あなたと化粧品の物語、
第6回はミナトさんの「物語」です。
結婚式を挙げたホテルには、資生堂の美容室が入っていた。前髪の流した方や眉の形、アイシャドウの色など細かなことをたくさん打ち合わせしたはずだが、なぜか決まって思い出すのは、挙式当日に細い筆でていねいに紅をひいていただいたあの瞬間だ。そっと筆を滑らせてくださったはずなのに、思い出す度わたしの小さな唇はきゅっと音を立てる。ふんわり微笑んでいたはずなのに、記憶の中のわたしはまるで飛び出す言葉をおさえこむかのように唇の端をぎゅっと結ぶ。綺麗でかっこいい女性に憧れたけれど、伝えたイメージは「可愛らしい感じで」。夜空に星をちりばめたような群青のドレスを着たかったけれど、お色直しは満場一致で華やかさを重視した赤。五月雨式に当時のもやもやが呼び起こされてくる。現実には、笑って写真を撮り、泣きながら感謝を告げ、誰よりも幸せな顔をしてたくさんの祝福を受けたにもかかわらず。そして今、あの日隣を歩いていた彼はもういない。結婚も離婚も後悔していないし、今はお互いそれぞれの幸せの中にいる。だけど、もしかしたらあの瞬間。わたしの唇が桜貝のような淡いピンク色に染められた瞬間。ほんとに好きなものを一つでも伝えられたなら、未来は変わっていたのかな。ふとそんなふうに思うことがあるのだ。
写真/伊藤明日香