あなたと化粧品の物語、
第5回は町中華さんの「物語」です。
2011年、学生だった私は寝台列車「きたぐに」に乗り、新潟から奈良女子大学のオープンキャンパスに向かっていた。
近鉄奈良駅の改札から出口に向かうと、黒いレースを纏ったマダムとすれ違った。構内に吹く風に、マダムの香水の香りがのる。私の鼻腔がそれを拾う。一秒にも満たない出来事だった。初めての寝台列車で寝不足の身には、その香りがなんとも爽やかで、それでいて温かく、優しく、力強い印象だった。
—さすが、古都奈良には優雅な人が居るんだなぁ。
家と学校の往復に明け暮れる受験生の私にとって、それは大人の女性の色香に触れる初めての体験だった。
それから、勉強の傍らに香水探しの旅が始まった。マダムのような深い香りに憧れたので、デパートの香水が理想。でも高くて手が出せなかった。
お小遣いで買えそうな香水を調べてみると、資生堂の「ばら園」というブランドに辿り着いた。
学生に香水は早いと思いつつ、どうしても「香水」の香りが知りたくて、勇気を出してドラッグストアのレジに向かった。
自室でボトルをプッシュすると、瑞々しい香りが広がった。奈良で出会った香りとは違うけれど、優雅と呼ぶにふさわしい香りに思えた。
それから勉強前に吹きかけるのが習慣となった。爽やかな香りで気持ちを切り替えられたおかげで、勉強が捗った。より自分に合った大学を目指すことになり、進学先は奈良ではなく東京になったけれど、この奈良での出来事はずっと忘れられない。
社会人になって自由に使えるお金が増えてからは、いわゆるハイブランドの香水にも手が出せるようになった。マダムの纏っていた香水も、恐らくこれだという銘柄を突き止めた。
それでも、やっぱり回帰するのは「ばら園」。憧れと努力の傍らに寄り添ってくれたこの香水が、私にとって初めてにして至高の香りなのである。
初めての香水瓶は空っぽになった今、窓辺で陽の光を浴び、柔らかな光を放っている。
写真/伊藤明日香