資生堂ギャラリーが、新進アーティストによる「新しい美の発見と創造」を応援する公募プログラムとして2006年にスタートしたshiseido art egg(シセイドウアートエッグ) 。第15回となる本年度は、石原 海(いしはら うみ)さん、菅 実花(かん みか)さん、中島 伽耶子(なかしま かやこ)さんの3名が選出され、2021年9月14日(火)~12月19日(日)にかけて個展が開催されます。現代を生きるアーティストたちが不確実・不安定と言われるこの時代にアートを通じてメッセージすることとはーー。3名それぞれの活動と今回の展示について、そしていま考えることについて、アートジャーナリストの住吉智恵さんがお話を聞きました。Vol.2は菅実花さんです。
Vol.2 菅 実花
人間とは、そして自分とは一体何なのか
たとえば一卵性双生児らしき2人の女性のポートレート。あるいは平凡な女性の幸福感あふれるマタニティフォト。端正に仕上げられたこれらの写真が展覧会やメディアでふと目にとまり、さらに目を凝らして、ぎょっとした経験はないだろうか。前者は、アーティスト自身の頭部を型取りしてつくった人形と共に撮影したセルフポートレート『あなたを離さない/I Won't Let You Go』。後者は、いまや玩具を超えてパートナーに昇格したケースもあるという精巧なラブドールが人工知能と人工子宮を得て妊娠するという設定で撮影された『ラブドールは胎児の夢を見るか?/Do Lovedolls Dream of Babies?』。鑑賞後も心にざわつきを残すこれらの作品はいずれも菅実花の代表作だ。
「今回の写真作品は一見仲のよい姉妹に見えるかもしれません。でも一歩踏み込んでよく見ると何かが違う。微妙に見分けがつくような要素をあえて残しています。実際の双子のように付き合いの深い友人には分かるほどのわずかな違いです。同じように、ラブドールのどこか人間らしくない容姿にも、言語化できない抽象的な違和感があるんです」(菅)
菅実花は、2015年より主に人形を被写体とした写真作品を中心に創作を続けている。表面的な見た目に対して、常に慎重に疑いをもって向き合う態度は、彼女の創作全体に一貫したものだ。さらに鑑賞者に対しても、疑ってかかるような見方を意識的に鍛えてほしい、と求める。
見分けのつかないほどそっくりな人形のポートレートを見るとき、鑑賞者はそこに何を見ているのか。また、事実を記録するために考案された写真は、現代では演出や加工によって誰もが表現することのできるメディアとなり、もはや事実の痕跡ですらないのではないか。思えば近代文明以降、絵画や写真、映像に表現された図像を見ることに関して、人間はあまりにも無防備であり過ぎたのかもしれない。彼女の作品はそんな考察も呼び起こす。
菅はこれまでの創作において、2世紀以上にわたる写真文化のなかで生まれた、死後記念写真、セルフポートレート、プリントシール、画像加工といった現象を掘り下げ、さらにラブドールやリボーンドールといった現代の人形と人間の関係性というコンテクストを交錯させてきた。
2016年に東京藝術大学卒業修了制作展で発表した作品《The Future Mother》で注目を集め、2018年に共著『〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する』を刊行。2019年から2020年にかけては、平野啓一郎の小説『本心』(北海道・東京・中日・西日本新聞朝刊)の挿絵を担当している。
現在、主に19世紀以降のSF映画などのフィクションで描かれる人工身体や人工生命を参照し、今日のヒューマノイドロボットや高度生殖医療など、先端的テクノロジーによって変遷しつつある身体観や生殖のあり方に着目する。生殖=再生産と捉えるポスト・ヒューマンの概念をめぐる自身の問題意識をもとに人物表現に取り組んでいる。
古代よりつくられてきた機械仕掛けのオートマタやからくり人形に始まる人造人間の概念は、『メトロポリス』『ブレードランナー』『エクス・マキナ』といったSF小説や映画を通して現代の社会に浸透していった。現在、人型ロボットよりも先に、バイオテクノロジーの急速な発達によって、すでに家畜などに対してクローン技術が応用されていることに菅は注目した。
「最初の実験動物である羊のドリーは衝撃的でしたが、いまではクローンによる生物のコピーは理論的に実現可能となりました。現実には、生殖医療の分野で精子オークションや卵子提供などが巨額のブランドビジネスになっていたり、貧困から母体を道具に代理出産する女性が数多くいます。生命と科学・医療をめぐって倫理的な葛藤や危機感が議論されている段階です」(菅)
