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Column

2021.06.19

アーティストとして、女性として、母として――。Charaが体現する「Beauty Beyond Boundaries」(前編)

写真/鈴木 親

衣装/飯田珠緒

文/小川知子

ヘア&メイクアップ/百合佐和子(SHISEIDO)

『花椿』にて2016年11月発行号から4年にわたって対談連載「サロン・ド・バー 花椿」にママとしてご登場いただいたCharaさん。さまざまなテーマでゲストとの対話を楽しんだ連載も2020年夏・秋合併号で終了を迎えました。
2021年春夏号のテーマである「Beauty Beyond Boundaries‐美は境界を超える‐」を体現し続けるCharaさんに、今年30周年を迎えるアーティストとして、女性として、母としての、これまでの人生、これからの人生についてお話を伺いました。
インタビューは前編、後編でお届けします!

美しさは、自分を信じる力。

一本誌連載「サロン・ド・バー 花椿」でも話題に出ていたことがありますが、Charaさんは「美しい」という表現にどんな想いがありますか?

ことばにして伝えたいときに、「美しい」という文字を記して残す。それ自体美しいと思うので、音楽でも「美しかった」みたいな表現をすることはけっこう好きです。

ー美しさの定義は、年齢によって変わってきたと思います?

それはあるんじゃないかな。でも、たとえば幼い子であっても、日常的に近くにいる大人や友達が「美しい」ということばを使っているのを素敵と思ったら、真似して使うこともあるんじゃない? 大切に飼っている犬が夢中ですごく楽しそうに犬らしくしている1日があったとして、それを「美しい」と子どもが表現していたとする。もし私がその子のおばあちゃんだったら、「その表現、素敵ね」と言うかもしれない。そういう経験の積み重ねから出てくる表現であって、年齢でもないのかもしれないですね。

ー確かにそうですね。美しくありたい気持ちに対してはどう考えていますか?

やっぱり、お化粧はお花みたいに人の目を惹きつけたいという想いからするものですよね。化粧品は自分が強調したい部分を補足できるアイテムだし、自分というキャンバスにお絵描きするのは楽しい。私は化粧品やランジェリー自体が好きで、小さいときから、母親だったり大人の女性が使っているものとしてすごく憧れがあったんです。夢だったものを自分で使える年齢になったときに、すごい道具を手に入れたって感覚は個人的にあったと思う。

ー大人になるための道具のような?

そういうのに憧れていたよね。10代になると、娼婦の映画を好きになって。映画の中の彼女たちは、自分がそれまで想像していたイメージとは違って、すごく純粋で、無償の愛を提供していたんです。そこで、また違う憧れの感情が出てきた。だから、なんのために着飾るのかという考えは、だんだん変わってきたかもね。年齢を重ねると、常識的な礼儀としてこれはすべき、これは遠慮すべきみたいなことも増えるし。でも私は若い人向けに開発されたお化粧品でも、気にせず使いますね(笑)。

ー化粧品も洋服も、ターゲット年齢は決まっているかもしれませんが、正直あまり関係ない気がしますよね。

目安として一応あるだけですよね。そもそも、一般というところから私は大きくはみ出しているからね。

ーそこがCharaさんの魅力だと思いますが、はみ出していることで苦しいと思ったこととかもあったりするんですか?

ないない。ミュージシャンって、上手くことばで伝えられないことや、譜面だけでは伝わらないところ、普通は外に出せないものを曝け出して音楽や歌詞にしていく作業をしているんだと思っていて。だからはじめ「いいじゃん」と誰かに言ってもらえるまでは、自分はこのままでいいんだとわからないものだったりする。でも私の場合は最初から、音楽は素晴らしいし、好きなことだと思ってやっていて、あまり悩みはなかったんです。ただ、自分を信じる力があっても、まわりにいる家族は「大丈夫かしら?」と心配したりもするから、父ががまだ生きてる頃は、「大丈夫。私才能あるから信じて」ってよく言ってましたね。もう死んじゃっているから話を聞くことはできないけど、そういう発言に対して、「この子は音楽に美しいものを見出してるんだな」と思ってくれていたかもしれない。

