石田紀佳さんと初めて会ったのは、ある雑誌の取材でのことだった。都市における農の実践例を探していたところ、「今度手入れしに行くから、一緒にいかが?」と誘われた。自由が丘のスイーツフォレストという商業ビルの3階、「cuoca」という店の脇にある、屋上庭園だった。2回目はIID世田谷ものづくり学校。「校舎の周りに庭をつくっている」と聞いて、庭のことなんて覚えていなかったけれど、ちゃんとあった。どちらも、時間の流れの違う、あたたかな空間だった。まっすぐに生きているものと、丁寧に向き合うと、心と体のこわばりがほどけていくのだなと、あらためて感じた。
石田さんは美術や工芸のキュレーターの仕事をするかたわら、庭づくりをしたり、植物にかんする執筆をしたりしている。工芸品の素材のほとんどが植物だから、どれもつながっているのだと石田さんは言う。その知識は豊富だ。ある時は、道端に咲いていたというツユクサで着色したサイダーをつくってくれた。澄んだ青い色は、同じツユクサでも草によって微妙に変化するのだという。ある時はササの根を切る庭仕事を手伝ったが、放っておくと繁殖しすぎて大変なことになる、しかしササは日本に昔からある植物で、大きな文化をつくってきた、と教えてくれた。私は何も知らなかった。足元の植物から、世界とつながる思いがした。
そんな植物にまつわる話を、数多く収録した石田さんの本のひとつが、『草木と手仕事』という自費出版の小さな書籍だ。例えば花粉症の原因として嫌われる杉は、成長が早く加工もしやすいため、生活に重宝されていたこと。柿と言えば甘柿を連想するが、渋柿からつくる干し柿は砂糖のない昔は唯一の甘味で、また渋柿から塗料や薬もつくられていたこと。ミカンの皮は捨てないで、刻んで干せばお茶や虫よけなどになり、煮詰めて濾して霧吹きすれば台所や床の汚れ落としに使えること。どれもが、まるで本当に、魔女の錬金術のようだ。
「え、そうなの?」という読んだ後の驚きこそ、現代の視点がいかに偏っているかを物語っていると、私は思う。物事は○か×かの二元論ではとらえきれない。いつだって両方がもつれ合っている。大事なのは、どうやってお付き合いするかだ。石田さんの目は、植物だけでなく、植物に対する態度にも、向けられている。同時にまた、人間の業も文明もすべてを否定しなかったり、何が答えなのかを一緒に考えるように促したり、そんな真剣な話をダジャレ交じりにしてみたり、これで老齢の男性なら好々爺と呼びたいところだが、知識や経験を重ねても、そういうみずみずしさを失っていないのが、石田さんの魅力なのだと思う。先ほどの杉のページにはこんなふうに書かれている。
途方もない人類のあらゆる欲望も、天の然り。それこそ途方に暮れるが、時はめぐり、いつしかスギ花粉の誘う涙の季節。この、人よりも大きく、長い寿命をもちうる樹木と相通じる夢を、懐かしいほどにしっかりと抱いて生きる。これもまた人の天然欲なのだ。
余談だが、私も美術を通して自然や植物に興味が広がったから、石田さんの活動にはとても共感できるのだ。初めて会った時だったか、「美術は、美術のためのものになっていると思うんです」と私の考えを正直に伝えると、「真剣に考えているんだね」と返してくれて、とても救われた思いがした。