ハリウッド映画でロボットやクローンと人間の関係が描かれるとき、その根底に必ず「オリジナル至上主義」があることにも菅は言及する。たとえば、スピルバーグ監督の『A.I.』では、難病の幼い息子を治療法が開発されるまで冷凍保存した夫婦は、代わりに迎えたロボットの少年を最初は可愛がるが、実の息子が先端医療で生還すると代替品であるロボットは廃棄される。SFアクションでも、自身のクローンとの戦いに勝利して生き残るのは常にオリジナルのキャラクターのほうだ。
一方、作品タイトルの原案ともなったカズオ・イシグロの小説を原作とする映画『わたしを離さないで』では、クローンである若者たちは臓器移植のために生産・消費され、短い人生を全うする。また映画『私の中のあなた』では、難病の姉のドナーとなるため、遺伝子操作によるデザイナーベビーとして生まれ、臓器提供を強いられる妹の苦悩が描かれる。
「カズオ・イシグロの作品で示されるのは、クローンは人間か奴隷かという問題提起です。現実には技術が発明されてから何十年も経つのに、人間の生に他者の意志が関わるということに倫理観が追いついていません。私の作品は、もしもクローンがいたら互いに殺しあったり臓器を提供して死んでいくのでなく、人工的な双子として平和に暮らせないだろうか、という考えに基づいています」(菅)
リアルがフェイク、フェイクはリアル
art eggの個展では、菅が普段制作しているスタジオでその人形と一緒に撮影したセルフポートレートの写真作品をメインに、視覚的認識の不確かさを問う。スタジオには生花と造花が並置して飾られ、制作途中のモービルに吊るされた大きなレンズが景色を歪めて写している。
大展示室では、壁を埋め尽くすセルフポートレートに囲まれた巨大な万華鏡にも似た空間に、さらに人工水晶を使用した自作の遠華鏡(テレイドスコープ)を通して、ガラスの眼球を持つ人形を撮影した映像が投影される。双子のように見分けのつかない菅実花と人形、いずれ劣らぬ美しさを持つ生花と造花、そして人形のグラスアイがめくるめく無限ループに幻惑されることとなる。
小展示室では、作家のスタジオを再構成したインスタレーションのなかで、19世紀から西洋で演劇などで用いられてきたペッパーズゴーストと呼ばれる錯視を利用した光学装置によって、虚構の空間を幽霊たちが彷徨う像を見ることだろう。
「19世紀末から20世紀初頭、技術革新によって直線的にモダニズムに向かうダイナミックな転換期に、近代的自我と超自然的存在、生命や魂について人々はどう考えていたのか。それは緩慢でありながらコントロール不可能な時代を生きる私たちにとって、未来を見る参考になると思いました。この装置で没入感を出すのは難しいけれど、あえて仕掛けを見せて、虚像と実像の位相が入れ子になった多層的な構造を示しています。見ることとは何か。何をもってリアルか、フェイクか。単に優劣の問題なのか。すぐに納得しようとしないで疑って見てほしい」(菅)
自らの分身をつくり出し、その人形と共に「人間とは何か」という壮大な問題を追求してきた菅実花の作品には、形ある世界に肉眼では見えにくい本質を見出そうとする意志の力が働いている。独自にフィクション化された世界を起点に、ポスト・ヒューマン時代の人間らしさや人間的な心の行く末までも想像させる展示になりそうだ。
菅 実花(かん・みか)
1988年神奈川県生まれ。2021年、東京藝術大学大学院美術研究科 先端芸術表現専攻博士後期課程修了。ヒューマノイドロボットや高度生殖医療など、テクノロジーの進歩によって変遷しつつある新たな身体感や生殖のあり方をテーマとし、写真・人形・映像などのメディアを用いて視覚認識を揺さぶる作品を通じて「人間とは何か」という問いかけを行っている。
http://mikakan.com/
Twitter:https://twitter.com/387mika
■お気に入りのことばは?
「いいかんじ」です。制作中に自分を励まします。
■嫌いなことばは?
人を悪くいう言葉が嫌いですが、意識したくないので考えないようにしています。
■1日のうちで好きな時間、大切にしている時間は?
朝日が差し込む時間が好きです。
■いま好きな、本、映画、音楽は?なぜ?
ずっとメアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』に影響を受けています。最近また映画「メアリーの総て」を見返しました。
■コロナがおさまったら、まずはどこに行きたい?
舞台を見に行きたいです。
■生まれ変わったら何になりたい?
生物じゃないものになってみたいです。