ー好きなことをやっていく自分を信じる力こそ、美しいですよね。

それだよね。自分を信じる力、本当にそれだと思う。

ー自分を信じる力があったとしても、それをまわりに伝えて信じてもらうことはまた大変な作業だと思います。

デビューしてからは、音楽だけをやっていればいいというわけにはいかないこともありましたね。はじめの頃は自分のつくったものに対してインタビューも受けたことも、自分について分析したこともなかった。だんだん経験を積んでいくうちに、音楽だけやったら終わり、じゃなく、その後も自分で動かないと、私の想いやアーティスト性は誰も守ってくれないんだということに気づきまして。もちろん、限られた文字数の中で、素晴らしい文章で私との会話を伝えてくださる方もいます。でも相手をよく知らなかったりすると、核の部分ではわかり合えないこともあるなと過去に学んだので。それからはインタビューを、「この会話を楽しもう!」と思って話してます。だから、いつもインタビューは楽しいんだよね。

ーコラボレーションや活動の幅を見ていても、Charaさんは、楽しもう、新しくあろう、と常に扉を開いている印象があります。

私は断らないというのを基本のスタイルにしていて、「一緒に何かをやりたい」と言われたら、まず「いいよ!」と答えるし、楽しくできる方向を考える。ファンが待ってくれていたらなるべくサインする、“ポール・マッカートニー スタイル”を一応心がけてます。でもこれは大人になったからできるようになったことかもしれない。もちろんタイミング的にやりたくてもできないこともあるけれど、自分と直接繋がってくれたら割とできることが多いなと。あとなんだろうな、変わらないほうが日本では好まれたりする部分もあるのかもしれないけれど、まだ私は冒険していたいんだろうな。でも、役割はみんな違うし、時間の使い方も人それぞれだし、たまたま私は「こういう大人がいてもいいんじゃない?」ってことを私なりに実行できている、一例なだけ。いろんな大人がいていいと思うんですよね。

みんな一緒にきらめいていたい。

ーこれまでの人生で、大きな障壁となった出来事について聞かせていただけますか?

53年間の人生のなかで人に言えないこともいくつかはありますけど、ここ数年だと、父が死んだことですね。死に目に会えなかったので、後からジワジワ来て。誰もが悔やむことかもしれないけれど、亡くなる前の日に会っていたから、もう少し何かできることがあったかなとは思いましたよね。父親は認知症でもあったので、息子が音楽をやってることも、娘が女優をしていることも知らなかったんですよね。でも、私もいつそうなるかわからないし、明日死ぬかもしれない。みたいなことはだんだん考えて生きるようになりました。

ーそうだったんですね。今でも、お父様の存在を身近に感じるような瞬間があったりしますか?

この間、母の日に母親に会ったんですが、終活に入っているのか、これまで集めた食器を私に「これ、持っていかない?」と勧めてきたんです。もらってほしいならと最初に持って帰ってきたのが、可愛い銅製の父親のやかん。私は一区切りしたときやもうちょっと頑張りたいときに、お茶を飲むことが多いんですけど、そのときにやかんが「シュー」と音を立てると、なんとなーく父親がやかんになったような気がして(笑)。銅製だから抗菌力もあるし、いいんじゃない?と。この”父やかん”が長生きしてくれたら、また子どもに託すこともできるかなって。

ー素敵ですね。2020年からのコロナ禍も、ある種、障壁と言えると思うのですが、Charaさんはどんな気持ちで音楽を続けていらっしゃいましたか?

どこかに所属もしていないですしソロなので、心細い部分はありました。でも、マイペースにやりたいことをやれる範囲でやっていたかな。あまり大きく「バーン!」と活動するタイプではないけれど、音楽の火はそのまま消さずに灯し続けなきゃという意識でいました。ただ、若いミュージシャンの方は小さいライブハウスからスタートしていくことが多いのに、それができない状態であることは心配ですよね。今は昔より宅録する機材も安いし、みんな割と環境も整えやすい状況ではあるとしても。ミュージシャンだけじゃなく、夢を追うか諦めるかの選択を迫られる人もたくさんいたと思います。

ー昨年の割と早い段階で、自宅から配信ライブされたりと動いてらっしゃいましたよね。

そうですね。「やれる人がやれる範囲でやっていくのが大事かもね」とよくミュージシャン仲間と話はしていました。未来のために、スタッフさんの力もたくさん借りてできたことです。

ー今年の5月からはライブも再開されました。

当たり前のことですが、マスクをしてもらって、検温をして、半分の収容人数という状況でみんなやっていますし、まだまだコール&レスポンスはできないですが、お客さんたちがルールをきちんと守ってくれていて、それにまず本当に感動しています。

ー来る 7/18(日)に、キャリア初となる日比谷野外大音楽堂での単独ライブ『Chara Live 2021 Sweet Soul Sessions ~ Glitter~ 』が控えていますが、去年中止になった公演名にあった「at Sunset」の部分が、「~ Glitter ~」に変更されています。

