく過ごしている日常が簡単に崩れてしまう脆いものであることを知った。自宅はもちろん仮設住宅、避難所といった生活の拠点とその質の大切さについて、以前よりも真剣に考えるようになった。
現在、震災に襲われたトルコとシリアや戦禍のウクライナの人々の置かれた状況を想像すると、「日常」と「非常」は隣り合わせなのだと思わざるを得ない。

「私にできることは、今を生きている人たちが日常の大切さに気づくような作品をつくり続け、発信することなのではないか」。YU SORAはそうステイトメントを記している。
非常事態下、YUにとって、また多くの人にとって、街歩きやSNSなどを通して、他者の日常から安堵感や平和を感じとることは大きな救いになった。
本展はその経験をあらためて反芻しながら、かけがえのないその日常の価値を、いかにすれば価値観や立場、思想の異なるもの同士が共有することが可能なのか、そんな問題意識にも繋がるはずだ。

 

撮影:加藤甫

YU SORA(ユ・ソラ)
1987年韓国、京畿道生まれ。2011年弘益大学(Hongik University, 韓国)彫塑科卒業。2020年東京藝術大学大学院美術研究科 彫刻専攻修士課程修了。刺繍の平面作品や立体作品のインスタレーションなど、白い布と黒い糸を使った作品を展開している。2013年黄金町バザール参加、2019年六本木アートナイト参加。2020年第68回東京藝術大学修了作品展買上作品・杜賞を受賞。2018年Tokyo Midtown Award 優秀賞、 2022年Sanwa company Art Awardグランプリを受賞。近年の主な個展に「普通の日」(あまらぶアートラボ A-lab, 兵庫, 2021年)、「些細な記念日」(Gallery Lotte, ソウル, 2018年)、「引越し」(YCC Gallery, 横浜, 2017年)など。
http://yusora.co.kr/
Instagram:@heartysora

住吉智恵

アートプロデューサー/ライター

東京生まれ。アートや舞台についてのコラムやインタビューを執筆の傍らアートオフィスTRAUMARIS主宰。各所で領域を超えた多彩な展示やパフォーマンスを企画。子育て世代のアーティストと観客を応援する「ダンス保育園!!」代表。バイリンガルのカルチャーレビューサイト「RealTokyo」ディレクター。
http://www.realtokyo.co.jp/