きらめくという意味のことば「Glitter」をどうしても使いたくて。人生できらめいていたいと思うのは素敵だし、みんな一緒にきらめいていたい。結局、音楽って、勇気が湧いたとか、元気が出たとか、溜まってたものがリセットできたとかそういう気持ちの筋肉運動をさせてくれる。コロナ禍の生活では大きな声を出して発散したりとか……はあまりできないかもしれないけど、なぜか涙が出たりとか、胸の奥のほうがムズムズっと恋したみたいな気持ちになったりすることはあると思うんですよ。ライブから帰っても、そのままきらめいていられるような青春感があるといいなって。だから、ライブ当日はお天気になってくれるといいですね。野外ですしね。

ー野外できらめく青春感、楽しみですね。息子であるHIMIさんにも、「青春している」と言われたそうですね。

「お前の母ちゃん若い」とよく言われるらしくて、たぶん観察してことばにしようと思ったのか、あるとき「俺はわかった! 母ちゃんはずっと青春してるから若いんだね」と言われて。「その言い方、確かに!」と膝を打ちました(笑)。他の方にも意味が通じるのかどうかはわからないけど、母ちゃんには通じたんだよね。とりあえず一生懸命やるんです、私。子どもが、一生懸命歌を歌っている姿を見ると感動するけど、もしかしたらそういうことに近いものを息子が私に感じてくれてるのだとしたら、すごく嬉しいって思う。私、やっぱり好きなんですよ、音楽が。音楽が好きだし、人も好き。それが、青春してるってことなのかもね。

コートミニドレス¥715,000 パールチョーカー¥28,600 ニットタイツ¥17,600 プラットフォームシューズ¥74,800 (すべてUNDERCOVER 03-3407-1232)
『Chara Live 2021 Sweet Soul Sessions ~Glitter~』
公演日時:2021年7月18日(日)
OPEN 16:30 / START 17:30
会場:日比谷野外大音楽堂
チケット:指定席 ¥9,900-(税込)
●詳細はこちら ↓
https://charaweb.net/

Chara

1991年デビュー。‘96年には女優として出演した岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』が公開され、劇中バンドYEN TOWN BANDのボーカルとして参加し制作されたテーマソング「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」が大ヒット。’97年のアルバム「Junior Sweet」は100万枚を超えるセールスを記録。
この頃からファッション、ライフスタイルを含めた新しい女性像としての人気を獲得。近年では、HIMIこと佐藤緋美とSUMIREの2人の母として、またアーティストとして両立させてきたCharaのライフスタイルにも共感するファンの支持も厚い。
2021年にはデビュー30周年を迎え、記念書籍の刊行・オーケストラとの共演・女優としてドラマへの出演など活動も盛んななか、’22年11月に日本コロムビア移籍第一弾シングル「A・O・U」をリリース。‘23年にはサントリー「ほろよい」のCM出演、6月〜7月にかけて約4年ぶりとなる全国ツアーを実施し、全公演ソールドアウト。
https://charaweb.net/
https://www.instagram.com/chara_official_/

鈴木 親

フォトグラファー

1972年生まれ。1998年渡仏。雑誌Purpleにて写真家としてのキャリアをスタート。国内外の雑誌から、ISSEY MIYAKE, TOGA, CEBIT, GUCCIのコマーシャルなどを手がける。
主なグループ展に1998年 COLETTE (パリ / フランス) 、2001年 MOCA (ロサンゼルス / アメリカ)、 2001年HENRYHENRY ART GALLERY (ワシントン / アメリカ) がある。
主な個展に2005年 TREESARESOSPECIAL (東京 / 日本) 、2009年 G/P GALLERY (東京 / 日本) 、 2018,2019,2020年 KOSAKU KANECHIKA (東京 / 日本)がある。
作品集は、2005年『shapes of blooming』(TREESARESOSPECIAL) 、2008年『Driving with Rinko Kikuchi』(THE INTERNATIONAL) 、2009年『CITE』(G/P GALLERY, TREESARESOSPECIAL) 、 2014年『SAKURA!』(LITTLE MORE) 、2020年『Shin Tokyo』(apb)など。
https://www.instagram.com/chikashisuzuki1972/

飯田 珠緒

スタイリスト
モード誌、広告などさまざまな分野で活躍。大の猫好き。
https://www.instagram.com/tamaoiida/?hl=ja

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato